アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

桜訪ねて 2024年 その3 河内長野市の桜(1)

2024-07-11 10:05:01 | 桜訪ねて

桜 2024年 その3 大阪府河内長野市の桜 (1)

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花の文化園

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河内長野市にある「花の文化園」にはいくつかの大きな桜の木が植わっています。

入園料が高いので中に入らないで フェンスの外から写しました。

昔は500円くらいで入れたのに 今は千円くらいします。

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これは別の場所です。花の文化園のフェンス際に大きな桜が並んで 道路に大きく張り出しています。

ちなみに冬は「ライトアップとイルミネーションの夕べ」というのをやっていて とてもきれいです。

値段は忘れましたが かなり高かったような。

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岩湧寺

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岩湧寺の 「シデザクラ」です。紙垂(しで  四手とも書く)とは注連縄からぶら下がった白い紙

のことです。あの紙垂に似ているから着いた名前だそうですが 私にはそのように見えませんが。

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別名 采振り木(さいふりぼく)とも言います。 采とは 武将が戦のときに振り回すやつで

花の形が采を振り回したときの形に似ているそうです。

軍配は大名とか総大将が振り回し、采は武将が振り回すらしいです。どちらにしても団扇のような

形なので こちらも納得できませんが。

ともかくバラ科で桜の仲間だそうです。

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岩湧寺の山桜は 巨木です。大きいので 真下からは見えにくく 少し離れると良く見えます。

多宝塔をバックにすると なかなか風情があります。丁度満開でした。

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岩湧寺には 数本の大島桜があります。この日たまたま満開だったので 私のバイクと

記念写真を撮りました。

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金剛寺

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天野山金剛寺は大きくて立派な建物が多い寺で、女人高野とも呼ばれます。

昔高野山が女人禁制だったころ 女の人は ここに参拝して 高野山にお参りしたことにしたのです。

また南北朝時代 南朝の帝の御座所だったり、北朝の上皇が幽閉されたりした場所です。

この枝垂れ桜は 檜皮葺の五仏堂の上に垂れ下がっています。

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この枝垂れは楼門に垂れ下がっています。

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多宝塔と枝垂れ桜の組み合わせです。枝垂れも満開でした。

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この建物は摩尼院で、南北朝時代 後村上天皇が御座所とされていた場所でその庭の桜が

塀越しに見えています。

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河内長野市内住宅地の桜

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住宅地のあちこちに 染井吉野が植えられています。満開の花の向こうに 岩湧山が見えています。

山頂は山焼きで黒焦げですが、少し芽吹いて来たのか、若干緑色をしています。

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これはすこし離れた別の場所の岩湧山です。岩湧山山頂の緑はあまり見えません。

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桜の向こうに右金剛山、左大和葛城山が見えています。正面の建物は小学校ですが 人口減少が続き

今年から廃校になりました。別の場所で 小中学校に合体しました。

かつては 小学校がこの住宅団地に二つもあったのに 子供たちがどんどん巣立ち 残るは年寄り

のみになりました。市長も市役所の職員も ボーっとしてなにも手を打たないので 年々人口減少

に歯止めがかからないのです。

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満開の花の先の 金剛葛城の間の峠は 水越峠です。

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その4へ続く

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今年も岩湧山の山焼きが行われました。 その2 2024年4月7日

2024-07-08 12:44:24 | 岩湧の森の四季の風景

岩湧山の山焼きその後 その2

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平野(たいらの)までおりてきました。山頂から標高差ちょうど100mを

降りてきました。南斜面はここから火を放つのでここから 上が焼けています。

ここから登り返します。

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もうすぐお弁当ポイントです。平野から標高差50mのぼってきました。

そこでお昼ご飯にします。

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食後また登り返します。このあたりは 笹百合が特に多い区域です。

梅雨頃になると この焼け跡から ちゃんと笹百合が花を咲かせるから不思議です。 

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登り続けて山頂が見えてきました。

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黄砂で霞んでしますが 正面奥にどっしりとしている山が この前散々てこずった

大阪府第二の高峰、南葛城山です。

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下山しようとしたら 登ってくる白人青年のグループに会いました。彼らは私を見るなり

