由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

書評風に その1(山本周五郞/ジョルジュ・シムノン/中島敦)

2021年12月27日 | 文学
 今年の8月に入ったFacebook上の読書クラブに投稿した小説評のうちいくつかを、最小限の訂正をしたうえで、再録します。


◎山本周五郞「柳橋物語」(新潮文庫『柳橋物語・昔も今も』所収)
 私は一応山周ファンなんですが、なんせ作品総数が膨大なんで、まだ半分も読んでいないでしょう。
 中で、中編「柳橋物語」には圧倒されました。絶対神の伝統的な観念のないこの国の、それも江戸の下町を舞台にして、「精神の勝利」というべきことが、たいへん説得的に描かれているからです。
 ネタバレはどうかな、とも思いましたが、まあいい、この作品の真価は、実物を読まねばわからないのは明かなのだから、以下に、大筋の骨組みだけを「起承転結」に分けて語ってみます。

 【起】一人のヒロインを恋する二人の男がいた。男Aが結婚を申込み、ただし上方に修業に行くから、帰ってくるまで待ってくれ、と頼む。ヒロインは「待っているわ」と応え、操をたてるために、男Bには、もう家に来ないでくれ、と申し渡す。
 【承】大火災が起こり、危ういところへ駆けつけたBによって、ヒロインは助けられるが、Bは死亡する。そのときたまたま傍に投げ出されていたどこかの赤ん坊を、ヒロインは憐憫から育てることにする。
 【転】ヒロインは懸命に生きるが、あの子どもはBとの間の子だろうという噂が立つ。帰ってきたAはその噂を信じて、ヒロインを詰り、別の娘と結婚してしまう。
 【結】自分を本当に愛してくれたのは誰だったか悟ったヒロインは、件の子どもを実際にBの忘れ形見として育てていく決心をする。

 「真実の愛」の発見物語であるわけです。【転】の部分のヒロインの心持ちをもう少し詳しく述べますと。
 確かに、誤解されても仕方がない状況はあった。しかし、誤解はどこまでも誤解である。それを一方的に信じて、自分の言うことを聞こうともしないのは、つまり自分を本当には愛していなかったからだ。自分もまた。あのとき「待っているわ」と応えたのは、未経験な娘心の軽はずみだったのだ。それに縛られ続けたので、自分を含めて複数の人間が不幸になった。
 これがヒロイン・おせんの「発見」なのですが、どこまでが本当に本当かは、疑問の余地はあります。大火災がなく、普通にAが戻ってきて、約束通り夫婦になれば、もうBのことなど思い出しもしなかった公算大です。そんなことは、神様にしかわからないのです。
 おせんが偉大なのは、どれほど理不尽な災害や誤解でも、自分の身の上に起きたことはすべて自分のものだとして、引き受けていく強さにあります。これが英雄とも言える人間の生き方であって、なんぞと言ってお前にはできるのか、と問われたら……ですけどね。


◎ジョルジュ・シムノン「片道切符」
 シムノン。これは凄い作家です。何が凄いって、凄いところがなかなか言えないところがとにかく凄い。
 フランス産のシリーズとしては、アルセーヌ・ルパンものと一、二を争うぐらい有名なメグレ警視主人公の警察小説を量産する傍ら、これまたかなりの数の本格小説(ロマン)を遺した。その多く(と言っても私は半分も読んでいませんが)が犯罪をプロットの中心にしているので、犯罪小説と呼ばれていいようですが、犯罪にまつわるハラハラドキドキが興味の焦点というわけではない。では、何? ええと。
 読んだ限りでは、「片道切符」(原題「クーデルの寡婦」)と「雪は汚れていた」の二作が代表作と言っていいようです。後者は『キリスト教文学の世界』(主婦の友社)に採られているほど深く宗教的世界観が埋め込まれた作品で、もう一度精読しなければ何も言えません。前者について、ちょっと、軽く語ってみます。
 アルベール・カミュ「異邦人」と同じ1942年。同じ出版社(ガリマール社)から出て、似ている、と言われたようです。これについてアンドレ・ジッドがシムノン宛て私信で次のように絶賛しているのはよく引用されます。
『異邦人』との酷似が云々されていますが、あなたのほうがもっと遠くまで行っているのではないでしょうか? いつのまにか、とでも言ったらいいかと思いますが、芸術の絶頂にまで達しています」
 これは過褒ではありません(私はカミュも好きですけど)。芸術の絶頂、というとよくわかりませんが、小説の、ある極点は示していると思います。

