04年7月13日マチネ公演を観劇
東京芸術劇場・中劇場 1階7列目センター
ここしばらく、感じていなかった心からの感動を全身で感じました。こういう感情を言葉にするぐらい、そして、文章にするぐらい意味がないものはないような気もしますが、やはり伝えたい、だから書くことにします。
舞台を観た後、帰宅するわけです。同じ道を必ず通ります。その道がいつもと違って見える。それが、その日に観た舞台の感動の度合いを測る私のバロメーターです。
今日は、いつもの道と違いました。暑いですが、とてもすがすがしい空気を感じていました。照りつける太陽も、建物をキラキラ輝かせています。
前置きはこれぐらいにして、舞台やキャストの皆様への感想を書いてみたいと思います。
すでに、開幕して10日、その間にいろいろ教えて頂いたので、こんな感じだろうとは想像していました。
でも、聞くと観るとでは大違い。もう少し、「歌」だけに集中するのかと思いましたら、演技もかなり入っていました。第二幕のバリケードのあたりは、本当にあの舞台セットがないだけで、本舞台以上の迫力がありました。第一幕の宿屋の場面では、やや、観客として楽しまれているようなキャストの方もいらっしゃいましたが・・・
舞台後ろのスクリーンに、本舞台の写真が映し出されますし、衣装はアンサンブルも含め、本舞台の衣装を着用するので、臨場感一杯でした。
そして、ラストは本舞台では登場しない、ジャヴェールとテナルディエ夫妻も登場しますから、とても盛り上がりました。そして、最後の最後に、スクリーンに映し出される「民衆の歌」を観客も合唱して幕となりました。スタンディング・オベーションとなりましたね。本当に素晴らしかったのです。
こういう、「コンサート」という形式でも楽しめるのは、「レ・ミゼラブル」長く、広く愛されているからですよね。メロディが流れれば、「あの場面」とセットや照明の色まで思い描けるわけですから。本当に、素晴らしい作品だと思います。
今回の罪作りな配役に私も惹かれ・・・このコンサートが最初に決まった昨年の夏には、まあパスかな?などと思っていたのが、もう、突然猛烈にチケット争奪戦に参加することに(笑)。
アンジョルラスは今拓哉さん。
私は、ファンになったら出来る限りその方の舞台は一公演一度は観るようにしています。で、その方が演じられる役をそれなりに好きになるようにしています。でも、今ジャヴェールは素晴らしいけど、好きではありませんでした。理由はいくつかあるのですが、なんといってもあまりにもアンジョルラスがステキ過ぎて、どうしてもアンジョの幻を追ってしまうからだと思っていました。
今日、久しぶりに今アンジョルラスを拝見して、つくづく思いました。今さんは演じているのではなく、本当にアンジョルラスとして生きていると。
舞台が始まるとき、出演者が全員椅子に座っています。本舞台では、アンジョルラスもその役の前に工場の人、警官などなどいろいろ登場するので、忙しいのですが、このコンサートではそういう役は受け持ちません。まあ、登場まで長いのです。多分、衣装もタイをはずしているのでしょう、ラフです。宿屋の場面で一観客となっていましたね。もう、今さんたら・・・と思っていましたが、アンジョルラスの衣装でバチっと決め、マリウスと歌いだすと、もうそこには今さんはいなくて、アンジョルラスだけが立っているのでした。なんだか、今日は髪型もすごくステキで、本当にくらくらしてしまいました。
ただ、ジャヴェールもおやりになっているためでしょう、高音の伸びが今ひとつでした。でも、あの力強い歌声は、アンジョルラスの生き様そのものですよね。
駒田一さんのテナルディエ。
コンサートですからということで、ナンバーの前に「盛り上がって行きましょう」と一言。客席にも降りていらして、ファンサービス。「おお、歌詞を間違えてしまった」との乗りも本当に楽しかったです。この宿屋の場面で、客席も手拍子したり、大笑いしたり、すごく和やかになりました。
「下水道」での歌詞がとても明瞭でした。滑稽であったり、ずるがしこさであったり、テナルディエの生き様は、決して褒められるものではないのですが、どんなことがあっても「生きる」というその思いが伝わってきました。「死」と隣り合わせのあの時代、「生きる」ことの大切さを感じさせてくれました。あの時代ではないんですよね、今も、ある地域では「生きる」その意味を考えなければならないのですよね。この歌でこんなことを感じたのは初めてでした。駒田さんに感謝です。
津田英佑さんのマリウス。
00-01年版で、何度か拝見しているのですが、ちょっとしっくりこなかったのです。ところが、今日は、マリウスにすごく共感しました。「カフェ・ソング」もよかったですが、「心は愛に溢れて」が良かったです。この歌って難しいですよね。一歩間違うと、この自分勝手な奴と思われてしまいますから。事実、以前の舞台では津田マリウスにそういう感情を抱いていましたから。でも、今日は、本当に嬉しそうで、その嬉しさに一点の曇りもなくて、出会えた喜びを一緒に喜ぶことが出来たのです。本当に、素晴らしいマリウスでした。
アンサンブルの方々について一言。今アンジョルラスがカリスマ的になってしまったからかもしれませんが、アンジョの子分になっていました。アンジョルラスは学生達の一人に過ぎません。他の学生達も、もっともっとあの時代、あの場所に生きて欲しいと思います。そして、もっともっと歌を勉強して欲しいと思います。この作品は、多くのスターを輩出してきました。それゆえに、あるときには入れ替えが必要であり、それをするから新しい人たちが育つのだとも思います。チャンスがなくて大きな舞台に立てなかった実力のある人材を探すためなら、いくらでもお金も時間もかけます。でも、舞台が練習場では困るのです。舞台に立てる喜びではなく、その役として生きて欲しいと切に願っています。
女性アンサンブルは男性陣に比べると活躍の場がやや狭いのですがとても声も出ていて、何より哀れな人々という感じがとてもよく出ていました。
と、ちょっと辛口になってしまいましたが・・・次は、甘口かな?
