アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

久しぶりに稲村が岳、大日岳を歩きさらにレンゲ谷を下りました。 その5 2023年9月29日

2023-12-15 09:09:21 | 秋の山歩き

初秋の稲村が岳、大日岳、レンゲ谷を歩く その5

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レンゲ辻の結界門が見えてきました。山上辻に建ててある看板には 山上辻からレンゲ辻まで40分

更にレンゲ辻から山上が岳まで20分と書かれています。

しかし私の足で 山上辻からここまで1時間かかりました。そして以前ここから大峰山寺まで45分

かかりました。今3時20分なので 往復したら5時です。暗い中を危険なレンゲ谷を下るのは

無理なので 今日はもう山上が岳はあきらめます。夏の日の長い時期にやります。

今日は このまま下山します。

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この結界門の横の看板に 女人立ち入り禁止と書かれていたのを誰かが「女」の字を消して

「人立ち入り禁止」となっていたのを思い出します。

 

日本中の修験の山が 女人禁制をやめたのになぜここだけがこだわるのか分かりません。

何故修験道は女人禁制を言うのでしょうか。そういう歴史があったのでしょうか。

昔 小乗仏教の地で 仕事をして暮らしていた経験がありますが、女性は僧侶に触れることはおろか

近づくこともできません。

バスに僧侶が乗ってこられたら 女性はすっと立ち上がり席をゆずり僧侶から離れます。

わが子が出家したら 母親と言えども わが子であっても僧侶に触れることはできません。

しかし小乗仏教では女性たちは何処へでも入れますが、僧侶は女性と接してはならないのです。

日本の大多数の僧侶のように 妻帯するなんて言語道断です。

勿論日本にも ひとり身を貫き菜食主義の高潔な僧侶たちがいらっしゃることは知っています。

しかし大多数の僧侶は 肉や魚を食い妻を娶り生臭坊主と呼ばれているのが現状です。

 

僧侶は身にまとう1枚の黄色い布と一本の傘(太陽と毒蛇からわが身を守るため)のみ私有が

許されています。

京都の有名観光寺院の僧侶は高級外車に乗っています。仏教とは かけ離れた生活ですね。

ですから山岳修験道の女人禁制に 日本仏教が与えた影響は少ないと思います。

 

昔高野山が女人禁制だったころ、女性たちは高野山には登れましたが 町の中心部へは立ち入れ

ませんでした。そこで高野山の街を取り囲む山々の尾根を歩く道が整備されて信仰心厚い女性たちは

その環状山道を歩き 木々の間から 町を覗き 出家したわが子の様子を見たり 御大師様の眠る

奥の院を拝んだりしました。その道が 高野三山女人道です。私も一日かけて歩きました。

 

日本神道では 女性は毎月血で汚れるから不浄の身だという考えがあったと 昔聞きました。

私が建設会社に入った50年以上昔は 事務所の神棚に 女性は手を触れることができませんでした。

神棚の水やお神酒を替えるのは新入男子社員の仕事でした。私が管理職になってからは女性に

神棚の掃除をしてもらいましたが。

 

山岳修験道は神仏混合ですから 女人禁制はそのあたりの日本神道の影響でしょうね。

しかしもうそろそろやめないと。

世界中の巡礼道は男女に関係なく 人間として祈りを捧げる道ですから。

世界文化遺産としてユネスコに認められた大峯奥駈道は他の熊野古道や高野町石道などと同じ

祈りの道であり、神と対話する巡礼道です。

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古代の日本は 女系社会だったので 女性の地位は高かったと思います。室町以降武士の権力が確立し

男社会になると 女性は血で汚れるといった思想が蔓延しだしたのではないかと思います。

もともと出産に使われた 産屋(うぶや)も神聖な場所でしたが 次第に生理中の女性を隔離したり

出産時の出血のための隔離の意味合いが強くなっていったといわれます。

詳しくは 別ブログ「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」に書いています。

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役行者(えんのぎょうじゃー役の小角)の時代でも 息子に会いたくて 母親(白専女)が会いに来ても

