わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

繰り返し上演して欲しい理由

2011年07月03日 | 雑記
3月11日東日本大震災が起こりました。
多分、地震だけだったら、6月にはある程度落ち着くとすぐに思ったはずです。
地震自体の被害がない場所に、大きな不安を与えているのが福島第一原発の事故。
そして、頻発する余震。
少しずつ落ち着いたものの、舞台を楽しむという心の余裕はまったくありませんでした。
それでも、余震が減るにつれ、だんだん遠方へも出かけられるようになりました。というよりは、出かけなければならないことが多くなり、慣れたという方が正しいかもしれません。

それでも、ドアからドアなら片道1時間半はかかる神奈川芸術劇場へ出かけるのは相当な覚悟だと思い、3回分だけチケットを取りました。

しかしながら、開幕が近付き、ブログにいろいろ書いているうちに、そして、政治のあまりにも情けない状況を見るうちに、「太平洋序曲」は「今」を映す鏡だと思えてきたのです。
この点については、何度も書いてきたので、ここではこれ以上書きません。

そして、開幕し、初日を観た時、やはり素晴らしい作品だと思いました。勿論、00年や02年とは違うのですが、是非、語り続けていかなければならないと強く思いました。
困難な時でも、平穏的でも、この作品を上演し続ける意義はあると考えています。
その理由をいくつか書いていこうと思います。

この作品の生い立ちとその視点です。
このとことも何度か書きました。が、再度書いておきたいと思います。
この作品は、「日本」のことを「アメリカ人」が書いています。日本人からしたら、間違った歴史、誤解、と思う場面もあります。しかし、アメリカからはこう見えているということを知るとても貴重なミュージカルだと思います。日米の相互理解が深まっても、理解できないことはあります。それが、この舞台の随所にあります。私たち日本人が違和感を感じるところにこそ、アメリカと上手くお付き合いしていくカギが隠されているのだと思います。

次に、舞台構成です。
ラスト・ナンバーで大掛かりな仕掛けがあるとしても、とにかくシンプルな舞台装置です。屏風と呼んでいる木の板の使い方だけで、舞台を一度も空にすることなく進んでいくのです。舞台を回したりはしないので、省エネかもしれません。
屏風を動かすのは、人の力のみを頼りとしています。それはそれで大変ですが、とにかく人間の暖かさを感じる舞台装置なのです。まあ、照明はたくさん使いますので、省エネとはいえないかもしれませんが・・・
悲しみに打ちひしがれた後に、したたかな人間が登場する。
ショー・ストップする華やかな場面の後に、深刻な場面。
その構成の素晴らしさは他に類をみません。
それなのに、舞台装置が大きく変わるわけではないのです。
人間の持っている可能性が、舞台の場面を変えるのです。
アイデア次第で、可能性が広がることを教えてくれる舞台構成だと思います。
若手のこれから舞台の仕事に就こうと考えている方や、就き始めた方などの参考となる舞台のはずです。
大きな予算を動かせない時代に、人間のアイデアが舞台作りの可能性を広げられることを学んで欲しいと思います。

ミュージカルの可能性です。
ミュージカルは華やかで、恋愛物語が描かれる。
ヒーロー、ヒロインが心に残る(歌いやすい)ナンバーを歌いあげて、ショー・ストップする。
これがミュージカルに求められているものかもしれません。
これに対し、ソンドハイム氏の曲は難し過ぎる。作風があまりにも社会派過ぎる。
確かにそうだと思います。まして「太平洋序曲」は、難曲にもほどがある難曲揃い。
それなら、ミュージカルではなく、ストレート・プレーの方が物語がよく伝わるのではないかという意見もあるかと思います。しかし、その曲によって、役柄の心の動きが、セリフより少ない言葉でも伝わってくるのです。
その曲はその場面にぴたりと合っているのです。
観客が喜びそうな曲ではなく、物語に沿った曲作りなのです。
音楽とは何か。歌とは何か。ミュージカルとは何か。
そんな難題を突き付けるようなミュージカルだと思います。


最後にキャスティングです。
今回11年神奈川公演には、八嶋智人さん、山本太郎さん、田山涼成さんというテレビでもおなじみの俳優を迎えての公演となりました。その意味では少々誤解を与える内容になってしまうかと思いますが、00年、01年のキャストであれば、当時はそうだったと思いますので、その点ご了解のうえお読み下さい。
華やかな場面が殆どない、しかし、とにかく難しい曲ばかり。これを歌いこなし、きちんと観客に意味を伝えることが出来るキャストを探すという作業は、数年、10回ものオーディションを行ったと聞いています。
その結果、大きな作品には出演なさっているけれど、ソロを聞いたことがない、という俳優の方々が集結しました。
「歌が上手い」ということと「ミュージカル俳優」ということの違いがわかるキャスティングだったと思います。
きっちり歌わなければ、音楽として破綻してしまうソンドハイム氏の音楽。言葉遊びも多いので、はっきり歌わなければいけないソンドハイム氏の、そして訳詞の橋本邦彦さんの歌詞の詰め込み。その上に、しっかりとした演技が必要なのです。
これらが本当に出来ているのは、実は、大きな舞台で主役を支えている俳優の皆様でした。主役は支えられているだけだったのかと思いました。
正直、00年の素晴らしさと、02年のアメリカ公演の大成功を経て、ミュージカル俳優の実力主義がもっと定着するかと思ったのですが、そうはならなかったのです。
この作品が、数年ごとにでも上演され続ければ、本物のミュージカル俳優が育っていくと確信しています。

一ミュージカルファンとしては僭越なことばかり申し上げましたが、この作品に出会って11年。11年の間に、「太平洋序曲」を超える作品に出会うことはありませんでした。その間に観劇した舞台はどれほどあったでしょうか?
それらの舞台になくて、この「太平洋序曲」にあるものが、以上のようなものではないかと思うのです。
是非、日本のミュージカル界の発展のためにも、こういう異色のミュージカルが上演される意義はあると思います。
再度の上演に向け、多くの関係者の皆様のお力添えを、お願いしまして、筆を置くことに致します。

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