 筋はいたって単純。ギャンブルのトラブルから殺人を犯して出所した青年が、農婦の家で住み込みの下男になり、彼女の亡き夫の実家との、遺産をめぐる争いに否応なく巻き込まれる、というもの。
 表現も非常に簡明直截。シムノンの大事な文学修行として、ある女性作家兼編集者から、「文学過剰」を戒められたことを自分で挙げています(新潮社『作家の秘密 14人の作家とのインタビュー』)。具体的には、一般に文学的な修辞として知られている形容詞や副詞は省き、特に美文は厳禁。最低限の描写というべきものだけがあります。
 登場人物も、全員が、決して善良ではないが、特に悪人ではない庶民で、要するにどこにでもいそう。それでいて、最初から最後まで緊張の糸がぴんと張られ、ラストの破局まで、すべてが必然であったかのように展開していきます。
 以上の拙い説明で、まだシムノン未経験な人に多少の興味をもっていただけたら幸甚です。「雪は汚れていた」「片道切符」ともに絶版ですが、古本では簡単に入手できます。



◎中島敦「文字禍」
 今回はちょっと堅い、と言いますか、難しくはないけれど、抽象的なお話をします。興味のない人にはまるっきりなんですけど、ある人もいると思いますので。
 中島敦は若死にしたので作品総数は少ないのですが、たいへん人気のある作家ですよね。実際、「戦前の日本で、なんでこんな人が出現したのか」と目を見張る思いにさせられること、宮澤賢治に次ぐ第二位だと個人的に勝手に考えています。その独自性もかなり知られていますかね。まあ、自分の言葉で語ってみましょう。
 日本文学の主流、と言っていいかどうか、ともかく、今日に至るまで非常に根強いのは、いわゆる私小説の、私語りです。
 そりゃそうだ、文学はすべて、「私」を描くんじゃないか、と言われればそうなんですが、日本では、その「私」の中身は、作者自身と重なるところが多く、描かれるのは痴情沙汰、あとは貧乏と、病気、など。たいていの人が経験している、とは言えなくとも、一般庶民にとっては一大事であることは誰でも分かる題材で、そこで得られた「実感」を、人生の「真実」として描く。
 描き方を見れば、例えば島崎藤村と志賀直哉と太宰治とでは、ずいぶん違うことは明らかですけれど、ただ、彼らが共通して、少なくとも直接は描かなかったことがある。それは、「哲学的な問題」に苦しむ「私」。
「『私はそれを体験してこう感じた』と今言っている/書いている『私』とはそもそも何か」なんぞという。
 私のような者が口にした場合には、馬鹿な(かつての)若造のタワゴトだとして捨てられてもいいですし、そのような、日本には根強い現実主義を頼もしく思うこともないではありません。それでも、そういうのは人間心理の一部として、確かにあります。

 中島敦が昭和11~13年(1936~38)に書いた「かめれおん日記」と「狼疾記」は、形式上私小説のようですが、このような問いが出てきます。例えば「俺といふものは、俺が考へてゐる程、俺ではない。俺の代りに習慣や環境やが行動してゐるのだ」(「かめれおん日記」)という具合に。
 ただ私も、歳のせい、ばかりではないですが、この種の私語りが直接、生に出てくるのは、少々かなわんな、と感じます。この問いかけを裏返して、「世界とは結局、なんなのか」に替えたとしても。