「日本では何故山に火を放つのか、ポーランドでは重い犯罪だ」と怒った顔で聞くので

「これは古い草を焼き払い、新しい健康な草を育てるために焼いているのだ。草のうちで

このススキは 日本の伝統的な建物の屋根に使うもので 大切な草だ」と拙い英語で

説明してあげると どうも理解できなかったのか 自分のスマホを取り出して そのスマホに

日本語でしゃべるように言いました。スマホを受けとり 日本語で説明したら、どうもポーランド語

が表示されたのか 何となく理解したような顔で サンキューといいつつ立ち去っていきました。

 

日本各地の山で いろんな国の人に出会いますが、ポーランドの方には初めて出会いました。

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この日出会った春の花々

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岩湧全山で満開なのが タムシバです。ほとんどが大木なので 遠くからしか

見えません。

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中には 若木もあり 近くで花を見ることができます。

コブシの花と非常によく似ています。

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こちらがコブシの花です。花の付け根に 葉が一枚付いているのが コブシで

タムシバは 花の付け根には葉がありません。

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藪椿も あちこちで満開です。今はきれいでいいのですが 夏になると

葉や茎に 茶毒蛾の幼虫が発生して 体に葉が触れると 空中に毒針をまき散らして それが肌に

刺さると 痒くて夜も眠れなくなる ひどい害虫ですが、厄介なことに その毒針は極細で

人の目には見えません。毎年夏にはテレビニュースで 「公園で遊んでいただけの子供が 夜中に

あまりの痒みに泣き出した」という茶毒蛾幼虫毒針の被害を報じています。

他の市町村の事は知りませんが 大阪府や河内長野市の無知な職員達は 岩湧の森のあちこちや登山道

など、遊びに来た人たちが 触れそうな場所に椿、山茶花を大量に植えています。

こういう木を植えたら、定期的に消毒作業をして茶毒蛾の発生を防ぐのが 常識ですが

馬鹿職員たちは 植えたまま ほったらかしなので 私をはじめ何人も被害者がでるのです。

そこで私はガの幼虫のいない冬に 山道に近いところの枝は極力切り落とすようにしています。

毒針は目に見えないくらい小さくて こいつにやられると1週間くらい 夜も

眠れないほどかゆいのですがマダニのように噛まれて死ぬことは無いのでマダニよりましですが。

 

ところがある冬の日に 椿の枝を切り落としていると 女性のグループが通りかかり 私に

何をしているのか聞くので 説明しました。するとその女性の一人が

「ダメダメ、何しているの。茶毒蛾の幼虫は 脱皮した後も サナギに大量の毒針を残した

ままなので 真冬でも 木をゆすれば毒針が飛んでくるのよ。茶毒蛾に安全な時期なんてないわよ」

と教えて頂きました。そこで冬に枝打ちするときは レインスーツを着てフード、ゴーグル、

マスクの完全武装で 作業するようにしています。

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紫花奈(むらさきはなな)、別名を花大根、またの名を大紫羅欄花(おおあらせいとう)

または諸葛采(しょかっさい)とたくさんの名前を持つこいつは 岩湧の麓の道端に

群生しています。

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この菫はなんという菫なのでしょうか。鉾葉菫(ほこばすみれ)の葉にはこんな白い筋はないし。

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黄華鬘(きけまん)もあちこちで咲いています。華鬘とは仏具の一つです。

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沢筋や水辺では 山ネコノメソウがたくさん咲いています。

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ミヤマカタバミも咲きだしました。京都冷泉家の家紋は このハート形の葉ですね。

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破れ傘(にしのやまたいみんがさ)もびっしりと 生えてきました。

夏を過ぎると こいつらは とても地味な花をつけます。

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雪笹(ユキザサ)の蕾も出てきました。もうすこしすると 線香花火のような

かわいい花をつけますが、ユリ科の花です。あのユリとは想像できませんが。

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いつもの群生地に白花猩猩袴を見に行くと やっと花を咲かせていました。

今年は例年より 1か月ほど遅いですね。なぜでしょうか。

いつものように冬に積雪しなかったからでしょうか。

猩猩(しょうじょう)とは能に出てくる大酒飲みの化け物で そいつが履いている袴の形に赤い花の色

(普通の花は赤紫です)を酔った顔の色に見立てて 袴をはいた大酒飲みの猩猩の姿ににているから命名

されたという非常に格調高い名前です。

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おわり

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今年も岩湧山の山焼きが行われました。 その1 2024年4月7日

