古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて九州北部へ その1-2
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若宮には 大鷦鷯(おおさざき)大王(のちの贈り名を仁徳)が祀られています。
しかしなぜ宇佐神宮で大鷦鷯なのでしょうか。よくわかりません。
最も大鷦鷯は誉田別の皇子とされていますから それでついでに祀ったのかもしれません。。
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この橋を渡り 下宮へ参ります。
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下宮の拝殿です。
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ここも上宮と同じく左から 一之御殿、二之御殿、三之御殿となっています。
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扉の格子から本殿を見たところです。
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少し離れてみると 本殿が三棟あるのが分かります。
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この八坂神社にはなんとあの素戔嗚が祀られています。つまり徐福です。
徐福は素戔嗚と記紀に書かれてからは あちこちの神社で祀られています。
京都の松尾大社や京都祇園の八坂神社でも祀られています。
しかしなぜ宇佐神宮で素戔嗚なのでしょうか。よくわかりません。
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宇佐神宮の前に 神武大王の顕彰碑なるものがありました。
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なにげなく碑文を読むとなんと 神武大王の東征の折、神武が宇佐に立ち寄りこの地に「足一つ上がりの宮」を立てて
宇佐王家から接待を受けたと書いてあります。
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西暦165年頃に九州物部王家の彦渚武王の三人の皇子 物部の五瀬、稲飯、三毛入りが熊野へ上陸して
ヤマトの磐余入りしたのが第一次東征です。
西暦246年頃に 物部宇佐王国連合軍を率いて 豊玉姫女王が 宇佐に立ち寄り宇佐兵を集めたといわれています。
この時宇佐に滞在したのが 駅館川(やっかんがわ)の川岸の「足一つ上がりの宮」と言われています。
つまり記紀制作者は このことを知ったうえで 前後2回の東征を一つにまとめて物語にしました。
総大将を架空の神武として 豊玉姫女王の足跡をぱちったのです。
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足一つ上がりの宮を訪ねてあちこち歩きました。市役所裏手の河川敷あたりかと思いきや
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神武顕彰碑の碑文によればこの橋の右側に足一つ上がりの宮があったそうです。
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駅館川河口も観ました。この辺りまで来ると 駅館川も大河の雰囲気ですね。
戦艦が多数入ってこれる感じです。
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安芸の宮島で病になり 病気療養中に亡くなった宇佐豊玉姫女王は 宮島に仮安置された後 宇佐に帰り
院内町の奥山という 宇佐神宮が見える山に埋葬されたと伝わります。その奥山をマピオン地図で探したのですが
分かりませんでした。奥山はいずこ。あの山並みの内の一つでしょうか。
大阪に帰宅してしばらくして気づいたのですが ひょっとすると宇佐神宮から見える あの遥拝所の
御許山に葬られたのではないかという気がしました。機会があれば次回は あの御許山に登ってみたいものです。
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宇佐神宮はこれで終わりです。
次は その2 宗像大社です。
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