アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

雪歩きと雪景色を楽しんだ金剛山 その3 2023年1月31日

2023-03-30 16:59:12 | 雪山トレッキング

雪歩きと雪景色を楽しんだ金剛山 その3

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この鳥が集まって なんか会議をしていたので写真を撮っていたら そのうちの一羽が私の帽子の上に

止まりなんか叫んでいました。後で考えると 誰かが標識の上にエサを置いて立ち去り その鳥が

集まっていたところへ たまたま私が通りかかったのではないのでしょうか。

ネット図鑑で調べると ヤマガラという鳥でした。

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ここからモミジ谷への道へ入ります。

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御所の街を眺めながら歩きます。

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落ちたら助からない危険個所を慎重にわたります。

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ここがモミジ谷の入り口です。

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降りていくと水が現れました。

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水は現れたり、消えたりしています。

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気を付けないと 水の上の雪を踏むとボソッと落ちることがあります。

スノーブリッジの赤ちゃんみたいなやつですが まあ落ちても死ぬことはありません。

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第六堰堤に到着です。すごい水の音がしています。ということは あまり氷が出来ていないようです。

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堰堤下の滝はそこそこ氷が張っていましたが 凄い水音が聞こえます。

やはり気温が高いようです。

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第五堰堤はほとんど凍っていませんでした。

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堰堤下の滝には ほとんど氷はありませんでした。

そこから下の堰堤や滝には氷は全くありませんでした。 

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谷筋道から林道に出たら 誰かが雪だるまを造っていました。

よくこんなところまで来て雪だるまを造る気になりましたね。

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ダイトレに出ても雪は多くそのままアイゼンを履いて歩きます。

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ここでいつものように小休止です。

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ダイトレ水越峠に到着です。雪は相変わらず積もっています。

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夕陽を浴びてアイスバーンの路面が光っています。

アイゼンを履いたままでよかった。林道ゃダイトレに出てからは無くても歩けたのですが

アイゼンを外すと リュックに収納したりするのが 面倒くさいし 手に持ってぶら下げて歩くのも

めんどうやし。

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駐車場に戻ると あの怖いおじさんの車や がみがみ言われていた軽自動車のおじさんの車は

ありませんでした。

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私が山身支度を開放していたら なんとこの駐車場前の旧国道を軽トラの荷台に乗ったおじさんが

融雪剤を撒きながら 走り降りていきました。富田林国道事務所の仕業でしょう。

あれをやられたらたまりません。路面に巻いた塩化カルシウムは 溶けて流れて川に入り、下流で

必ず農業用水路に入り 田んぼや畑で お米、野菜に取り込まれます。

農協がしっかりしているところでは けっして融雪剤散布をさせません。それが消費者の為なの

ですから。それと車を傷めます。

私は昔四駆の車の底を融雪剤でやられて 7年乗ったらマフラーに穴が開きました。

マフラー全体を取り換えて 確か20万近い修理費を取られた記憶があります。

雪道は冬用タイヤで走れば あんな環境に優しくないことをしなくてもいいのに。

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おわり

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雪歩きと雪景色を楽しんだ金剛山 その2 2023年1月31日

2023-03-27 20:36:09 | 季節の風景

雪歩きと雪景色を楽しんだ金剛山 その2

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聞くと 大阪京橋の高校性と言っていました。遠足らしい。

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こんなものまで造って皆さん楽しそうです。

千早本道で登ってきてそれをまた下山するそうです。千早本道でやってくる常連さんたちは大変だ。

すれ違いできないうえに踏み固められてツルツルの路面でしょう。

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金剛桜も見事な樹氷です。

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大阪市は霞んで見えません。もちろん京都清滝の愛宕山も見えません。

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ここまで今日は2時間40分かかりました。体調のいい時だと2時間15分くらいですが まだ完全に

回復していないようです。

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いつものお弁当広場でお昼ご飯です。

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いつもの屋根の下のテーブルと椅子で 先客のおじさんに断って相席させていただきました。