幼い頃、私は、世界は自分を除く外みんな狐が化けてゐるのではないかと疑つたことがある。父も母も含めて、世界凡てが自分を欺すために出來てゐるのではないかと。そして何時かは何かの途端に此の魔術の解かれる瞬間が来るのではないかと。(同上)

 J.P.サルトルの、「一指導者の幼年時代」に、主人公が幼児期(題名と違って主人公の二十歳近くまで描かれます)、そっくり同じ感覚に陥ったことが書かれています。周りの全部が実際に存在しているというより、その「ふり」をしているだけではないのか、と。
 これが発表されたのは、「嘔吐」と同じく、第二次世界大戦勃発の前年である1938年。ほぼ同じ時期にフランスと日本で、「存在の不確かさ」(「狼疾記」)に関する同じような記述が現れたわけです。偶然でしょうが、やっぱり「へえ」と思わずにはいられません。

 ただ中島敦はサルトルの、先へ行ったとは言いませんが、別の方向からこの問題に光を当てることができました。「文字の霊」という卓抜なアイディアを中心に据えた物語の創作を通じて。これ、文学の徳です。
 「文字禍」は、昭和17年、よく国語の教科書に採り上げられるおかげで中島作品中最もよく知られている「山月記」と同時に、『文學界』四月号に発表されました。今日では「ゲシュタルト崩壊」を扱った小説として一部では有名です。この言葉自体は、当時は、中島自身にも、知られていなかったでしょうが、例えば以下のような症例です。

 彼が最初にかういふ不安を感じ出したのは、まだ中学生の時分だつた。ちやうど、字といふものは、ヘンだと思ひ始めると、――その字を一部分一部分に分解しながら、一体この字はこれで正しいのかと考へ出すと、次第にそれが怪しくなつて来て、段々と、その必然性が失はれて行くと感じられるやうに、彼の周囲のものは気を付けて見れば見るほど、不確かな存在に思はれてならなかった。(「狼疾記」)

 ここではわりと軽く、「存在の不確かさ」の入口のように言われてますね。誰もが体験することのように。実際、そうかも知れません。ただ、たいがい忘れてしまうんですよね。そこを敢えて深掘りしてみる。以下の引用はすべて「文字禍」からです。
 「単なる線の集りが、何故、さういふ音とさういふ意味とを有つことが出来るのか」。それは文字には精霊が宿っており、その霊力の働きではないのか。そう思いついた古代アッシリアの老博士が調査を始める。最近文字を覚えた者たちに尋ねると、「職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、漁師は獅子を射損ふことが多くなつた」。
 なぜか。言葉とはものの影のようなものではないか。【中島は言葉と文字を区別していませんが、音声言語としての言葉を書き留めたものですから、文字とは、影のそのまた影のようなものです。】それなのに、その中で生きるのに慣れると、もうその影を通してしか世界を見ることはできなくなる。

 文字の無かつた昔、(中略)歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいつて来た。今は、文字の薄被(ヴエイル)をかぶつた歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶えが悪くなつた。これも文字の精の悪戯である。人々は、もはや、書きとめてをかなければ、何一つ憶えることが出来ない。

 そればかりではない。文字として記されたできごとは不朽の(この時代の文書は粘土板が使われたので、文字通り腐らない)生命を得るのに、書かれなかったことはやがて跡形も無く消え去ってしまう。まるで、最初から無かったかのように。すると、世界とは文字のことなのか。
 などと思えることこそ、文字の恐るべき企みであり、支配力であろう。この真理を文字で書き留め(?最大の皮肉?)、世に訴えようとした博士は、文字による復讐を受ける。
 もう長く書き過ぎましたので、このへんでやめます。中島敦の作品は本以外に、青空文庫にかなり入っていて、例えば今回言及したものはすべて、パソコンで、タダで読めます。あ、でもこれって、影の影の、そのまた影のようなものか、と思いつつ、擱筆します。
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