アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

「古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて」  諏訪湖地方を開発した出雲族  その2

2020-01-30 18:54:56 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて

諏訪湖地方を開発した出雲族  その2
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美保神社と御穂須須美(みほすすみ)
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一方事代主(八重波津身)のもう一人の后の沼川姫は美保関に屋敷があったので美保津姫(三穂津姫)とも呼ばれていました。
そして事代主亡き後 沼川姫は 皇子の建御名方(タテミナカタ)を連れて実家の越の国、今の糸魚川に帰ります。 

しかし沼川姫の姫皇女の御穂須須美、または美保須々美(みほすすみ)は 沼川姫の住まいの美保関の邸宅に残り 
美保神社を建てて父の八重波津身を祀り 一生を美保の地で過ごされます。
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ちなみに八重波津身は記紀で事代主と書かれ 時代が下ると恵比寿様と呼ばれるようになるので
美保神社は恵比寿様を祀る神社ということで 全国の戎神社の総本社になります。

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松江市美保関町は美保神社の門前町です。青御影石の石畳が敷かれた道で土産物屋が並んでいます。
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美保神社の入り口です。
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立派な神門をくぐります。
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立派な拝殿です。全国の戎神社の総本社らしい重厚な造りです。
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拝殿の後ろに本殿があります。
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また美保神社は 美保津姫(沼川姫)と事代主を二柱祀るのでそれぞれ大社造りを二棟建てて それを「装束の間」
と呼ばれる建物で繋いだ形式の建物で美保造りと呼ばれています。

しかしもともとは御穂須須美(みほすすみ)の一柱のみを祀っていたと出雲の国風土記に書かれていたそうです。

しかし出雲風土記はイクメ大王が天下を取った時に都に駆けつけて大王に直談判して 出雲国造に決まっていた物部の十千根を
ひっくり返して 矛卑の子孫の果安が強引に国造にしてもらい 出雲風土記も果安らが作ったことを考えると
事代主と沼川姫の名前をあまり世に出したくないので 娘の美保須々美だけを祭神にしたとも考えられます。

だって事代主を殺して沼川姫を越の国へ追いやった犯人は 矛卑(ほひ)ですからね。
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寒い12月に行われる美保神社「諸手舟神事(もろたぶねしんじ)」です。

美保の沼川姫の御屋敷に滞在していた事代主(八重波津身)のところに 大名持(大国主)が行方不明だという知らせが
早舟で知らされた 故事を現した神事です。
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松江市の駅前商店街には 「沼川姫」と書いたお店があります。以前から気になっていたのですが
何のお店か わかりません。多分おみやげ物屋だったような記憶がありますが。
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沼川神社のこと
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沼川姫と皇子の建御名方は越の国(今の糸魚川市)に帰りますが 建御名方は その後大勢の越の人や
出雲族を連れて諏訪盆地へ移住し諏訪地方の開拓に努力して成功します。

そして建御名方(タテミナカタ)は諏訪地方で絶大な尊敬を集めます。そして沼川姫も。

諏訪大社の主祭神 はもちろん建御名方(タテミナカタ)と 母親の沼川姫です。
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※ 記紀の製作者の持統女帝や不比等たち徐福の末裔たちは 諏訪の人たちから絶大な尊敬を集めた
建御名方が気に入らなかったらしく、記紀では 「出雲へ国譲りの交渉に出かけたタテイカヅチ
なる荒武者と 出雲の王子 建御名方(タテミナカタ)が力比べをして タテミナカタは負けて諏訪湖へ逃げ延びて
「ここから一生出ないからゆるしてくれ」と命乞いをしたと書きました。

ほんま支那人の末裔たち(大和王朝の王家とそれを千年に渡り支え続けて自らの私腹を肥やし続けた不比等の子孫藤原一族)は 
諏訪の人たちにも 出雲王国人の私たちにも失礼千万な スケールの小さな奴らなのです。というかあいつらは
記紀を作り それを国民にごり押しして 和国の歴史を歪めた超悪人なのです。

自分たちが渡来人で出雲王朝を倒して出来た 征服王朝の支配階級だという事を徹底して隠すため 
自分たちの祖先は天上世界から神様が地上に使わした神の子の子孫だなんて でっち上げて 
人民から尊敬されようとしたのですねえ。笑えますねえ。
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拝殿の中です。神社名の額には卑字がつかわれているため 私は沼川神社と書いています。
自分たちの郷土の英雄を祀る神社にこんな卑字をつかうなんて。やめましょうよ。