2024-07-05 06:33:32 | 岩湧の森の四季の風景

今年も岩湧山山頂部(大阪府河内長野市)の山焼きが行われました。

山頂部のススキは 冬の間に滝畑村民により刈り取られて

茅葺の建物の復旧に用いられます。

最近は茅葺屋根の民家が かなり減ってきたので 主に文化財の

建物の屋根に吹き替えられるそうです。

山焼きをすることにより、良質なススキ(萱)が得られるということです。

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岩湧山の山焼きその後 その1

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山頂直下のトイレ前から見上げた山頂付近の焼け跡です。

事前に刈り取られた部分は黒く焦げていますが、刈り残された部分のススキは

燃えないでそのまま残っています。不思議ですね。なぜ燃えないのでしょう。

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登っていくと焦げ臭いにおいが 漂ってきます。2時間ほど前まで燃えていた割には

熱気は全くありません。

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貴重な山朱鷺草(やまときそうー絶滅危惧種の朱鷺草の仲間)の群生地も このとおりです。

不思議ですね。毎年焼け跡から芽を出して夏の初めに花を咲かせるのですから。

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焼け跡の向こうに 金剛葛城の峰々がみえます。今日は花粉と黄砂で霞んでいます。

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ふもとの河内長野市街も霞んでいて 見えません。

晴れていて空気が澄んでいれば、正面奥にPL平和の塔が見えて そのさらに奥に天王山や

ポンポン山、そして更にその奥に京都清滝の愛宕山が見えるはずなのですが。

今日は黄砂と花粉がすごいですね。

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登り続けていると 山頂とその先にお弁当広場が見えてきました。

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三角点のある山頂を通過して お弁当広場へ向かいます。

この道もダイヤモンドトレイル、ダイトレです。

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お弁当広場では若者がなにか 大騒ぎしています。

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お弁当広場です。ここは燃えていません。ここから周囲に向かって火を放つからです。

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ダイトレをそのまま 南へ歩いて降ります。

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葉場山火口(はばやまぼくち)も焼けずに済んだようです。

これらの 焼け残った草木は 明日から滝畑の人が 草刈り機ですべて

切り倒します。質の良いススキを育てるためだそうです。

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私がいつも利用するお弁当広場が見えてきました。

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お弁当広場も無事です。真ん中のダイトレの道から 両側へ火を放つので このベンチも

無事なのです。

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ダイトレを更に 南へ向かって降りていきます。

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不思議なことに この一角だけ焼けていません。タチツボスミレもみな無事です。

不思議ですね。

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その2へ続く

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世界遺産大峯奥駈道 桜咲く吉野山を歩いて青根ヶ峰へ その3 2024年4月12日

2024-07-02 09:52:15 | 世界遺産大峯奥駆道を歩く

吉野山 その3

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ここで分岐です。奥駈道は左の道ですが、右の石畳の道を進みます。

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この辺りも桜が見事です。

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西行庵に到着です。西行はここで庵を結び ひっそりと暮らしたそうです。

ちなみに西行は 奥駈道も歩いています。平治の宿に西行の歌碑が立っています。

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西行庵の周りではたくさんの人が休憩してお弁当を食べています。

私もここで昼食にします。ここへ来る途中の道中でお握りやお弁当を買っていたのです。

8時50分に歩き出して 12時30分です。3時間40分かかりました。

桜を眺めたり、写真を撮ったり、あのお祭り行列で 30分以上足止めされた

時間も含みます。

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食後 午後1時に再び歩き出しました。

ここは石清水です。西行もここで歌を詠んでいるようです。

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歩いてきた道です。桜の奥に西行庵があります。

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再び奥駈道に戻ってきました。ここから青根ヶ峰を目指します。

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この辺りが 奥駈道第七十番靡き愛染宿跡です。

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いつの間にか奥駈道は 林道になっています。

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ここでまた分岐です。右の道は今まで歩いて来た林道をそのまま歩き続けて山上が岳手前の

四寸岩山へ行く案内です。奥駈道は青根ヶ峰を通るのでここは左へ進みます。

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丸太階段をしばらく登ると

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青根ヶ峰到着です。ここをそのまままっすぐ降りると 吉野町の陽炎の滝に出ます。

奥駈は右方向へ進みます。

私は今日の目的地はここなので ここで引き返します。

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先ほどの青根ヶ峰から右へ進むとこの林道に出るのでここを引き返します。

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遠くに見慣れた山が見えます。右が大和葛城山、左が金剛山です。

