風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

モンの山里

2016年04月11日 16時58分12秒 | 旅行
モンの村を歩く。サンデイマーケットの見学後、モンの里を歩きました(7時から9時)。この集落歩きは、今回で3度目です。
見た目程度ですが、少しずつ変化しています。例えば、以前は蛇口のある共用の洗濯場は1箇所でしたが、2箇所になっていました。パナボラアンテナも増えていました。
変わっていないのは、朝早くから子供達が屋外で元気に遊んでいることです。




多くの家庭でTVを見ています。多種多様な情報がながれ、村人の欲望を大きく刺激していると想いますが、家族の収入は増加しているようには思えません。




村でよく見かける、米軍の落とした大型不発爆弾、物置の柱や農具に加工・平和利用。




私が子供の頃は、野菜は自宅側の小さな畑で栽培、鶏も放し飼い。
貧しく質素な生活でしたが温かかった。子供の頃が思い出されます。

モン族の家屋は、窓がありません、家の外壁は板です。電気が入ったのは最近のことです。
炊事は家屋内の土間中央部に設置してある簡単な釜戸、燃料は薪です。数年前に農作作業用小道で村人を眺めていると、学生の娘さんが、家の中に入れてくれました。
大きい部屋が2室あり、1室は炊事・居間・両親の部屋、他の1室は兄妹の部屋でした。TVとリンゴ箱の様な机、教科書だけは写真に撮りましたが、その他はレンズを向けることが出来ませんでした。
薄暗くなると、夕食そして睡眠、日の出と共に朝食そして農作業。実にシンプルな日常生活。
急激な生活環境の変化・・・ただただ「幸せ」を祈るのみ!!
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ささやかな欲望

2016年04月11日 14時42分49秒 | 旅行
この地球上に人間として生を得ると「欲望」という病気との戦いです。この病気の「ウイルス」は歴史上、形や姿をかえて我々を支配しています。その発生源は、「食料の獲得=富の蓄積」です。これにより、多くの命が消えました。
この病に対抗する方法は、「憲法と教育」にあると思います。やわらかくて強い人間力を育てることです。

昨日(10日)、モン族の人々が多く集まる、Ban Nongphetの日曜市を歩いてきました。週1回のささやかな「夢」の世界です。


時計修理屋さん・小さな屋根つきの机が彼の世界です。








売り手の足元で運命を感知したのか、泣き声もでません。








「欲望」の風は、モンの山里にも深く・速く流れています。
買い物の人たちは、ピカピカのバイクで、連絡は指でコスル携帯で・・・。

地域の生活文化を押し潰し、家計の改善も無く、外国製品の洪水・・・心配です。
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ジャール平原より

2016年04月09日 19時30分21秒 | 旅行
9日・GH(民宿)オーナーの車でビエンチャンの空港まで送ってもらいました(有料・約600円)。
7時半ごろに到着、国内線ターミナルのコーヒー店は閉まっていましたので連絡通路を約5分歩いて国際線ターミナルでモーニングです。






< 今日(9日)はビエンチャンからシェンクアンに行きます >
シェンクアンはジャール平原の中心都市で、周辺はモン族の農村が点在しています。


国内線搭乗ゲート。






ラオス航空ビエンチャン発9時30分、シェンクアン着10時、30分間の飛行です。


飛行機からシェンクアン空港到着口までは、田舎の小道を散歩している様な感じです。
熱帯の風と空気が身体にまとわり着き、歓迎してくれます。





GHで宿泊手続きを終え、メインストリートを約5分歩き、レストランへ。この街に拠点を置き、爆弾や地雷を除去しているNGOが経営しているレストランです。(昼食の炒飯)
GH周辺を散歩し、その後オヒルネ、そしてPCを動かしています。
明日は早朝4時半出発、モン族の日曜市とモンの山里歩きデス・・・

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VIENTIANで書いています。

2016年04月08日 22時55分28秒 | 旅行
ビエンチャン(8日)に昼過ぎに到着。燃えるような日射です。
私の寄り道大好き「旅」は、最近ヨロヨロ・ヨタヨタが進行し、正直なところ、少しキツクナリマシタ。
それでも、心が足が熱帯の空気に向かいます。


 <4月7日 羽田国際線ビルより、タイ航空(TG683便)でバンコクへ>

羽田国際線搭乗ゲート・最終チェック。




7日・雨の羽田空港から、タイ航空(10時35分発)でバンコクに向かいました。


石垣島上空(?)


昼食・小学校時代の給食をいつも思い出します。敗戦で社会が混乱、モノ不足の毎日でしたので、給食は美味しかった!!


ベトナムの海岸線。


バンコクの空港着陸直前(現地時間15時5分着)

車の排気ガス・熱帯の空気・生き抜く人々の熱気等がかき混ぜられ、街には独特の重い「ニオイ」が流れています。それらを全身に浴びて、コーヒー店のオープンデッキで「夕食とコーヒー」、何故か「こころ」が元気にナリマス!! 


 <8日・バンコク(11時20分発)よりビエンチャン(12時30分着)へ>
     ( バンコク・スワンナブーム国際空港 )





バンコクの空港・行き交う人々の多さにオドロキです。東南アジアは、ビルから出てくるネクタイ人も屋台の売り上げで今日を生きる人もミンナ元気、ローカルでは、季節と共に生きる稲作人も元気・・・この地域が大好きです。




ビエンチャン空港上空・開発で赤い大地に・・・。



宿泊しているGH駐輪場の貸し自転車に日本の学校シール。
元の生徒に、「元気で活躍中」と伝えたいですネ。

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地球の旅人・バイクの松尾さん

2016年04月05日 15時02分05秒 | 日記
バイクの松尾さんの香川・高松講演会(4月3日)に出席しました。松尾さんのバイク旅について、私が思い感じたことを報告します。
松尾 清晴さんの紹介。
佐賀県嬉野市出身。
1963年鹿島実業高校定時制卒業、同年最難関の国鉄に合格。
1965年から首都圏で車掌。
JRに移行後、車掌職を解任され、雑務職に降格。
彼の説明によると、窓際族以下の軒下族でした。雨・風・雪にさらされる場所で勤務。
国労組合員であったことが理由らしい。

退職後、2000年10月・1500CC ホンダ・オートバイでオランダからスタート。


2015年9月15日・さいたま市役所・帰国歓迎会。
(オマーン~イラン~ロシア~チュニジア~ヨーロッパ~ユーラシア大陸~さいたま市役所)




地球一周の旅・唯一の全行程同行車デス。
満身創痍のゴタイです。過酷で危険で命をかけた「地球旅」の証です。


高松での講演会場・大会議室は満席でした。

私は、松尾さんの地球旅は、遊びのバイク旅デハナク、日常の「真実」を探し求め、確認の「時間」であったと想っています。

普通の少年が最難関の国鉄就職試験を突破し、東京での車掌。
外からでは見ることは出来ませんが、鋼鉄のような情熱を持った男です。

日本の法律で認められている「労働組合」活動をしたことで、JR管理職より、徹底的な「イジメ」・「イヤガラセ」を受ける。
この様な、日常のなかに「異常」が存在する社会は普通であろうか・・・その答えは地球旅で・・・

松尾さんは講演会で、アフリカや南米等は、温かい人間文化・人間生活が存在していますと話しています・・・

松尾さんの言葉は、国家統制が強い教科書・点数獲得学校教育・NHKニュース等の「味」とは全く異なる、「真実の味」がします。

        <松尾さんのHP検索・・・・バイクの松尾>

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