風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

外野席で遠望・鏡川の自然環境・手作りマーケット・旅の思い出 ベトナム 

2018年05月23日 16時27分15秒 | 日記
*** 外野席で遠望 ***
勇気ある青年!!(アメフト選手)
誰にでも失敗はある!!
青年は公の場で、自分の行為を反省し、負傷した選手や関係者に謝罪し、自分の責任を明示した。
これに対し、大人の対応は不明確・不誠実です。
スポーツの分野では、「上意下達・忠君」に通じる、前近代的指導方法が生きています。
例えば、高校野球はどうでしょうか???
試合中の選手は、打つ・走る・バンドする・・・全て監督のサインです。
自分で判断し、行動することは許されません!!  
その代表的な実例が、松井秀喜選手に対する、5打席連続敬遠です。
高校生は、練習グランドでは、監督やコーチの指導で技術を磨き、心身を鍛える。
試合では、高校野球部員として自己判断で習得した、技術や経験でプレーする。
高校生らしく、正々堂々と戦う。
残念ながら、何処にも見当たりません!!
今回のアメフト監督・コーチの問題は上記の土壌が根本原因です・・・

 *** 鏡川上流域の自然や生活 ***
自宅から往復約2時間午前中・50CCカブ ロバ号でのサンポ。
山里は過疎高齢化の世界が年々進行しています。
昭和の家族の喜びや涙や汗は、街に押し流されています。
小さな数枚の水田と茶畑。全て、祖先の手と汗で拓かれたものです。
<この情景は永久ではアリマセン、何時まで続くのでしょうか・・・>


<真っ白い藤の花が農家を包んでいます・農民の素朴な「こころ」の様に想えました>

(以上の画像は5月5日の午前中に撮ったものです)

20代の頃、若き仲間と「工石山」に時々登りました。最終集落「高川」の「お店」で、不足の食料などを買い足し、山の避難小屋で高知市の夜景を眺めながらワイワイ騒いだ。
昨日の事の様に思い出されます。

<過疎高齢化で廃屋となっていた「お店」・撮影日 5月17日>


鏡川上流域はすべて無料の自然公園、「こころ」がやわらかくフクラミマス。
(大都市の「大金」で遊ぶ遊園地とは比較になりません)
歩いて最高・バイクで走って最高・キャンプで最高・緑と空気最高!!
<鏡川上流域・「幸せ家族」の温もりが目に沁みてきました・撮影日5月17日>



   <鏡川最上流の沈下橋・撮影日 5月17日>


(同じ場所・昨年の夏)


<大穴峡・駐車場 トイレ完備・撮影日 5月17日>


(同じ場所・昨年の夏。)


<弘瀬・高知市内から約30分・撮影日 5月17日>


(同じ場所・昨年夏)


 *** 有機栽培作物や手作り工芸品マーケット ***
場所は、高知市中心部の鏡川広場と山内神社参道です。
私は緑の大木と神の空気が流れる山内神社を歩いてきました。(5月19日)
つくり手の温もりやこころが直接伝わるマーケットは大人気でした。
若い人が多く、安心しました。


<手作り作品・緑の空気・参道・外国人にも人気です。>


<何となくこの場所に良く合っています。>


<この緑と風は、最良質の「O教」です。神様の御加護付きです。>


 * * * 旅 の 思 い 出 ・ ベ ト ナ ム * * *
ベトナム戦争は1975年集結しました。
ベトナムを戦争はアメリカ・ソ連の代理戦争・遠い世界の出来事と単純に考え、
当時は関心が薄かった。
齢を重ね、家族の成長もあって、その「犠牲」の重みが骨身に沁みてきました。

<沢田教一の作品・激戦のフエ城壁に立つ米兵>
私は沢田教一を「人間写真作家」と思っています。


米兵死者数 約5万8千人  平均年齢19歳
ベトナム人死者総数 約813万人
戦争は一度きりの人間の「生」を奪います、正当性は何所にもアリマセン!!
戦争は絶対許してはイケマセン!!

ベトナム歩きは腰が重かった。
2015年2月の旧正月・やっと、ハノイ・サパ・フエを歩いてきました。
<サパの山里・私の記憶のなかで生きているローカルの農村と同じでした>


 <伝統文化が生きている、サパの旧正月に感動>


 <カメラを上げ OKですか? 優しい眼差しはYes>

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