(06年7月に整理し、掲載したものです)
2003年5月31日マチネ R’sアートコート
イプセンの原作、チラシの予告からすると、かなり重い話であろうと予想していました。そして、「すべてのセリフをメロディーに載せて朗唱するレシタティーボ・オペラのスタイルにした野心作」ともありましたので、どんな旋律が響くのか楽しみでもありました。
主人公ヘッダ(徳垣友子さん)は学者でとてもまじめなユンゲル(さけもとあきらさん)と結婚。半年におよぶ新婚旅行から帰ってきたばかりテスマン夫妻の新居に思いもかけない人たちがやってくる。
ユンゲルはまもなく教授となるはずだったので、結婚し、新居を買うという冒険もしていた。ところが、そこへ昔の好敵手そして恋敵でもあるエイトラート(岩田元さん)が再登場。ユンゲルと教授職を競うということになった。しかし、エイトラートにはお酒にまつわる暗い過去があり、それを支え仕事の手助けをしていたのがエルヴレット夫人であった。このエルヴレット夫人はヘッダの学生時代の友人。ユンゲルとも知り合いだった。そして、暗い結婚生活から飛び出してエイトラートといっしょに生活しているのだった。
ヘッダは身分も高く、美しかった。思い通りにならないことはなかったかもしれない。しかし、不条理は次々と起こる。エイトラートが落とした原稿をユンゲルが拾ってくる。ユンゲルはエイトラートに返そうとするが、ヘッダはユンゲルが留守の間に焼いてしまう。その事実を知ったユンゲルはヘッダが自分を愛していてくれたことに感激してしまう。ところが、その原稿がなくなったことがショックでエイトラートが死んでしまう。ユンゲルは心を痛める。そこへエルヴレッド夫人がメモ程度ならあると言ってくる。ユンゲルは彼女といっしょにエイトラートの原稿を整え出版にこぎつけようとする。
隠していたはずのブラック判事(大須賀ひでき)との関係も夫に知れていたことがわかり、ヘッダは一人ぼっちに。そしてついには自殺してしまう。
こんなストーリーでしょうか。その場面場面で登場人物が本当は何を考えているのかわからないセリフがたくさんあり、それが次の場面でわかるという感じでした。ミステリータッチで話にはどんどん引き込まれていきました。
そして、人間の生き方をいろいろと考えさせられました。こういう話の感想を書くのは本当に難しいです。どうしても観劇しているときからある登場人物に自分を投影してしまうことが多いですから。別の登場人物の立場になれば、こういう解釈もありとなりますしね。
最初に書きましたとおり、「重い話」「メロディーに載せたセリフ」ということで、どんな旋律が、セリフの本当の意味をえぐり取るように私たちの耳を、心を振るわせてくれるのか楽しみでした。
残念ながら、私にはちょっと物足りませんでした。とても心地よいからです。そして、セリフだけというのがとても多かったのです。ここも旋律をつけたら、という部分もとても多かったですね。作曲はいしむらむつみさんと和田真奈美さんということで、やはり同じ日本人。あまり裏切れないかもしれないなぁと思って聞いていました。
ずこくショックなセリフもたくさんあって、人間の複雑さを感じるのですが、あまりにも音楽が美しくて、人間のどろどろとした部分が美しく昇華してしまう感じすらしました。「こうだ」と言い切るセリフが少ないだけに、観客にどちらとも受け取る自由を与える旋律ではありましたが、もう少し方向性があってもよかったのではとも思いました。
ちょっと抽象的な話になりましたので、私の大好きなさけもとさんの役でお話しましょう。あらすじの中で「隠していたはずのブラック判事(大須賀ひでき)との関係も夫に知れていたことがわかり」と書きましたが、はっきりユンゲルがこういうセリフはありませんでした。ただ「判事さんが夜毎相手をして下さる。」というようなセリフなのです。
さけもとさんの演じられたユンゲル・テスマン。本当にお人よしで、自分には高根の花であったヘッダと結婚したことに満足し、完璧にヘッダに尻に敷かれているのです。当然、さけもとさんの歌われる歌はとても美しいメロディ。毒にも薬にもならないような人物であることを印象付けてくれます。しかし、ヘッダからの愛、もしたとえそれが見せかけであろうと、その愛がある形になった後でも、学者としての本当の心を持って亡き友の遺作を完成させようとする。それも、ヘッダを屋敷に残してある女性と仕事をしようというのです。そうそう、ヘッダは身ごもってもいます。
