「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

9.11

2008年09月11日 | つれづれ噺
昼間の陽差しは相変わらず厳しい。「秋日に焦げたら、嫁のもらいてがなくなる」と言われるほど、この時期の直射日光は紫外線が強い。それほどに日焼けしやすいから、日傘や帽子などで直射を避けなさいよ、という戒めなのだろう。

夜にはいると打って変わって、窓さえ閉めたくなるような風の冷たさを感じたりする。そんな初秋の夜の風情を楽しみながら、寝る前のNHKニュースを見ていた7年前の今日、2001年9月11日。忘れもしない。

不謹慎ながら、NHKのニュースを見ているというのに、テレビ画面に映し出される映像は劇画のワンシーンを見るような、とんでもない映像。まさに目を疑うとはこのことを言うのか、と思われた。アメリカを襲った同時多発テロ勃発の瞬間であった。

3000人に及ぶ人々の命が一瞬に奪われる残虐非道。許す気にはなれない。
この事件を景気に世界が一致してテロとの戦いのはじまりとなった。そこではまた多くの人の命が犠牲になっている。今も続いている。

一向に集結のきざしは見られない。相変わらず世界のあちこちで、領土や宗教それに人種差別・貧困など、ありとあらゆる人間の欲望のもとで人間同士が、いつ果てるともない惨状を繰り広げている。どうすれば終わりが来るのだろう。

いつも不思議に思うことがある。そもそも宗教とは、神様や仏様が人々の心の中に宿っていて、様々な煩悩を抱える弱い人間を、煩悩から解き放ち、苦難から救っていただくために、ひたすらお祈りを捧げる。共に幸せになる権利を求めて神に祈りを捧げる。と解釈している。

それなのに一方では、宗教の違いでお互いの命を傷つけあってはばからない。食糧が少ないから自分のお腹を満たすために、相手を根絶しても構わないと思うのか。
どのように考えても間尺に合わない話である。それでなくとも地球の存続さえ危ぶまれる今の時代に、全世界が、全人類が共存する、共存出来る世界を作らなければこの世から人類は消えてしまうのではないだろうか。いっそ全て“ 無 ”に帰するのが宇宙の道理なのだろうか。

永遠のテーマか。いくら秋の夜長と言っても、これ以上考えたら眠れそうにない。下手な考えやすむに似たりとも言うなあ……。

9.11の生々しい写真も数多く保管はしているが、敢えて惨状をお目にかけるには忍びないので、最もおとなしい写真をアップした。当時を忍んで、暴力の連鎖を断ち切るようお互い祈りたいものですね。

  


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい