***四国の屋根・瓶ケ森周辺ヨロヨロ歩き(7月5日~6日)***7月13日
7月5日~7日 梅雨時季ではあるが 天気予報は晴れです
高温多湿の毎日で 全身に「カビ」 が・・・「こころ」も「足」も 重たい
青空の下 四国の屋根をながれる「山空気と山風」のシャワーで 全身のクリーニングだ!!
(7月5日・「長沢」最奥の集落入り口です・私にとっては ここが 「四国の屋根」に向かう スタートラインです)
(7月5日・「よさこい峠」近くから 今 走り 登ってきた「長沢谷筋」を撮ったものです・この谷筋では 子供たちの姿も 声も 消えて久しい)
(7月5日・神の山「瓶ケ 森』(左)と「子持権現」(右)です・いつもの事です この山々が目に入ると 頭を下げ 手を合わせています)
(7月5日・落日迫る「瓶ケ森」西北方向・今日は黒く厚い雲です・私は この時間帯が お気に入りですので 次回に期待です)
(7月5日・晩メシ・いつも同じ 家で準備してくれたものを 温めるだけ・トシヨリはこれで満足です)
(7月6日撮影:高知方面です・少し肌寒い 早朝の山空気を浴びてヨロヨロ徘徊です・イイ 一日のスタートです)
(7月6日・朝メシ・「瓶ケ森」近くの車道駐車広場のベンチで)
***四国カルスト 天狗高原 姫鶴平(7月6日~7日)***7月13日
7月6日 石鎚山登り口「土小屋」を昼前に出発 四国カルスト天狗高原へ
(途中で昼食・時々休憩で 午後4時ごろ 天狗高原到着)
「低級ロージン」である私 いつもの同じコースを 繰り返しています
1965年前後は 太平洋戦争敗戦後で 社会的混乱の時代でしたが
市民社会では 新しい時代へと向かう「夢と希望」の時代であった!!
その頃 私は「小学高学年~中学生」でした 田舎育ちで
両親は多忙でしたので 遊びは 全て「自然」の中でした
その「クセ」は トシヨリとなった 今でも「ゲンキ」です!!
(7月6日・落日が近い 四国カルスト天狗高原「姫鶴平」・この時間帯の「カルスト空気」はサイコウ!!
(7月6日・紅く燃える「西の山並み」)
(7月6日・姫鶴平キャンプ場)
(7月7日・早朝 北方向の「大川嶺」)
(7月7日・早朝の「カルスト空気」を浴びての ヨロヨロサンポ・「こころ」がマッシロクなります)
(7月7日 早朝・この場所では 女性の「独り旅人」を よく見かけます・やわらかい空気のなかで)
7月5日~7日 梅雨時季ではあるが 天気予報は晴れです
高温多湿の毎日で 全身に「カビ」 が・・・「こころ」も「足」も 重たい
青空の下 四国の屋根をながれる「山空気と山風」のシャワーで 全身のクリーニングだ!!
(7月5日・「長沢」最奥の集落入り口です・私にとっては ここが 「四国の屋根」に向かう スタートラインです)
(7月5日・「よさこい峠」近くから 今 走り 登ってきた「長沢谷筋」を撮ったものです・この谷筋では 子供たちの姿も 声も 消えて久しい)
(7月5日・神の山「瓶ケ 森』(左)と「子持権現」(右)です・いつもの事です この山々が目に入ると 頭を下げ 手を合わせています)
(7月5日・落日迫る「瓶ケ森」西北方向・今日は黒く厚い雲です・私は この時間帯が お気に入りですので 次回に期待です)
(7月5日・晩メシ・いつも同じ 家で準備してくれたものを 温めるだけ・トシヨリはこれで満足です)
(7月6日撮影:高知方面です・少し肌寒い 早朝の山空気を浴びてヨロヨロ徘徊です・イイ 一日のスタートです)
(7月6日・朝メシ・「瓶ケ森」近くの車道駐車広場のベンチで)
***四国カルスト 天狗高原 姫鶴平(7月6日~7日)***7月13日
7月6日 石鎚山登り口「土小屋」を昼前に出発 四国カルスト天狗高原へ
(途中で昼食・時々休憩で 午後4時ごろ 天狗高原到着)
「低級ロージン」である私 いつもの同じコースを 繰り返しています
1965年前後は 太平洋戦争敗戦後で 社会的混乱の時代でしたが
市民社会では 新しい時代へと向かう「夢と希望」の時代であった!!
その頃 私は「小学高学年~中学生」でした 田舎育ちで
両親は多忙でしたので 遊びは 全て「自然」の中でした
その「クセ」は トシヨリとなった 今でも「ゲンキ」です!!
(7月6日・落日が近い 四国カルスト天狗高原「姫鶴平」・この時間帯の「カルスト空気」はサイコウ!!
(7月6日・紅く燃える「西の山並み」)
(7月6日・姫鶴平キャンプ場)
(7月7日・早朝 北方向の「大川嶺」)
(7月7日・早朝の「カルスト空気」を浴びての ヨロヨロサンポ・「こころ」がマッシロクなります)
(7月7日 早朝・この場所では 女性の「独り旅人」を よく見かけます・やわらかい空気のなかで)