卑字といえば当時の支那人たちは自分たちが世界で一番優れた民族だと思い込んでいて、(今でもそうですが)
周辺の民族を蛮族と呼び 卑字や動物の字を当てて表記しました。

我が国の和国も卑字で表現したり ヤマト国に馬の字を当てたり 姫巫女や姫皇女のことをヒミコと省略して
卑字で表していました。その卑字を二千年も経った現在でも ありがたがって使っている歴史学者や 
地方の教育委員会の馬鹿たちがいます。

もっと日本人にプライドを持ってほしいものです。

ちなみに奈良県桜井市を訪ねた時に 町の中に大きな看板があり「ヒミコの里」と卑字で大きく書いてあり
唖然としました。日本人のプライドを捨てていますよねえ。

江戸時代に徳川幕府に李氏朝鮮から通商使節が来たときに 親書に和国のことを卑字でかいてあり これに立腹した幕府は
使節を追い返し 書き換えた親書を持ってきて初めて面会したといいます。日本にプライドがあったのですねえ。
現代の一部の馬鹿な歴史学者や教育委員会の人たちも少しは勉強して 日本にプライドをもってほしいものです。


沼川神社はとてもわかりにくかったです。町の人に聞いても皆さんご存じなくて、苦労しました。
そこで市役所の観光課に聞きに行くと なんと市役所の隣にありました。
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拝殿の裏手にあるこじんまりとした本殿です。
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ここにも卑字が使われています。自分たちの誇る郷土の英雄なのに なぜ卑字を使うのでしょう。
多分時の権力者、右大臣の不比等らに 気を使ったのでしょう。
もういい加減にやめましょうよ。藤原家に気を遣うのは。
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屋根の鰹木についている紋は出雲王家の龍鱗紋ではありませんでした。
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本殿の屋根の千木は出雲式の盾削ぎではありませんでした。
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沼川姫の木造です。この神社に伝わっているそうです。
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諏訪湖と諏訪大社
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以前信州山旅をしていた時 諏訪湖畔で車中泊しました。
朝起きてみると湖の中に女の人が立っています。
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近くを散歩中の人に「あの方はどなたですか」と訪ねてもほとんどの方がご存じありませんでした。
年配の方に聞くと「あの方は沼川姫だと思います。悲劇の御姫様ということしか知りません」
とおっしゃっていました。
あとで調べるとやはり沼川姫でした。建御名方の母上です。
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まず諏訪大社上社を訪れました。
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城内配置図です。広いですねえ。諏訪大社には どの社にも本殿はありません。木や山がご神体なのです。
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大国主が祀られていて 建御名方の父神と書いてありましたが これはまちがいです。
大国主(八千矛王)は父ではなく 事代主(八重波津身)が父で 沼川姫が母です。
主祭神は もちろん建御名方と その奥様といわれる 八坂斗女姫です。
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こちらは下社秋宮です。

下社は春宮と秋宮の二社あります。これは出雲王国時代は 春分大祭と秋分大祭の二大宗教行事が出雲で行われて
全国の豪族たちが集まったことが 影響しているといわれています。そして古代出雲王国では 春分の日と秋分の日に
それぞれ1歳年を取ったといわれています。つまり1年に2歳年を取るのです。
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ここには沼川姫が祀られていました。安産の神だそうです。
普通偉人の母親が祀られると 安産とか女性の病気の神とされますね。

空海のご母堂が祀られている九度山の慈尊院境内には 女性のオッパイのぬいぐるみが山積みされて奉納されています。
安産とかお乳がよく出るようにとか 女性の乳がんの平癒とかいろいろいわれて たくさんの方が奉納しています。

役行者のご母堂白専女(しらとうめ)が祀られている奈良県天川村の母公堂(ははこどう)も安産の神とされています。
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下社秋宮にはなんとあの「建て雷(たていかづち)」も祀られています。出雲の国譲りの談判で
建御名方をコテンパンにやっつけたと記紀に書かれたあいつです。ということは 誰がこんなやつを祀らせたのか
すぐ分かりますよね。
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秋宮の手水は温泉が引いてあり 湯気が出ていました。
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下社春宮です。
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ここも立派な建物です。
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広い境内の正面は舞殿でしょうか。
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ここにも越の沼川姫が祀られています。高志とは越のことですね。
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もちろん建御名方も祀られています。
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諏訪湖地方を開発した出雲族  その3へ続く
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「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」のトップページは こちらです。

http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html

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「古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて」  諏訪湖地方を開発した出雲族  その1

2020-01-26 10:12:55 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
<このブログにコメントを頂いた方のご両親と祖父が信州諏訪のご出身と書いてありました。

