浮盃4-3 浮盃を訪ねる
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佐賀市浮盃になかなかたどり着けなくて グーグルに「ぶばい」と叫んだらここに連れて来てくれました。
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なるほどすぐ横の交差点は 浮盃交差点でした。
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佐賀市諸富町浮盃の新北神社をまず訪ねました。
これが成功で この神社の奥様がいろいろと親切に教えてくださいました。
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拝殿、本殿が二つずつあり、それぞれ別の神を祀っていると思いきや、おくさまがたまたま出てこられて
社殿がふるくなり 建て替えした時に 古いほうもそのまま残したと言う事でした。
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これが境内のビャクシンの木です。徐福が上陸の記念に植えたといわれています。
この珍しいビャクシンの木は 日本ではほとんど他では見られないそうです。
徐福が植えたのなら 樹齢2200年ほどです。幹はほとんど空洞化していました。
樹齢二千年と言われる 北斗市山高神代桜の幹よりさらに空洞化が進んだ感じでした。
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徐福の像が安置されていました。
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境内をいくら探しても 徐福が上陸後に体を清めたという「御手洗の井戸」を奥様にお聞きすると
ここから2キロほど海側へ行き 今は民家の庭に安置されているという事でした。
その民家の奥様は気さくな方なので 呼び鈴を押せばだれでも拝見できるという事なので
神社の奥様にお礼を言ってから 車で向かいました。
道中は鳥居が続いています。
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教えられたとおり 標識がありました。
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その民家の帰依には説明看板もありました。
この井戸は長い間場所が不明だったそうですが 大正15年の遺跡発掘調査時に
この井戸が発見されたと書いてあります。
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呼び鈴を押すと奥様がでてこられて 気持ちよく中へ入れて頂きました。
この社の中に井戸があります。
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中を覗くとこんな風になっていました。古そうですね。
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浮盃の横を流れる筑後川の河口付近へ行ってみました。
徐福たちの船はここを通ったのでしようか。
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河口には徐福が建っていました。
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この地では徐福はそんなに 嫌われていないようです。
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出雲王国内では 徐福たちは 出雲の王族を殺したり 海童たちが農作物を壊したり大暴れして
出雲王国内では 悪魔のように嫌われた徐福ですが ここ浮盃では 嫌われるどころか
浮盃の人たちに親しまれているのが 驚きでした。「なんでえ?」と言う感じですが
徐福はここ 浮盃に字揚陸した後 この地には長居せずに すぐに吉野ケ里へ行き そこでお城を作り
住んだので この地ではほとんど暴れることはなかったのでしょう。
それでこの地の人々は 徐福をきらっていないのかなと思いました。
出雲王国民の末裔の私としては 徐福を嫌っていない人がいることが 大いに不思議でした。
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と言うことで今回の 古代出雲を尋ねる旅を終わります。
この項も大元出版の 斉木雲州先生の本をはじめ各本を参考にしました。
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