そのおじさんはモミジ谷で登ってきて、ダイトレで下山するそうです。路面がツルツルなので

そのおじさんはノーマルタイヤの車は 一番下の分岐点に止めたそうです。

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時々青空が出て樹氷がとてもきれいです。

そのおじさんとおしゃべりしながら楽しくお昼ご飯を頂きました。

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食後転法輪寺へ向かいます。

カマクラが一段と大きくなっています。

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最近はこのうどん屋さんには 私は入りません。

金剛山の常連たちが 店の真ん中に陣取って 大声で唾をまき散らしながらワイワイ言っているので

気持ち悪いのでもうこの店で食べるのはやめました。あれだけ多人数で 大声で叫べば

居酒屋も真っ青です。まさに武漢ウイルスの山上の巣、宝庫です。

あのジジイ婆あどもにもう少し礼儀とマナーをわきまえてほしいけど あの年であれではもう無理

すね。死ぬまで直らないでしょうね。

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ここで-3度では 氷瀑もそこそこですね。

もっと気温が下がらないと 見事な氷瀑には無理です。

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転法輪寺に参拝しました。

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境内は雪だらけで 誰もいません。しんとしてとてもきれいです。

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続いて山頂の葛木神社へ向かって参道を進みます。この道もみんなが歩くのでツルツルです。

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ここもひっそりとしていました。この場所がほぼ山頂です。

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本田の屋根の雪が落ちていないのは 気温が比較的低いからでしょう。

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北隣の大和葛城山も白いようです。

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その3へ続く

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雪歩きと雪景色を楽しんだ金剛山 その1 2023年1月31日

2023-03-26 10:45:32 | ダイトレ、紀泉山脈を歩く

去年末に猛吹雪の山旅に出かけて 風邪をひいたのか 正月に寝込んで1月は

ほとんど家で ゴロゴロしたり、寝て過ごしました。

1月末に裏山の岩湧山を歩き出して少し元気が出て 1月も末になり

ようやく金剛山を歩く気になり 出かけました。

金剛山は雪が10センチから20センチくらいあり、雪歩きと霧氷、氷瀑が楽しめました。

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雪歩きと雪景色を楽しんだ金剛山 その1 

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いつものように 国道309を水越峠下で分岐して 旧国道へ入ると全面凍結してつるつるでした。

水越峠駐車場へ向かうと 駐車場すぐ下で ごつい車が止まっていて動きません。

上から降りてくる車も上で止まってにらみ合いしています。

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しばらく車の中で待っていましたが

全然動く気配がないので 歩いて見に行くと 軽自動車のおじさんが雪道の上でジャッキアップして

タイヤチェーンを取り付けようとしています。私が「どうしました?」と聞くと ごつい車の

いかにも 怖そうなおじさんが「ワシはスタッドレス履いた四駆に乗っていても滑るのに なんで

こんな道をノーマルタイヤで登ってくるかなあ」、「もっと手前でつるつる滑った時点でなんで

チェーンをつけなんだかなあ」、「坂道でジャッキアップするなんて一番したらアカン事やけどなあ」

などと その軽のノーマルタイヤのおじさんに がみがみかみついているところでした。

その軽のおじさんはかわいそうに黙って黙々とチェーンを付ける作業をしている最中でした。

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ちょうど右前輪のタイヤにチェーンがハマったので そのおじさんがかわいそうになり

「悪いけど その車を左に寄せてもらえますか。私が後ろを押しますから」と言うと

そのおじさんは「すみません、もうしわけありません。今寄せます」と言っていったんバックを

始めて止まったので 私は後ろから押して前進させようとしました。しかし路面がつるつるで

あまり力が入りません。それを見たごつい車の怖そうなおじさんとその奥さんも「しょうがないなあ」

と言いつつ 一緒に押してくれたので なんとか前進して左に寄せる事が出来ました。

その怖そうなおじさんと私は 駐車場に車を入れて 身支度してそれぞれ歩き始めました。

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私は駐車場から直接太尾道への近道を歩きながら下の様子を見てみると なんと先ほどの軽のおじさんが