いつも見慣れた景色ですが大阪側から見るのとは 右左が逆になっています。

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道中の役行者様に無事に歩いてこられたお礼をしつつ下ります。

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午後二時前後ですがまだまだたくさんの人が登ってきます。

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何故か車がたくさんどんどん降りていきます。たくさんの人が歩いているのに。

おかしいなあ 今日は下千本から上千本まで 歩行者天国のはずなのに。

こんなにたくさんの観光客が吉野山の桜を楽しんで歩いているのに

車を通したらだめですよねえ。警察もあのお祭り行列の警備も大変ですが

もっとこんな車を取り締まらないと。事故が起きますよ。

これらマナーの悪い車は ほとんどが奈良県外車でした。要するに他府県の観光客です。

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中千本商店街もまだまだ人であふれていました。

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今日はスマホを持ってくるのを忘れたので ジオグラフィカの軌跡がありません。

大峰奥駈道地図に歩いた軌跡をプロットしました。ブルーのラインです。

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駐車場をスタートしたのが 午前8時50分、西行庵に着いたのが12時30分。

休憩後 午後1時にスタート、青根ヶ峰に13時40分着。

駐車場には 15時40分帰着です。

休憩時間を除くと 登り3時間40分プラス西行庵から青根ヶ峰40分で、4時間20分。

下りは祭りの行列もなく、桜の写真もほとんど撮らずに 2時間です。

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おわり

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世界遺産大峯奥駈道 桜咲く吉野山を歩いて青根ヶ峰へ その2 2024年4月12日

2024-06-30 09:31:16 | 世界遺産熊野古道を歩く

吉野山その2

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この行列は 終わりそうでなかなか終わりません。

なんせお祭りなので じっと通り過ぎるのを待つしかありません。

横切ったり 追い越したりしないでと 繰り返し町内放送していますから。

警察官も見守っているし。

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終わったかなあと 歩き出そうとすると 途端に警察官に制止されます。

しょうがない、じっと待つか。

金髪の女の子は赤鬼に手を振っています。怖くないらしい。

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やっと行列が終わったので 桜本坊へお参りに行きます。

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境内の大きな枝垂れ桜は 満開で 風に揺れてとてもきれいでした。

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この桜本坊は 奥駈を縦走する人の拠点の一つです。

吉野からスタートする人(逆峰ぎゃくふ といいます。本宮大社からスタートするのを順峰じゅんぶ)

といいます。)は 六田の渡しを出発して ここに泊まりあくる日の早朝出発して大峰山(山上が岳)

を目指します。

昔河内長野市滝畑の猿子城山を登っていた時、ご夫婦で登ってこられた方にお会いしました。

お話しするうち 私が奥駈道が好きで よく歩きに行くというと なんとその方は この桜本坊の

支配人をされている方で 脳梗塞を発症されてそのリハビリに 猿子城山を登っておられたのです。

今度ぜひ泊まりにおいでなさいとおっしゃられてお別れしました。

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続いて竹林院もちらっと見学。ここは高級料理(高額な料理)の宿坊で有名です。

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あちらこちらの桜を眺めながら登っていきます。山桜がいたるところで 満開です。

とてもきれいで、今日来てよかったなあ。

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花矢倉展望台に到着しました。

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ここで少し休憩しました。たくさんの人が休憩したり、何か食べています。

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ここからは先ほどの蔵王堂が見えています。

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休憩後 さらに登ると 吉野水分(よしのみくまり)神社に到着しました。

ここは奥駈道第七十二番靡き(なびきー行場の事です)です。

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この神社の境内の桜の大木は満開で、たくさんの人が写真を撮っていました。

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更に歩いて行くと 道端に奥駈道らしい 石碑が出てきました。

山の中の奥駈道にもこのような石碑がたくさんあります。

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金峰神社の参道に到着です。この参道が奥駈道の古道となっているようです。

左の車道は奥駈道とつかず離れずで ずっと続いています。昔、山上が岳手前の

四寸岩山あたりで 何回かこの車道を歩かされた記憶があります。

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参道の途中に 見事な桜スポットがありました。

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金峰神社に到着し、参拝します。ここが奥駈道第七十一番靡きです。

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金峰神社の横の道をのぼります。西行庵へ向かう道です。なかなかの急登です。

ここでもたくさんの人が行き来しています。

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この地図は奥駈道の地図のうち 奥千本あたりを取り出したもので車道と複雑に

絡み合っています。

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その3へ続く

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