諏訪といえば 出雲王家の建御名方(たてみなかた)が開拓したことで知られています。

その辺のことをもう少し詳しく述べてみたいと思います。
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諏訪湖地方を開発した出雲族  その1
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徐福の渡来と秦国人による 出雲王国の主王、副王の殺害
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紀元前三世紀末、徐福は大勢の海童たちを引き連れて 最初島根県の太田市五十猛海岸に上陸し 和名を「火明かり(ほあかり)」
と名乗ります。事前に忠実な部下の「矛卑ホヒ」を出雲王朝に使わして 上陸の許可を取り付けるという周到な悪巧みをしてからです。

ちなみにホヒの子孫が今の出雲大社宮司です。上陸した徐福は出雲に住み、出雲王家の高照姫を娶り 長男が生まれ 五十猛(いそたけ)」
と名付けます。徐福の父の名が徐猛と言ったので 「猛」を付けたのでしょう。

自分が出雲王国の王 つまり和国の王となるつもりでやってきた徐福は 当時の出雲王国の主王と副王を亡き者にします。

当時の出雲の 主王八千矛(役職名は大名持で 記紀では大国主とか大黒とか大名持、大汝と書かれた)と副王の八重波津身
(役職名は少彦で記紀では事代主とか少名彦名と書かれた)をホヒや海童たちに命じて誘拐幽閉して殺害し
自分が出雲の王になろうとしますが 王国の組織がしっかりとしていて それが果たせずに いったん秦国へ帰国します。
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五十猛海岸の地図です。
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付近の地名には 駅名をはじめ小学校、交差点など多くの五十猛があります。
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五十猛海岸の神島です。
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神島の説明看板です。
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※徐福が上陸した石見五十猛海岸訪問記事は 2014年4月24日の記事に載せています。
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猪目洞窟の地図です。ちなみに 園の長浜とは 記紀の作り話で大国主が小舟をひっくり返してその中に隠れてしまったという砂浜です。
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猪目洞窟です。説明看板には あの世の世界「黄泉の国」への入り口だと書かれていました。
ほんとのことを書くと 出雲大社の宮司が困りますからねえ。
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粟島の地図です。八重波津身(事代主)は美保関の沼川姫の御屋敷にいたところを矛卑たちに誘い出されて、
つまり大名持が行方不明だから すぐ来てくれと 誘い出され 王の海(今の中海)を西へ向かったまま 
行方不明になったと 向家に伝わっているそうです。
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志都の岩屋洞窟の前には鳥居が建っています。今も聖地なのです。
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大汝(おおなんじ)とは出雲王朝主王の役職名大名持のことです。少彦名(すくなひこな)とは副王の役職名少彦で
記紀では 意図的に間違え表記しています。

万葉集の時代までは 大国主(第八代の八千矛王)と事代主(第八代の八重波津身副王)が洞窟に幽閉されて殺されたことを
人々は知っていたのですね。奈良時代の都の貴族豪族の大半は出雲族でしたから、あたりまえですけどね。
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※大名持が幽閉殺害された猪目洞窟と少彦が幽閉殺害された志津の岩屋の訪問記事はこのブログの2013年3月18日の記事です。
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出雲王国の皇子たちの大和への移住
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徐福、その部下穂日、穂日の息子夷鳥(ひなどり)や海童たちに幽閉殺害された
八重波津身副王(記紀では事代主と書換えられました)の后の一人活玉依り姫(いくたまよりひめ)は皇子の奇日方(くしひかた)
を連れて実家の三島(今の大阪府三島郡島本町)に帰ります。

そして奇日方は三島の人たちや大勢の出雲族とともに葛城地方(今の奈良県葛城氏、御所市)に移住し登美家を名乗ります。

そして 同じく徐福や穂日らに幽閉殺害された 八千矛王(記紀では大国主と書換えられました)の皇子 
味鋤高彦(あじすきたかひこ)も大勢の出雲族を引き連れて葛城南部に移住し 高鴨家を名乗ります。

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出雲王国内で暴れまわる海童たち秦国人たちとの共存を嫌い、葛城地方(今の金剛山、大和葛城山の山塊の東側)に
移住した 出雲王家の皇子たちの勢力図です。

しかし徐福の息子の五十猛も丹波地方に移住して 「香語山」と名乗ります。そして香語山は 父徐福と九州宗像家の市杵嶋姫との
間に生まれた穂屋姫(つまり香語山の母違いの妹)と結婚します。

そして香語山と穂屋姫との間の長男が「天の村雲」で 出雲王家に遅れて大和葛城地方へ乗り込んできました。

大和入りした徐福の孫の天の村雲たち秦国からの渡来グループはヤマトで強大な勢力となります。
紀元前2世紀の当時では 数千人規模の海童たちは すごい数の勢力なのです。