「レミ・コンに佐山陽規さんがご出演!」と知った時から、もう大変でした。何がというわけではないのですが、とにかくいろいろと・・・
今日も午前中研修で、難しい話を聞いていたのですが、気が入らないから全然理解できないし・・・終わって劇場に移動して、おむすびをふたつ食べる時間があると思ったのに、何だか一つしか食べられなくて・・・観客の私が緊張してどうする?そうなんですよ、分っているのですが、本当に落ち着かなかったのです。
佐山ジャヴェールを拝見できるなんて思ってもいませんでしたから、あまりの嬉しさに、というのも一つですが、実は不安の方が大きかったのです。
「レ・ミッズ」にはたくさんの人物が登場します。私は、その人物のだれもがとても愛しく、殆どが死んでいってしまうので、もうその度に涙を流していて、観劇後は誰にも会いたくない状態なのです。しかし、その中でただ一人、なんで死んじゃうの?と突き放したくなる人物がいました。それが「ジャヴェール」です。小説でもダメなんですよね。どうしても共感できないこのジャヴェール。そう、どなたが演じても何かしっくりこない。今さんでもダメだったわけですから。もし、佐山さんのジャヴェールにも共感できなかったら・・・という不安がありました。
佐山さんの舞台もたくさん拝見して、どの役もとてもステキに演じて下さいます。が、ちょっと共感は出来ないなぁということもありましたから、ジャヴェもその運命を辿ったらどうしようと不安がありました。すごく魅力的だといわれているこの役を私は理解できないまま、この作品を見続けるのかも知れないという不安です。
ジャヴェールの出番はすべて反芻し、見逃さないぞ!って見逃すはずないんですけどね、まあ、私なりに気合を入れたわけです。
それで、どうだったかというと・・・
佐山ジャヴェールにひれ伏したい気持ちでした。
なぜ今まで私は「ジャヴェール」という役をとても遠い、そして、共感できない人物として感じていたのか不思議なぐらいでした。とても素直にジャヴェールという人物に共感していました。
なぜこんなに受け取り方が変わるのか、自分でもよくわからないのですが、たぶん、大きな原因は「歌声」だと思います。私が今まで聞いてきたジャヴェにはない、ずっしりとした重みが歌にあるのです。それがすべてだったのかも知れません。
私が今まで触れてきたジャヴェールはとても優しそうだったような気がします。
佐山さんのジャヴェは冷たい、そして、重い。バルジャンにすごく威圧的でした。だから、バルジャンの美しい生き方なのに、おびえて生きているという役柄も浮き上がってきて、作品全体が数段深みを増すと感じました。
佐山さんの魅力は、細やかな演技にもあるのです。コンサートという形式ではありましたが、随所にその演技を見せて下さいました。細やかな演技が役柄を膨らませていくんだなぁと思います。やはり、ジャヴェールとして生きていらっしゃるということでしょうね。そうなると、共感できます。
つらつらと書いてはみましたが、言葉にするって難しいです。
ジャヴェールの役の魅力に触れられたわけですが、その魅力がまた複雑過ぎますね。深みにはまったかも・・・。
本当に佐山さんのジャヴェールに出会えてよかったです。そして、是非是非本舞台でも演じていただきたいなぁと思います。
なんだか、いろいろ語ってしまいましたが、本当に素晴らしい舞台でした。
明日、がんばろうという力を下さった舞台に、乾杯!!!