チェーンの音をジャラジャラ言わせて駐車場に入ってきて 車を止めるとすぐにリュックを担いで

歩き出したのでびっくりしました。あれだけ罵詈雑言を浴びて嫌な気持ちになったのに 帰宅せず

そのまま当初計画通り歩き出したので「あのおじさん、強いなあ」と感心しました。

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あのおじさんもこれに懲りて 雪道に入る前にタイヤチェーンを装着するようにしてくれれば 

いいのですが。

それにしても雪道をノーマルタイヤで走る人がなんと多いことか。岩湧でもここ金剛山でも

途中でスタックした人をたくさん見ます。これが国道本線だと たちまち大渋滞が発生します。

雪道をノーマルタイヤで走る気持ちが全く理解できません。

 

この前の12月の山旅で 日光霧降高原に ツルツルのアイスバーン走り到着して登山準備を

していたら トヨタの普通乗用車に乗った若いカップルがやってきて 私の隣に車を止めて

「アー怖かった」と言うので見たら東京ナンバーでしかも初心者マークを張った若者でした。

しかもノーマルタイヤなので びっくりして「よくここまで来れたね」というと「はい怖かったです」

と何気なく言うので またしてもびっくり。雪道はスタッドレスタイヤで走るという基本が

全く分かっていないので それ以上説教する気をなくしました。

 

雪道での国道や高速の大渋滞、立往生の先頭は 必ずノーマルタイヤの車やトラックのスタックです。

ゆき道は必ず冬用タイヤで走りましょう。

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雪は固くしまっていて アイゼンが食い込んで とても歩きやすい状態です。

駐車場からツルツルなので 最初から10本爪アイゼンを履いて出発しました。

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吹き溜まりでは結構積もっています。

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難所の急登区間に来ました。一歩ずつアイゼンをけり込んで登ります。

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時々青空で出ます。横の斜面を見ると 急勾配が分かります。

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太尾塞跡にくると霧氷が現れました。

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奇麗な霧氷のトンネルを進みます。

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サラサラの雪は踏み固められて とても歩きやすい状態です。

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時々木の隙間から 大阪が見えています。帰宅してパソコンで見たらなんと大阪湾が

写っていました。

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更に標高を上げると 植林帯の木の幹にまで霧氷が現れました。とてもきれいです。

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大日岳に到着しました。

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そのまま国見広場へ向かいます。

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笹薮も積雪で 雪原のようになっています。

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樹氷の森を進みます。

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国見広場が騒がしいので 下を覗くとなんと大勢の人が ワイワイ言っています。

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その2へ続く

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日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)を訪ねて その2 2022年12月9日

2023-03-21 11:21:08 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて

日光二荒山神社 その2 

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去年末の甲州武州下野(しもつけ)山旅の最後に 日光二荒山神社本社を訪ねました。

                             2022年12月9日

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神社入り口です。全体がうっそうとした森です。

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ここが大鳥居で、ここから参道が始まります。

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大鳥居の足元には、大黒様がいらっしゃいます。

つまり主祭神の大国主こと古代出雲王朝第八代主王八千矛王です。

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神門をくぐると

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正面に拝殿があります。

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拝殿の右奥に本殿の屋根が、少しだけ見えています。

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望遠で覗いた本殿の屋根です。

檜皮葺はなく、瓦葺きです。大社造りとは、程遠いお寺の建物の感じがします。

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広い境内です。

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建物がたくさんあり、どの建物が何なのか分かりません。

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さて日光二荒山神社の公式ホームページには、以下のように書かれています。

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御祭神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)
     ⇒親子3神を祀る
      大己貴命   (おおなむちのみこと)     父
      田心姫命   (たごりひめのみこと)     母
      味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) 子

古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と
仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。

境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、
御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。

  華厳の滝や下りのいろは坂、重要文化財の神橋など

 日光市内に3社鎮座しています。
  男体山山頂⇒ 奥宮
  中禅寺湖畔⇒ 中宮祠
  山内(市内)⇒ 御本社

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古代出雲王朝初期の系図です。

(※斉木雲州先生の本をはじめ大元出版のすべての本を参考にして私が書きました)

