「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「敬老の喜び、再び」

2008年09月19日 | 家族・孫話
本日我が家に、再び敬老の喜びが訪れた。
内閣総理大臣福田康夫殿から、母百歳の祝い状と「金杯」。山口県知事二井関成殿から同じく祝い状と「羽毛羽織」が贈られた。
母の百歳長寿のお祝いとして、敬老の日の記念品だと言うことであった。

今回は予想をしていなかったので、岩国市社会福祉事務所から記念品贈呈の電話をもらったときは少し驚いた。というのも、満百歳を迎えた4月1日の誕生日に、岩国市長福田良彦殿から、祝い状とオルゴール時計が記念品として贈られていた。

世界長寿国の頂点にある我が国では、百歳を迎えた人が32000人を超えている。その一人ひとりにこれだけのお祝いを直接届けるのだから、お役所仕事とはいえ大変な作業ではある。と深く感謝している。
と言いながらも、お役所仕事だけあって、無粋だなーという気持ちは強く残る。

祝祭日が曜日の都合によって繰り上げ繰り下げがあるが、今年の敬老の日は文字通り9月15日であった。当然のことながら、その日は近くにいる姉弟孫などを集めてお祝いの真似事をしている。その席に、今日届けられた祝い状や記念品が床の間を飾ってくれていたら、どれほどの値打ちがあっただろう。国や県に対して感謝もするが、母が長生きしてくれたこと自体が、ひときわ大きな喜びに変わっていたのではないだろうか、と思う。

今日、9月19日に届けられるのなら、もう4日早めるわけにはいかなかったのだろうか。思いがけぬ記念品を頂いて、贅沢を言ってはバチが当たるのかも知れないが、“粋”を欠いている。人の神経を逆なでしてはばからないお役所仕事などと言いたくはない。出来れば、感謝・感謝で終わりたい。
永田町からここまで届くのに4日を要するのは当たり前のことだと思うことにしよう。

贈られたお祝いを持って、明日は病院に行こう。母の頭元に飾って上げよう。その時は、ひたすら、「よかったねー・よかったねー」だけを母の耳元でささやいて帰ろう。
いずれにしても、長生きをしたことを、国から県から祝ってもらって本当に嬉しく、感謝している次第です。

        ( 写真:総理大臣・県知事から贈られた記念品の数々 )
コメント (12)
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