そこで 出雲王族の二人、味鋤高彦(あじすきたかひこ)と奇日方(くしひかた)は ともに天の村雲が初代大和大王
になるのを助けて支持します。

初代大和大王(おおきみと呼ばれていました。天皇と呼ばれたのは天武から後のことです。)の皇后となったのが
奇日方の妹「踏鞴五十鈴姫(たたらいすずひめ)」です。そして生まれたのが皇子の「沼川耳(ぬなかわみみ)」
で二代目大和大王となります。

※ 記紀は天の村雲の名前を消して「神武」という架空の名を作りますが 二代目の沼川耳、三代目の玉手看(たまてみ)などは
そのまま記紀に名前が書かれています。しかしイクメ大王(垂仁)前後からは記紀の大王名はむちゃくちゃになります。
このブログの記事でも詳しく取り上げて訪ねています。

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天の村雲達が建てた 葛城坐火雷神社(かつらぎにいますひといかづちじんじゃ)通称笛吹神社です。
火と雷とは製鉄法の踏鞴(たたら)のことです。

海童たち秦国人の子孫は故郷を偲び 陶塤(とうけん)と呼ばれる土笛を吹いていました。
それで笛吹神社とも呼ばれるのです。

陶塤はオカリナの仲間の楽器で掌で握る卵形の楽器で 七つの穴が開いている土笛です。
海童の子孫のハタ族と呼ばれる秦国人の子孫たちが住んだ地域から たくさん発掘されています。

松江市の西川津や古浦砂丘の遺跡から多数発掘されていて ハタ族の住んだ長門地方、また徐福の長男香語山
(五十猛)が移住した丹後半島、などでも多数出土しています。
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鴨都波神社は東出雲王家の向家の皇子奇日方(くしひかた)が中心になり移住開拓し、高鴨神社や一言主神社を建てました。
主祭神はもちろん事代主です。彼らは後に登美家と名乗るようになります。
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高鴨神社は西出雲王家の神門臣家の味鋤高彦(あじすきたかひこ)を中心として出雲族が移住開拓して
高鴨神社を建てました。

祭神はもちろん父親の八千矛王のはずですが なぜか事代主です。それと下照姫です。
下照姫は父八千矛王と八神姫との姫皇女で味鋤高彦の母違いの妹です。

彼らは高鴨家とか賀茂家と名乗ります。ちなみに古代出雲では 神のことを「かも」と発音し
後に鴨の字があてられました。
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※大和葛城地方へ移住開拓した出雲族の足跡を訪ねる記事は 2013年2月13日に載せています。
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諏訪湖地方を開発した出雲族  その2へ続く
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松江の四季  晩秋の松江の風景  松江城、月照寺、楽山公園 2019年11月27日

2020-01-23 10:15:21 | 松江の四季
晩秋の松江市をあちこち歩きました。
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松江城
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お濠の周りのモミジも紅葉して まだ残っていました。昨日の大山は完全に冬景色でしたから 少し安心しました。
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城内のモミジも朝日を浴びて光りきれいです。
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お城の前のモミジも残っていました。
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このモミジは ちょうど朝日の逆光で少しかすんで見えます。
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お城の前に新しいお店ができていました。何の店なのでしょうか。レストランかな。
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堀川遊覧船は今日もたくさんの観光客を乗せて大忙しです。ほとんどの船が出払っていました。
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月照寺  松江松平公の菩提寺
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寺の入り口のこのモミジも見事です。
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松平治郷(茶人として有名な松平不昧公のことで家康から九代目です)のお墓に詣でました。しかしこの後まさか不昧公の子孫と
たまたま出会うとは夢にも思いませんでした。
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寺には500円払って入りますが もう500円払うと座敷(庫裡)に上がりお抹茶を飲ませてくれます。
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庭はよく手入れされています。当たり前ですよね。お金を取って人に見せているのですから。
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この庭を見るのは今日で2回目ですが
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以前も思いましたが 京都の圓徳院ととても似ている気がします。
圓徳院はこじんまりとした寺院で 秀吉の正妻寧々の晩年の住まいです。その庭は小堀遠州の作です。
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千利休も訪れたという茶室です。
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嵐山公園
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そのあと楽山公園へモミジを見に行きました。
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ここにもまだまたきれいなモミジがたくさん残っていました。
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夏はこの東屋に座って池を眺めると涼しくて とてもお気に入りの場所です。
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よく見ると左のほうで 人が雑草を取ったり雑木の枝払いをしています。
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私と目が合ったので ボランティアの方のように見えたので「ご苦労様です」と言ってお話していると なんとこの方は
松平不昧公の子孫だというのです。私がたった今不昧公の墓参にいったところだというと 月照寺住職との軋轢を
延々と話し始められました。私は今から大阪へ引き上げるのだと言って別れました。

