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6年

2016-08-27 15:28:08 | 日記
昭和85年(平成22年)8月24日。午前10時20分に私のところへ、お迎えの車が来た。私がそこへ片足を乗せると、クルマは全身体を積んだと勘違いして走り出し、空車で彼の世に帰ってしまった。それから今日でちょうど6年が経つ。6回の正月が来て、6回の桜が咲き、6度の夏の甲子園の高校野球を観て、6度の秋の燗酒を楽しんだ。
3回の入院生活があった。脊柱管狭窄症と胆石がダブルである。しかし、あの胸部大動脈瘤破裂のことから、6×365日が過ぎたとは、どうにもぴんと来ない。せいぜい1年か2年ほど前音ことのように思われる。まだ迎えの車に片足を乗せたときの感触が比較的はっきりと残っている。やはりあれは昨年のことだったのではないかと思えて来る。

昭和17年4月6日。兵庫県芦屋市岩園小学校に入学した。大欧亜戦争が始まって4カ月後である。その6月にミッドウエー海戦があって、大好きだった叔父が戦死した。B29の空襲などのことは前に書いた。昭和20年の8月に終戦となり、12月に祖父の生まれ故郷である茨城県稲敷郡根本村小学校に転校し、翌年4月の新学期を待って同郡竜ケ崎町立小学校へ転入する。

言葉が変わった。「ああ、しんど」が「おお、こえ」に変わった。毎日食べることだけが頭の中にあった。3個10円の今川焼、1本5円のアイスキャンディーが大ごちそうだった。6年生のとき、叔父に連れて行ってもらった東京が、天国に見えた。なんとしても東京に住み、東京の学校に行きたかった。それが実現するのは4年後になる。とにかく、小学校の6年間は長かった。シンドく長かった。

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