古代出雲王朝第八代主王、八千矛(やちほこ)王の奥方は、多岐津姫(たぎつひめ)であり田心姫(たごりひ

め)ではありません。皇子は、確かに味鋤高彦ですが 奥方の名前が違います。

田心姫は 第七代主王 天之冬衣に嫁がれ 第八代副王 八重波津身(事代主)のご母堂です。

何故このような間違いを堂々と主張しているのでしょうか。

この神社を造営したと思える下野国の国造家が 出雲族ではないからこんな単純な間違いをするような

気がします。

ヤマトには 大国主や事代主を祀る神社が多数現存していて そのすべては ヤマトに移住した出雲王家

の皇子たちにより 作られました。主祭神は八千矛王か少彦の八重波津身です。

主祭神の出雲の王族の名前を間違うことはありません。

詳しくはこのブログの9.10.11.12をご覧ください。

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名実ともに ヤマトの大王となったイクメ大王(垂仁)の皇子忍代別(おしろわけ)大王(景行)は

九州と東国の遠征をおこないます。その東国への遠征に旧出雲王国の向家に出兵を要請します。

ヤマトに出雲系の磯城王朝があった時に 豊国軍がヤマトへなだれ込んで 出雲系の加茂氏を山城の国に

追いやったことがあり 向家は豊国軍に反感を持っていました。そこで東国にのがれた豊国軍を

探し出すため その要請を受け入れて 旧出雲王国軍はまず三河の国周辺で 旧豊国軍の残党を

探し出して東へ追い払いながら 関東に進み そこで豊国軍の残党を 上毛野国(かみつけぬくに)と

下毛野国(しもつけぬくに)に追い払った後 肥沃な関東平野南部に住み着き開拓し 関東平野南部の

秩父、武蔵、相模、安房、須惠などの国造家となりました。

(※詳しくは 大元出版斉木雲州著「出雲と蘇我王国」をご覧ください)

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つまり出雲勢により大和から三河へ追い払われ、更に上野国、下野国まで追い払われた豊彦の子孫たち

豊国勢は すぐ近くの関東南部に住み着いた出雲族たちからあまり睨まれないように 出雲の神様を

祀る神社を造ったのではないでしょうか。それで 建物は大社造りとは全く事なり お寺のような建物

になり 神社の主祭神も母神を間違えている。これは私個人の 勝手な想像ですが。

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日光二荒山神社 おわり

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日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)を訪ねて その1 2022年12月9日

2023-03-18 08:14:14 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて

去年末の甲州武州下野(しもつけ)山旅の最後に 日光二荒山神社本社を訪ねました。

日光は数年前に 男体山に登りましたが その時は二荒山神社中宮祠境内から登りました。

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日光二荒山神社は日光市内に三社あり、本社、中宮祠、奥宮です。

本社は日光市街地にあり、中宮祠は中禅寺湖畔にあり、奥宮は男体山山頂にあります。

二荒山神社は 下毛野国一宮と呼ばれる下毛野国(現在の栃木県)で一番古くて権威ある神社です。

その地方で一番古くて権威ある神社が 一宮と呼ばれます。

 

ちなみに伊勢の国一宮は 椿大神社(つばきおおかみやしろ)で伊勢神宮ではありません。

また出雲の国一宮は熊野大社であり、出雲大社ではありません。理由は簡単で 九州物部軍の

第二次東征で敗れた出雲王国のうち 東出雲王家の向家は王宮を物部軍に明け渡し 熊野大社の地に

移り住みました。その後徐福が連れてきた矛卑の子孫の矛卑家が 出雲国で仕事が無くなりかけたときに

旧王家の向家に 矛卑家が社家となれる神社を造営してくれるように頼み込み 向家と旧西出雲王家の

神門臣家が出資して 杵築大社 今の出雲大社が作られたのです。

※ 大元出版 斉木雲州著「古事記の編集室」他の書籍参照

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下野国の国造は日本書紀によれば 崇神天皇が東国につかわして治めさせた豊鍬入彦の子孫だそうです。

※ウイキペディアによる

 

しかし 記紀に崇神大神と記された九州物部家のイニエ王は九州から一歩も出たことはなく、したがって

大和の大王ではありません。

またイクメ大王(垂仁)の策略、指示により 出雲系の加茂田田彦や旧出雲王国軍によって 豊彦王

(記紀では豊鍬入り彦)はじめ豊国軍は大和から追い出されました。

 