東京芸術劇場・中劇場 1階7列目センター
ここしばらく、感じていなかった心からの感動を全身で感じました。こういう感情を言葉にするぐらい、そして、文章にするぐらい意味がないものはないような気もしますが、やはり伝えたい、だから書くことにします。
舞台を観た後、帰宅するわけです。同じ道を必ず通ります。その道がいつもと違って見える。それが、その日に観た舞台の感動の度合いを測る私のバロメーターです。
今日は、いつもの道と違いました。暑いですが、とてもすがすがしい空気を感じていました。照りつける太陽も、建物をキラキラ輝かせています。
前置きはこれぐらいにして、舞台やキャストの皆様への感想を書いてみたいと思います。
すでに、開幕して10日、その間にいろいろ教えて頂いたので、こんな感じだろうとは想像していました。
でも、聞くと観るとでは大違い。もう少し、「歌」だけに集中するのかと思いましたら、演技もかなり入っていました。第二幕のバリケードのあたりは、本当にあの舞台セットがないだけで、本舞台以上の迫力がありました。第一幕の宿屋の場面では、やや、観客として楽しまれているようなキャストの方もいらっしゃいましたが・・・
舞台後ろのスクリーンに、本舞台の写真が映し出されますし、衣装はアンサンブルも含め、本舞台の衣装を着用するので、臨場感一杯でした。
そして、ラストは本舞台では登場しない、ジャヴェールとテナルディエ夫妻も登場しますから、とても盛り上がりました。そして、最後の最後に、スクリーンに映し出される「民衆の歌」を観客も合唱して幕となりました。スタンディング・オベーションとなりましたね。本当に素晴らしかったのです。
こういう、「コンサート」という形式でも楽しめるのは、「レ・ミゼラブル」長く、広く愛されているからですよね。メロディが流れれば、「あの場面」とセットや照明の色まで思い描けるわけですから。本当に、素晴らしい作品だと思います。
今回の罪作りな配役に私も惹かれ・・・このコンサートが最初に決まった昨年の夏には、まあパスかな?などと思っていたのが、もう、突然猛烈にチケット争奪戦に参加することに(笑)。
アンジョルラスは今拓哉さん。
私は、ファンになったら出来る限りその方の舞台は一公演一度は観るようにしています。で、その方が演じられる役をそれなりに好きになるようにしています。でも、今ジャヴェールは素晴らしいけど、好きではありませんでした。理由はいくつかあるのですが、なんといってもあまりにもアンジョルラスがステキ過ぎて、どうしてもアンジョの幻を追ってしまうからだと思っていました。
今日、久しぶりに今アンジョルラスを拝見して、つくづく思いました。今さんは演じているのではなく、本当にアンジョルラスとして生きていると。
舞台が始まるとき、出演者が全員椅子に座っています。本舞台では、アンジョルラスもその役の前に工場の人、警官などなどいろいろ登場するので、忙しいのですが、このコンサートではそういう役は受け持ちません。まあ、登場まで長いのです。多分、衣装もタイをはずしているのでしょう、ラフです。宿屋の場面で一観客となっていましたね。もう、今さんたら・・・と思っていましたが、アンジョルラスの衣装でバチっと決め、マリウスと歌いだすと、もうそこには今さんはいなくて、アンジョルラスだけが立っているのでした。なんだか、今日は髪型もすごくステキで、本当にくらくらしてしまいました。
ただ、ジャヴェールもおやりになっているためでしょう、高音の伸びが今ひとつでした。でも、あの力強い歌声は、アンジョルラスの生き様そのものですよね。
駒田一さんのテナルディエ。
コンサートですからということで、ナンバーの前に「盛り上がって行きましょう」と一言。客席にも降りていらして、ファンサービス。「おお、歌詞を間違えてしまった」との乗りも本当に楽しかったです。この宿屋の場面で、客席も手拍子したり、大笑いしたり、すごく和やかになりました。
「下水道」での歌詞がとても明瞭でした。滑稽であったり、ずるがしこさであったり、テナルディエの生き様は、決して褒められるものではないのですが、どんなことがあっても「生きる」というその思いが伝わってきました。「死」と隣り合わせのあの時代、「生きる」ことの大切さを感じさせてくれました。あの時代ではないんですよね、今も、ある地域では「生きる」その意味を考えなければならないのですよね。この歌でこんなことを感じたのは初めてでした。駒田さんに感謝です。
津田英佑さんのマリウス。
00-01年版で、何度か拝見しているのですが、ちょっとしっくりこなかったのです。ところが、今日は、マリウスにすごく共感しました。「カフェ・ソング」もよかったですが、「心は愛に溢れて」が良かったです。この歌って難しいですよね。一歩間違うと、この自分勝手な奴と思われてしまいますから。事実、以前の舞台では津田マリウスにそういう感情を抱いていましたから。でも、今日は、本当に嬉しそうで、その嬉しさに一点の曇りもなくて、出会えた喜びを一緒に喜ぶことが出来たのです。本当に、素晴らしいマリウスでした。
アンサンブルの方々について一言。今アンジョルラスがカリスマ的になってしまったからかもしれませんが、アンジョの子分になっていました。アンジョルラスは学生達の一人に過ぎません。他の学生達も、もっともっとあの時代、あの場所に生きて欲しいと思います。そして、もっともっと歌を勉強して欲しいと思います。この作品は、多くのスターを輩出してきました。それゆえに、あるときには入れ替えが必要であり、それをするから新しい人たちが育つのだとも思います。チャンスがなくて大きな舞台に立てなかった実力のある人材を探すためなら、いくらでもお金も時間もかけます。でも、舞台が練習場では困るのです。舞台に立てる喜びではなく、その役として生きて欲しいと切に願っています。
女性アンサンブルは男性陣に比べると活躍の場がやや狭いのですがとても声も出ていて、何より哀れな人々という感じがとてもよく出ていました。
と、ちょっと辛口になってしまいましたが・・・次は、甘口かな?