修行の山には 女人は入れず 役行者は母親を天川村の母公堂に住まわせたり、空海の時代にも

息子に会いたくて 母親が山に入ろうとすると 空海は「私が月に九度 山から下りて会いに

来ますから」と言って 慈尊院を造り 母を住まわせたそうです。その地名が「月に九度山から下りる」

から九度山になったと聞きます。

しかしその時代は 「血の汚れ」思想と言うよりは 女性の存在そのものが 煩悩を誘うとして

女性を仏教修行の邪魔と考えたのではないかと思います。オノレの修行がたりないから 女性を見て

煩悩を起こす癖に 勝手な言い草ですね。

 

私個人的には 女性の方が男より偉いと思っています。だって体の中で 人間を造るなんて

とんでもなく すごいことで、神がかっていると思いますが。

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さて レンゲ辻付近にも 鳥兜の大群落がありました。

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綺麗なシダに覆われたレンゲ谷を降ります。この辺りは以前は小梅蕙草(こばいけいそう)の

大群落でした。斜面のところどころに枯れて立っている奴がその残党です。

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この谷は道の分かりにくいところが多いのですが、よく先を見れは゛踏み跡がわかることが多いです。

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分かりにくいところにはテープも付けてあります。

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すこし高度が下がってくると 見返り草がまた咲き乱れています。草と名前が付きますが

草ではなく れっきとした樹木です。

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木製階段は滑りやすいので 慎重に降ります。

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この谷は切り立った崖の上の道が多いのですが、このように鎖やロープがない場所もかなりあります。

そういう場所は一歩ずつ慎重に歩きます。落ちたらかなりの怪我です。

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ここまで来ると一安心です。危険個所はかなり少なくなります。

洞川温泉に泊まり 宿の車でレンゲ谷林道の終点まで送ってもらい この谷を歩いてレンゲ辻へ出て

稲村、大日へ登る若い女性たちと今までこの谷や山上辻レンゲ辻間でたくさんすれ違いました。

こんな道でも 皆さん 軽装でかなり達者に登ってこられます。若いことはいいなあと

つくづく実感します。

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分かりにくい場所や危険な箇所には ロープで目印が張られています。

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ようやく林道終点に降りて来ました。レンゲ辻から約1時間かかりました。

山上辻の看板には この谷も40分と書かれています。多分走って降りた場合でしょう。

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林道を歩いていてびっくりです。大阪府南部の岩湧山岩湧の森ではもう既に終わってしまった

曙草(あけぼのそう)が林道で満開です。林道沿いに沢山咲いていました。

きっと寒いから咲くのが遅いのでしょうね。

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清浄大橋に到着です。林道を15分歩いて到着です。

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振り返ると山上が岳が 夕陽に輝いていました。

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道路沿いのモミジも紅葉が始まっていました。やはりこの辺りは寒いのでしょうね。

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母公堂には 5時ちょうどに到着です。レンゲ辻から山上が岳を往復していたら午後6時半帰着

でしょうね。それに真っ暗なレンゲ谷は危険すぎて降りれません。

 

お堂の管理人の方が 私の帰りを待っていてくださいました。駐車料金800円をお払いすると

お堂の前のテーブルに 温かいコーヒーとチョコレート菓子を出してくださいました。

管理人の方とお話しすると 一昨日にここから山に登られた75歳の人が 道間違えして迷い一晩野宿

したそうです。夜が明けて 落ち着いて道を探すと 判明してやっと降りてこられたらしいです。

「2年前に家を出てこの山に登山に向かった家人がまだ戻りません。」という尋ね人の張り紙が

母公堂や登山口に貼ってありました。私も気を付けないと。

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コーヒーを頂いて着替えてから帰宅に向かうと 暗くなり始めた洞川(どろかわ)温泉街には

提灯に灯りが燈っていました。

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ジオの軌跡です。ガーミンがつぶれたので ジオだけが頼みの綱です。

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山頂部付近の拡大軌跡です。

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歩行距離が15キロを超えていました。

午前7時40分にスタートして 午後5時に母公堂帰着、お昼休みは45分程度かと思います。

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おわり

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コメント
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