「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「宵待草」

2008年09月03日 | 季節の移ろい・出来事
♪待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな♪♪
1910年、竹久夢二 27才の夏。実らぬ恋を憂う気持ちを詩に託したと言われている。

宵待草・・正式には「待つ宵草」という。大待宵草・荒地待宵草・月見草などがその仲間で、いずれも、太陽の沈む夕方に花開いて、朝にはしぼみ始めるという。まさに夏の終わり、ひと夜のはかない夢物語を想わせる清楚な花ではある。

宵待草=月見草と単純に思い込んでいたが、花の世界にもそれぞれ色んな事情があるようで結構ややこしく細分化されている。
“月のしずくを吸って咲く 夢のお花の月見草”と言われる本当の月見草は、夕方に純白で開花する。夜中に薄ピンク色に、そしてピンク色に変わり朝方にしぼむ。

このように、はかない命の割には花言葉は「永遠・永久」だそうである。
ちなみに、大待宵草は「ほのかな恋・愛の祈り」。荒地待宵草は「ほのかな恋・浴後の美人」。誰が言ったか知らないが、何となくそれらしい花言葉である。

秋の訪れを待つ気持ちを先取りするように、直径3㎝ばかりの黄色い清楚な花が夕方一斉に開く様子は、お盆を過ぎる頃からの見馴れた風景ではあるが、心和むものがある。

  遣る瀬ない釣鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
  
  待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき

  想うまいとは思えども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬそうな

歌い継がれた宵待草の詩の原型だそうである。
宵待草の歌があまりにも世に出たために、作詞家の西条八十氏が2番の詩をつけたのが
 
  暮れて河原に星一つ 宵待草の花のつゆ 更けては風も泣くそうな   という。

現実に戻って、我が愛唱歌「吾亦紅」の花言葉は“感謝・移ろい行く日々”だそうな。

       ( 写真:我が家のすぐそばに群生する、荒地待宵草 )



 
コメント (10)
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