「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「おはぎ」

2008年09月23日 | 季節の移ろい・出来事
秋分の日、官公庁・学校はお休み。企業も休日とするところが多くなった。
ただ、学校や仕事が休みというだけでなく「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」という趣旨で国民休日の一日に制定されている。
古くは秋期皇霊祭と呼ばれる祭日であったことを知る人も段々少なくなった。

一方で、暑さ寒さも彼岸までという言葉を頼りに、暑さに耐え、体力を維持しながら涼しくなる秋の訪れを待つ。自然も心得たもので、今年の暑さはまさに半端ではなかったのに、彼岸の中日、つまり秋分の日を迎える頃にはそれなりの秋を確かに連れて来てくれる。

手作りのおはぎを美味しくいただいて、お墓参りをするのが恒例行事となっている。仏壇に供えたおはぎも入れると、どうかすると三日連続で食べさせられるくらい大量に母が作っていたのを思い出す。今は代が変わり、必要最小限の製造で、一度か二度食べたらなくなる。だから美味しさもひとしおなのか。

そこでいつもの話題、おはぎとぼたもち。もともとは同じ作り方同じ内容のものが、その地方の表現や季節によって呼び方が異なってきた、というのが通説である。つまり、秋の彼岸に備えるのを「萩のもち」これを御萩(おはぎ)と呼ぶ。

春の彼岸にお供えするのを、花の牡丹になぞらえて「牡丹もち」これをぼたもちと呼ぶのだそうである。

古典落語の一節。突然に宿を頼んできた旅人を、老夫婦が如何にしてもてなそうか…と相談するうちに、「手打ちにすべーか、半殺しにすべーか…」というセリフが聞こえて、旅人は夜中に血相変えて出て行ったという話がある。ここでいう手打ちとは「餅」半殺しは「おはぎ」だった。このように地方によって随分呼び方が変わっているという。

先祖をうやまうためにお墓参りをしたからといって、棚からぼたもち…などという甘い期待をするようでは、まだまだおはぎを食べる回数が足りないんだろうなー。

       ( 写真:夕食のテーブルをにぎわす、手作り「おはぎ」 )
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい