アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて九州北部へ その1-2 宇佐神宮 2022年4月1日

2022-06-26 23:47:17 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて九州北部へ その1-2

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若宮には 大鷦鷯(おおさざき)大王(のちの贈り名を仁徳)が祀られています。

しかしなぜ宇佐神宮で大鷦鷯なのでしょうか。よくわかりません。

最も大鷦鷯は誉田別の皇子とされていますから それでついでに祀ったのかもしれません。。

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この橋を渡り 下宮へ参ります。

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下宮の拝殿です。

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ここも上宮と同じく左から 一之御殿、二之御殿、三之御殿となっています。

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扉の格子から本殿を見たところです。

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少し離れてみると 本殿が三棟あるのが分かります。

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この八坂神社にはなんとあの素戔嗚が祀られています。つまり徐福です。

徐福は素戔嗚と記紀に書かれてからは あちこちの神社で祀られています。

京都の松尾大社や京都祇園の八坂神社でも祀られています。

しかしなぜ宇佐神宮で素戔嗚なのでしょうか。よくわかりません。

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宇佐神宮の前に 神武大王の顕彰碑なるものがありました。

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なにげなく碑文を読むとなんと 神武大王の東征の折、神武が宇佐に立ち寄りこの地に「足一つ上がりの宮」を立てて

宇佐王家から接待を受けたと書いてあります。

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西暦165年頃に九州物部王家の彦渚武王の三人の皇子 物部の五瀬、稲飯、三毛入りが熊野へ上陸して

ヤマトの磐余入りしたのが第一次東征です。

西暦246年頃に 物部宇佐王国連合軍を率いて 豊玉姫女王が 宇佐に立ち寄り宇佐兵を集めたといわれています。

この時宇佐に滞在したのが 駅館川(やっかんがわ)の川岸の「足一つ上がりの宮」と言われています。

つまり記紀制作者は このことを知ったうえで 前後2回の東征を一つにまとめて物語にしました。

総大将を架空の神武として 豊玉姫女王の足跡をぱちったのです。

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足一つ上がりの宮を訪ねてあちこち歩きました。市役所裏手の河川敷あたりかと思いきや

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神武顕彰碑の碑文によればこの橋の右側に足一つ上がりの宮があったそうです。

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駅館川河口も観ました。この辺りまで来ると 駅館川も大河の雰囲気ですね。

戦艦が多数入ってこれる感じです。

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安芸の宮島で病になり 病気療養中に亡くなった宇佐豊玉姫女王は 宮島に仮安置された後 宇佐に帰り

院内町の奥山という 宇佐神宮が見える山に埋葬されたと伝わります。その奥山をマピオン地図で探したのですが

分かりませんでした。奥山はいずこ。あの山並みの内の一つでしょうか。

 

大阪に帰宅してしばらくして気づいたのですが ひょっとすると宇佐神宮から見える あの遥拝所の

御許山に葬られたのではないかという気がしました。機会があれば次回は あの御許山に登ってみたいものです。

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宇佐神宮はこれで終わりです。

次は その2 宗像大社です。

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「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」トップページはこちらです。

http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて九州北部へ その1-1 宇佐神宮 2022年4月1日

2022-06-21 10:19:05 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて

今年2022年の春は 九州北部を回ってきました。

各地の桜を訪ねるのと 古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねるためです。

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その1 まず宇佐神宮を訪ねました。

親魏和王に認定された和国の女王こと 宇佐王家の豊玉姫のふるさと宇佐神宮を訪ねる

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出雲王国民の末裔の私としては 宇佐はあまり好きではありません。

というか はっきり言って嫌いです。

なぜならば九州物部王家のイクメ王の第二次東征に従い、イクメ王の別動隊として渡来朝鮮人卑ボコの子孫の

田道間守(たじまもり)が日本海を東進し、東出雲王家を攻めて神聖な田和山神殿を破壊して、大きな損害を

出雲王朝東王家に与えました。

その昔、辰韓の王子卑ボコは 父親の王に嫌われたのか 家来と財宝を与えられて 国を追われました。

出雲王国に上陸しようとしたときに 出雲の王に「出雲の法律を守り、出雲の民と仲良くできるか」と聞かれましたが

卑ボコは心が荒れていたらしく、それを拒否したために上陸を拒否されました。

そのため卑ボコたちは但馬の丸山川上流湿地帯で 人の住めない場所に上陸して 苦労して開拓開墾して住んだと伝わります。

そのため卑ボコは終生出雲王国を恨んでいたということです。

卑ボコ子孫の朝鮮系の田道間守は その恨みを晴らしたかったのです。まさに逆恨みというやつですね。

田道間守の襲撃の後 続く物部軍の東出雲王家領への侵入時に 徐福の忠実な部下の矛卑(ほひ)の子孫の矛卑家の 

韓比佐とその息子ウカツヌクに出雲王国軍の手薄な場所を手引きされた物部軍は 激戦の挙句に東出雲王家を降伏させました。

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一方 日本海を進んだ物部軍率いる曙立王(あけたつおう)と豊国軍を率いる宇佐家の菟上王(うのかみおう)は 

西出雲王家を責め立てて 多くの犠牲者を払いながら西出雲王家の神門臣家を降伏させさせました。

この時も矛卑家の韓比佐たちが 出雲軍の手薄な場所を熟知していて 物部軍を手引きしました。

つまり出雲王国民にとって 渡来朝鮮人卑ボコの子孫田道間守や渡来秦国人 矛卑(ほひ)の子孫矛卑家の人間や宇佐王家は

憎き存在なのです。

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ちなみに 田道間守はヤマトへ一番乗りして、遅れて大和入りした物部軍の総大将イクメ王のいうことを聞かなくなり、

自分がヤマトの王のように振る舞いだしたのです。

困り果てたイクメ王は旧出雲王家の富家の 富太田彦に ヤマトへ進軍して田道間守を追い払うように秘密裏に

要請したのです。

旧東出雲王家の富(とび)太田彦は 憎き物部軍は大嫌いでしたが 出雲の神聖な田和山神殿を破壊して たくさんの出雲兵を

殺した田道間守をもっと憎んでいました。

 

そこで太田彦は イクメ王の要請を聞き入れて 野見太田彦と名前を変えて出陣して大和へ出雲軍を率いて入り、憎き田道間守

を見事蹴散らしました。

記紀はこの時の戦争を隠して 當麻蹴速(たいまのけはや)と野見の宿祢(のみのすくね)の相撲勝負のおとぎ話に書き換えて

います。

持統女帝の記紀編集方針で 自分たちは天から降りてきた神の子の子孫であり、血で血を洗うような政権交代など

なかったことにしたのです。

また田道間守亡き後の子孫が 息長家(おきながけ)であり、息長帯比売(おきながたらしひめ)が神功皇后となられるのです。

そして矛卑家の子孫が今の出雲大社の宮司家です。出雲大社の由緒書きを読むと祖先は矛卑だと書かれています。

このブログのヒミコのまとめの章でそこのあたりを詳しく書いていますのでお読みくだされませ。

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宇佐神宮上宮境内です。広くて立派です。

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神社の由緒書きです。

三棟の本殿の真ん中は比賣大神としか書かれていませんが 神社の公式ホームページを見ると 比賣大神とは

なんと宗像三姉妹の名前がはっきりと書かれています。つまり宇佐家の姫は書いて無く 他家の宗像家の

有名な三姉妹が書かれていて びっくりです。

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ちなみに宗像三姉妹の長女の田心姫(たごりひめ)は出雲王家第七代主王(役職名 大名持)の天之冬衣(あめのふゆぎぬ)

に嫁がれて 高照姫をお産みになりました。高照姫は徐福が第一回目に石見の五十猛海岸に上陸した後に 徐福に

嫁がれました。 

また田心姫は 第八代副王(役職名 少彦)の八重波津身をもお産みになりました。

東出雲王家の富家と 西出雲王家の神門臣家は 主王と副王をそれぞれ 交代で出していました。

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次女の多岐津姫(たぎつひめ)は出雲王朝第八代主王の八千矛(徐福や矛卑に殺されて記紀では大国主と書かれた)

に嫁がれて味鋤高彦をお産みになり 味鋤高彦の姫の大屋姫が徐福の長男五十猛(香語山)との間に高倉下をお産みになり

その子孫から武内太田根(武内の宿祢)が出てその子孫から平群王朝の幾多の大王が排出されました。

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宗像三姉妹の末娘の市杵嶋姫は二度目に和国に上陸した徐福に嫁がれて 穂穂出見や穂屋姫を

お産みになりました。穂屋姫は徐福の長男香語山との間に 初代大和大王となった天の村雲や

九州物部王家を立ち上げた穂穂出見をお産みになりました。

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つまり宗像三姉妹は出雲王家の九州分家である宗像家の姫であり、宇佐王家の姫ではございません。

