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麦とジャガイモ

2017-01-29 14:23:01 | 日記
右隣の家が焼けた。その前の家も燃えた。家屋の骨組みが黒く焦げて残っていた。近所の3世帯の人たちが我が家の離れ部屋にいた。昭和20年8月の終戦まであと1週間という日だった。前夜にB29の空襲があって、我が家は奇跡的に助かった。祖父と叔母が周囲に声をかけ、畳の部屋と客用の布団を提供した。夏の盛りだったから、それで睡眠はとれただろう。庭に七輪が並んだ。そこに焼け残りの木材や紙クズなどを入れて火を作った。鍋類も足りた。そして各家がそれぞれ持ってきた食料を煮た。食料は麦とジャガイモである。配給品はそれだけだった。焼け出された人達が居たのは3,4日間ではなかったか。みんな近くの、あるいは遠くの親戚を頼ったのだろう。

それから70年が過ぎた。いま考えてみると、人間はいざというときには食べ物を持って逃げるということになる。そのときはそうだったと言える。そのときいちばん貴重なものは、ムギとジャガイモだったのだ。現在は違うだろう。大地震が起きて家から逃げ出す事態になったとき、明日の食べ物を抱える人はいないだろう。それよりも現金とかカードや預金通帳といったところに頭がまわり、体が動くはずである。

非常時に、食べることへの心配をしないでいいというのは、私のような年齢の人間からすると、つくづく、いい時代だなぁと思う。戦争というものを後世に話している老人がいるのをテレビで観ることがある。私の経験など、たとえば原爆被害に遭われた方々にくらべれば小さなものでしかない。しかし、それでも焼け跡の麦とジャガイモの絵は、いつまでも私の頭から消えない。

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