「レミ・コンに佐山陽規さんがご出演!」と知った時から、もう大変でした。何がというわけではないのですが、とにかくいろいろと・・・
今日も午前中研修で、難しい話を聞いていたのですが、気が入らないから全然理解できないし・・・終わって劇場に移動して、おむすびをふたつ食べる時間があると思ったのに、何だか一つしか食べられなくて・・・観客の私が緊張してどうする?そうなんですよ、分っているのですが、本当に落ち着かなかったのです。
佐山ジャヴェールを拝見できるなんて思ってもいませんでしたから、あまりの嬉しさに、というのも一つですが、実は不安の方が大きかったのです。
「レ・ミッズ」にはたくさんの人物が登場します。私は、その人物のだれもがとても愛しく、殆どが死んでいってしまうので、もうその度に涙を流していて、観劇後は誰にも会いたくない状態なのです。しかし、その中でただ一人、なんで死んじゃうの?と突き放したくなる人物がいました。それが「ジャヴェール」です。小説でもダメなんですよね。どうしても共感できないこのジャヴェール。そう、どなたが演じても何かしっくりこない。今さんでもダメだったわけですから。もし、佐山さんのジャヴェールにも共感できなかったら・・・という不安がありました。
佐山さんの舞台もたくさん拝見して、どの役もとてもステキに演じて下さいます。が、ちょっと共感は出来ないなぁということもありましたから、ジャヴェもその運命を辿ったらどうしようと不安がありました。すごく魅力的だといわれているこの役を私は理解できないまま、この作品を見続けるのかも知れないという不安です。
ジャヴェールの出番はすべて反芻し、見逃さないぞ!って見逃すはずないんですけどね、まあ、私なりに気合を入れたわけです。
それで、どうだったかというと・・・
佐山ジャヴェールにひれ伏したい気持ちでした。
なぜ今まで私は「ジャヴェール」という役をとても遠い、そして、共感できない人物として感じていたのか不思議なぐらいでした。とても素直にジャヴェールという人物に共感していました。
なぜこんなに受け取り方が変わるのか、自分でもよくわからないのですが、たぶん、大きな原因は「歌声」だと思います。私が今まで聞いてきたジャヴェにはない、ずっしりとした重みが歌にあるのです。それがすべてだったのかも知れません。
私が今まで触れてきたジャヴェールはとても優しそうだったような気がします。
佐山さんのジャヴェは冷たい、そして、重い。バルジャンにすごく威圧的でした。だから、バルジャンの美しい生き方なのに、おびえて生きているという役柄も浮き上がってきて、作品全体が数段深みを増すと感じました。
佐山さんの魅力は、細やかな演技にもあるのです。コンサートという形式ではありましたが、随所にその演技を見せて下さいました。細やかな演技が役柄を膨らませていくんだなぁと思います。やはり、ジャヴェールとして生きていらっしゃるということでしょうね。そうなると、共感できます。
つらつらと書いてはみましたが、言葉にするって難しいです。
ジャヴェールの役の魅力に触れられたわけですが、その魅力がまた複雑過ぎますね。深みにはまったかも・・・。
本当に佐山さんのジャヴェールに出会えてよかったです。そして、是非是非本舞台でも演じていただきたいなぁと思います。
なんだか、いろいろ語ってしまいましたが、本当に素晴らしい舞台でした。
明日、がんばろうという力を下さった舞台に、乾杯!!!
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