ほんとびっくりしました。つまりこの方は 家康の9代子孫の方なのでした。
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この方に聞いたブログの写真の系図です。
ブログはこちらです。興味のある方はどうぞ。
http://www.mable.ne.jp/~ubshacmg/document/2.html
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ということで 久々の松江の風景でした。
さて今度はいつ松江に帰れるのでしょうか。
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季節の風景トップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kisetsu/index.html
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「四季の大山を歩く」 霧氷の大山を歩く 2019年11月26日 その5

2020-01-20 09:24:10 | 四季の大山を歩く

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「霧氷の大山を歩く」でその5をアップするのを忘れていました。
遅ればせながら その5をアップします。
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霧氷の大山 その5
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元谷に降りて振り返ると荒々しい北壁は雲に隠れて見えません。
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元谷を横切ります。
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ここから再び行者の道へ入ります。
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この道も紅葉はほとんど落ちていました。
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三鈷峰やユートピア方面の登山口をすぎて そのまま下山します。
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大神山神社に到着です。
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参拝して神社の御札を頂きました。

ダイセンはもともと 大神山と呼ばれていました。古代出雲王朝の国教は「幸ノ神三神」でした。
父神クナト大神をこの山に祀り王宮から遥拝していました。母神は佐比賣の命(さひめ)でいまの三瓶山に祀られました。
皇子神は猿田彦大神で出雲市の鼻高山(はなたかせん)に祀られました。サルタとは古代インドドラビダ語で鼻の高いという意味で
つまりヒンドゥーのガネーシャ、象神です。

大神山は中世の大山寺僧兵たちにより名前がだいせんと変えられてしまいました。須弥山しゅみせん の音を
まねたのでしょう。1500年以上親しまれた名前をゴロツキ僧兵どもが変えてしまいました。

佐比賣山も伝統ある気高い名前を 明治政府の無学な田舎侍どもが さんべさん と変えてしまいました。

鼻高山は今もそのままです。
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石畳の大神山神社表参道を下ります。この道は日本一長い 自然石を敷き詰めた道だそうです。
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神聖な神社境内にゴロツキどもが侵入してきて この石で力比べをして遊んだそうです。
こんな力比べなんて 仏教になんの関係もありませんね。

僧は仏法の勉強をするものなのに こんな力自慢をしてあそんでいたなんて やはり ごろつき集団ですね。
一時はごろつきが3000人もいたそうです。

しかし中世の大寺院はどこも こんなごろつきの巣でしたね。幼少期の弁慶も修行した出雲の鰐淵寺がくえんじ
や紀州の粉河寺、根来寺、そして信長に攻め落とされた比叡山もそうですね。
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モミジが少しだけ残っていました。
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落ち葉焚きを見つけました。風情がありますね。
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大山寺はパスします。
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旅館街の紅葉もきれいです。
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これは見事な満天星(どうだん)つつじです。
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新しいしゃれたレストランができていました。
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モンベルマーケットの前を通り
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登山、スキー用品店の隣が駐車場です。
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帰着は14時40分。お昼休みを約30分とったので 5時間の歩行時間でした。
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歩いた記録です。
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標高差と歩行距離の記録です。
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四季の大山トップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/shimanetotori/index.html
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季節の風景 晩秋の由志園(松江市)の紅葉とライトアップ 2019年11月26日 その3

2020-01-17 10:31:04 | 季節の風景
由志園の紅葉とライトアップ その3
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今度はモミジのきれいな日本庭園です。
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こちらの橋へ進もうとすると結界でした。
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この大きな橋を渡ります。ここは撮影ポイントなのでたくさんの人が順番待ちしています。
しばらく待って人がいなくなった瞬間を写しました。
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橋の真ん中からはみごとな池モミジが見えます。
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見ているとモミジのライトアップも色が変化します。
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モミジの間を抜けていくと
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突然霧が流れてきて
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その霧にプロジェクションマッピングが投影されます。
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その映像が次々と動くので 見とれているうちに
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周りに人がほとんどいなくなりました。
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観音様にお参りして
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あわててゴールに駆け込みました。
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日本庭園のよく見える喫茶スペースから庭の写真を撮ろうとすると 電気を消されてしまいました。
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土産を買おうにももう店員は誰もいません。結局気が付くと私が最後の客でした。
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