和国の女王として 魏の和国駐在武官張政から直接肩に錦糸のタスキを掛けられて 和国の女王として

魏に認められた 宇佐王家の豊玉姫の名前はどこにもありません。完全に豊玉姫の存在が消されています。

 

記紀がその存在を完全に消した宇佐王家の女王を 堂々と描くわけにはいかなかったのでしょう。

なんせ記紀作成を指揮した不比等は 時の右大臣で、政権の最高権力者ですから その意に反することはできないのです。

ちなみに記紀は魏書に登場するヒミコをも完全に無視しています。

和国が魏の属国だった事実を隠したかったのでしょう。

またヒミコを神功皇后と思わせたかったのでしょう、神功皇后の活躍をことさら大きくしていますね。

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朝鮮の三韓征伐で息長姫が頼った 日向襲津彦の大きな力で 大成功した息長姫は 襲津彦の子供の皇子を

6歳で夭折させます。辰韓の血筋が途絶えると 三韓からの税収が途絶えることを恐れた息長姫皇后は 当時親交のあった

上毛野国造家(かみつけのくにのみやつこけ)の竹葉瀬の君(たけはせのきみ)が同じ6歳だったので 彼を秘密裏に

息長姫の養子として育てます。

上毛野国造家は 宇佐王家の豊玉姫の長男豊彦の子孫なのです。

長じて誉田別(ほむたわけ)皇子は誉田別大王(のちの贈り名を応神)として即位されたのです。

宇佐家から出た初めての大王誕生に非常に喜んだ宇佐家が 本殿を追加して誉田別大王を祀ったのです。

それと世間的にその生母とされる 息長帯比売の御本殿も追加して 本殿が計三棟となったのです。

そこのあたりもヒミコのまとめに書いていますので このブログの二番目のヒミコ豊玉姫の項をお読みくださいませ。

 

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勅使門(南中楼門)です。この前で女王の豊玉姫は宇佐の兵士を集めて 出陣の激励をしたといわれます。

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一之御殿です。

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三之御殿です。

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一之御殿と三之御殿は同じ造りに見えました。

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真ん中の門からは中の本殿は全く見えませんでした。

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この窓から見える山は御許山(おもとやま)と呼ばれていて 宇佐王家の始まりとなる神聖な場所だそうです。

この場所はその遥拝所です。

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その1-2へ続く

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春の雪と春の妖精たち(スプリングエフエメラル)の岩湧の森 2022年3月22日

2022-06-19 10:00:15 | 岩湧の森の四季の風景

3月も下旬になり、あちこちで桜の開花の情報が飛び交う中で 昼から岩湧に登りました。

なんと山頂付近は白く雪化粧していました。

しかし登山口付近の森の中では、いつもの場所で、いつものように春の妖精たち

(スプリングエフェメラルー春の移ろいやすいもの、俗に春の妖精たち)が

きちんと咲いていました。

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林道にも登山道の「きゅうさかのみち」にも雪は全然見当たりませんでした。

それはそうですよね、各地で桜の開花情報が 毎朝のニュースで流れるくらいですから。

「きゅうさかのみち」11番ポイントで 突然雪があらわれてびっくりです。

そういえば午前中自宅周りでは 雨が降り続いていましたけど 裏山では雪が降っていたのですね。

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登るにつれてそこらじゅうに雪が積もっています。

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ダイトレ出会いの東峰です。

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トイレ前にも積もっています。

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千石谷林道です。

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山頂へ向かうダイトレです。

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山頂付近のこの辺りは 萱刈りが終わり雪が積もっています。

春の山焼きの前の萱刈りです。告知看板では 4月3日の日曜日が山焼きだそうです。

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山頂付近は雲が立ち込めて 周りがよく見えません。

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向こうのピークが山頂です。

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雲が無ければ我が家が見えるはずなのですが。

雲が左から右へゆっくり流れていきます。とてもきれいです。

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山頂広場は雲に包まれて見えません。幻想的できれいですね。

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山頂到着です。

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お弁当広場には誰もいないようです。

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お弁当広場に到着です。やはり誰もいません。もったいないですね。こんなきれいな日に来ないなんて。

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滝畑ダムも大阪湾も関空も全く見えませんが雲がどんどん流れてとてもきれいです。。

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平野へ向かって ダイトレを降ります。

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平野でUターンして 再び100mの標高差を登り返します。