豊彦や豊国軍は 豊彦王の妹である 四番目のいわゆるヒミコの豊姫(豊姫又は豊来入姫、支那の歴史書

では 台与とよ と書かれた)と一緒に大和から東国へ追い払われました

つまり下野国の国造の始祖 豊来入彦は大君により 派遣された将軍などではありません。

九州物部、宇佐豊連合王国の第二次東征軍内部の争いに敗れて東国へ逃げた 連合王国のれっきとした

王の一人なのです。

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北九州に本拠を置いた物部王朝のイニエ王は東征の準備のため南下します。そして薩摩に滞在したあと

薩摩の阿多津姫を伴い日向に移ります。阿多津姫との間にイクメ皇子をもうけ、西都原に都を造り各地

から豪族を呼び寄せて 着々と東征の準備を進めます。

しかし阿多津姫は短命で イクメ皇子を生んで亡くなります。そのあと宇佐王国から 豊玉姫女王を后と 

して迎え 物部豊連合王国が成立し 東征の準備をさらに進めます。

イクメ王と豊玉姫皇后との間に生まれたのが 豊彦、豊姫(豊来入彦、豊来入姫)なのです。

つまりイクメ皇子と豊彦皇子は異母兄弟なのです。連合王国軍が大和入りしてから 内紛が起き

豊彦王は 九州物部王国の東征総指揮者 イクメ大王との内部戦いに敗れて東国に逃れ、その子孫が

下毛野国の国造家となったのでしょう。

※詳しくは このブログのヒミコのまとめや 赤城神社訪問記にも書きました。

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日光二荒山神社中宮祠から男体山山頂の奥宮へ登拝しました。2015年9月14日

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中禅寺湖に面して鳥居があり ここから二荒山神社中宮祠への参道が始まります。

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鳥居をくぐり 石段を登っていきます。

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神社の境内です。

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これが本殿ですが、なんともはや出雲系の神社の雰囲気とは かけ離れています。

第一に社の造りが 大社造りとはかけ離れていて、瓦葺です。しかも妻入りでもなく、柱の本数も

ここからでは分かりません。神社というより お寺の感じですね、

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境内には何故か恵比寿様、つまり事代主もいらっしゃいます。

出雲系の社であるからなのか 単に商売繁盛の人を寄せ集めようとなさったのか。

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これはおろちなのでしょうか。それとも出雲族の信仰厚い 竜蛇神なのでしょうか、

説明書きがないのでわかりませんでした。

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社務所と拝殿です。ここで登拝の手続きをします。

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登拝料ーいくらだったか忘れましたがーを払うと巫女さんがお祓いをしてくれて このお守り御札

を下さり、「くれぐれもご安全にご登拝ください」とお声がけしてくださいます。

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ここが奥宮、つまり男体山山頂への登山道への入り口です。

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奥宮に着きました。2時間半から3時間くらいかかったような記憶があります。

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二荒山大神、つまり神社の主祭神の大己貴命(おおなむちのみこと) つまり大名持命(おおなもちの

みこと)です。大名持とは古代出雲王国の主王の役職名です。古代出雲王国では 主王と副王の

二王制であり、神門臣家と向家が交互に 主王と副王を出していました。

この場合の大名持は 紀元前2世紀末に 忠実な部下の矛卑(ほひ、今の出雲大社宮司家の祖先)とともに

大勢の海童たちを引き連れて和国に上陸した徐福に幽閉殺害された 第八代主王、大名持の八千矛王

(のちに記紀で大国主と書かれた)のことです。

 

ちなみに この時に同時に殺害された副王の八重波津身は 事代主と書き換えられ のちには恵比寿さん

と呼ばれるようになりました。

八重波津身の姫、御穂須須美(みほすすみ)により八重波津身が祀られた 美保神社(今の松江市美保関町)

が全国の戎神社の総本社です。

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標高2600mの山頂付近は雲が流れて 景色はほとんど見えませんでした。

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奉納された「御神刀」が異彩を放っていました。

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その2へ続く

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