下りも登りも 幻想的でとてもきれいです。

この後早春の花たちを見に行きます。

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白花猩猩袴(しょうじょうばかま)です。3日ほど前はほとんど蕾でしたが ようやく開き始めました。

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「ぎょうじゃのみち」コースのあちこちにフキノトウが顔を出していました。

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同じく「ぎょうじゃのみち」コースの水場のあちこちに ヤマネコノメソウが咲いています。

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この後、日が暮れかけて 写真が撮りにくくなったので 次の三枚の写真は次の日に撮りました。

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雪割一華(ゆきわりいちげ)です。3月初旬から咲いています。

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私の好きな可憐な花 芹葉黄連(せりばおうれん)です。2月下旬から咲き始めてもう終わりに近いです。

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登山口近くの林道沿いには 紫花菜(むらさきはなな、別名諸葛采または花大根)がたくさん咲いています。

典型的な春の花です。

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岩湧の森トップページはこちらです。

http://yochanh.sakura.ne.jp/kongodaitore/index.html

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古墳の山 龍王山(奈良県天理市)を歩いてきました。 その4 2022年3月8日

2022-06-15 23:51:14 | 季節の風景

龍王山 その4

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どんどん下っていくと柿畑に出ました。

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第一のヒミコ「モモソ姫」が巻向の出雲系大豪族登美家に守られて神に仕え 戦乱の続いた和国に

平和をもたらした 巻向の地が見えます。

※五人のヒミコの記事も「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」に載せています。

http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

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せっかく長岳寺コースを降りてきたのだから お参りしようと長岳寺に参拝に伺いました。

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なんとここから先はお金を払えと書いてあり、びっくり仰天、そそくさと引き返しました。

わざわざお金払ってまで参拝する価値やご利益があるのでしょうか。京都や奈良市内の観光寺

じゃあるまいし。

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無事にトレイルセンターに帰着しました。レストランはコロナ禍なのに大繁盛。

私は初めからお昼ご飯を食べる場所を決めていたので素通り。

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すぐ近くの檜原神社へ行きました。車で5分くらいです。

第二のヒミコ宇佐豊玉姫女王の姫の豊姫(記紀では豊鍬入り姫、魏書では台与「とよ」と書かれた)

三番目のヒミコがここに祀られています。

鳥居の向こうの左手の店がお目当ての店です。

 

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ここに座ってあたたかな春の陽気の中で(山歩きスタート時点はちょうど1度で寒かったのですが)

のんびりとしました。私のお気に入りの場所です。

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いつもの にゅう麺定食を頂きながら

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目の前の満開の梅の花と神社を眺めながらのんびり過ごしました。

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ガーミンの記録です。

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高度と距離のガーミン記録です。

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スマホの無料アプリ ジオグラフィカの軌跡です。

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ジオグラフィカのデーターです。数値はガーミンのほうが正確なような気が最近してきました。

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終わり

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古墳の山 龍王山(奈良県天理市)を歩いてきました。 その3 2022年3月8日

2022-06-13 22:54:31 | 季節の風景

龍王山 その3

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しばらくアップダウンの山道を進みます。

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石段が出てきました。ここは城跡なので 石段を上がれば本丸でしょうか。

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残念、まだ先がありました。と言うことはここは二の丸なのでしょう。

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山頂に到着です。

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本丸跡と書いてあります。ここは戦国武将十市氏の居城跡です。

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奈良盆地が眼下に広がります。遠くに見える山塊は金剛山塊です。

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ダイヤモンドトレイルの南北山塊がすべて見えます。右端のフタこぶが二上山で最高峰の金剛山の左の端が

中葛城山でしょう。

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足元には先ほど横を通って来た なんちゃって崇神陵が見えています。

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大和三山です。左から天の香具山、畝傍山、耳成山です。

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山頂から降りていったん道路に出ます。標識があるので分岐してしばらく進むと泉と祠がありました。

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柳本龍王社と書かれていて 祠の足元には泉がありました。

やはり龍王とは水の神様なのでしょうね。

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再び道路に戻りトイレまで戻ります。トイレ横の標識が長岳寺道の表示でそこを下ります。

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しばらく下ると案内標識がありました。往路で見た優しいお顔のお不動様へ

ここからも行けるそうです。

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またしばらく下ると 今度は別のお不動様がいらっしゃいました。

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往路で見た優しいお顔と違い こちらのお不動様は険しい表情です。

一般的なお不動さんは この憤怒の表情が 多いのですが。

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その4へ続く

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