そんなユンゲルがヘッダに対して言う「判事さんが夜毎相手をして下さる。」が、美しい旋律でいいのかなぁと思うのです。そして、もしかしたら、この劇中一番厚い仮面をかぶっていたのはユンゲルだったのではと思うとき、彼の歌う歌の旋律がもう少し美しさを裏切るものであってもよかったのではないかと思ったのです。
もしかしたら、深読みし過ぎの感想かもしれません。ついつい、さけもとさんが演じられると、裏がある・・・と思ってしまう私の悪癖かもしれません。でも、とても優しいユンゲル、十分に素敵でした。
あらすじの中に出てこなかったのですが、ユンゲルの育ての母である伯母ユリナースを演じられた松岡美希さん。この役こそ、なんの裏切りもない美しい心の象徴なのだと思いますが、そのものでした。優しく、包み込むような歌声にうっとりしていました。
ブラック判事の大須賀ひできさん。ご縁があり、今年になってこれで3作品拝見しました。大須賀さん、とても美しいお声をお持ちなんですよね。でも、今回は結構悪役。凄みのある声で歌い、台詞を言われ、悪役を楽しんでいらっしゃったように思いました。が、最後の方、ヘッダを半分脅迫し、我が物にしておこうというあたりで、いつもの美しいお声になってしまわれたのがちょっと残念でした。
決して楽しいとは言えない作品ですが、さすが実力派6名のキャストに支えられ、作品の意味を考えるいい機会を得ました。
原作を読んでみてから、もう一度観劇してみたいと思います。
2003年5月31日マチネ R’sアートコート
イプセンの原作、チラシの予告からすると、かなり重い話であろうと予想していました。そして、「すべてのセリフをメロディーに載せて朗唱するレシタティーボ・オペラのスタイルにした野心作」ともありましたので、どんな旋律が響くのか楽しみでもありました。
主人公ヘッダ(徳垣友子さん)は学者でとてもまじめなユンゲル(さけもとあきらさん)と結婚。半年におよぶ新婚旅行から帰ってきたばかりテスマン夫妻の新居に思いもかけない人たちがやってくる。
ユンゲルはまもなく教授となるはずだったので、結婚し、新居を買うという冒険もしていた。ところが、そこへ昔の好敵手そして恋敵でもあるエイトラート(岩田元さん)が再登場。ユンゲルと教授職を競うということになった。しかし、エイトラートにはお酒にまつわる暗い過去があり、それを支え仕事の手助けをしていたのがエルヴレット夫人であった。このエルヴレット夫人はヘッダの学生時代の友人。ユンゲルとも知り合いだった。そして、暗い結婚生活から飛び出してエイトラートといっしょに生活しているのだった。
ヘッダは身分も高く、美しかった。思い通りにならないことはなかったかもしれない。しかし、不条理は次々と起こる。エイトラートが落とした原稿をユンゲルが拾ってくる。ユンゲルはエイトラートに返そうとするが、ヘッダはユンゲルが留守の間に焼いてしまう。その事実を知ったユンゲルはヘッダが自分を愛していてくれたことに感激してしまう。ところが、その原稿がなくなったことがショックでエイトラートが死んでしまう。ユンゲルは心を痛める。そこへエルヴレッド夫人がメモ程度ならあると言ってくる。ユンゲルは彼女といっしょにエイトラートの原稿を整え出版にこぎつけようとする。
隠していたはずのブラック判事(大須賀ひでき)との関係も夫に知れていたことがわかり、ヘッダは一人ぼっちに。そしてついには自殺してしまう。
こんなストーリーでしょうか。その場面場面で登場人物が本当は何を考えているのかわからないセリフがたくさんあり、それが次の場面でわかるという感じでした。ミステリータッチで話にはどんどん引き込まれていきました。
そして、人間の生き方をいろいろと考えさせられました。こういう話の感想を書くのは本当に難しいです。どうしても観劇しているときからある登場人物に自分を投影してしまうことが多いですから。別の登場人物の立場になれば、こういう解釈もありとなりますしね。
最初に書きましたとおり、「重い話」「メロディーに載せたセリフ」ということで、どんな旋律が、セリフの本当の意味をえぐり取るように私たちの耳を、心を振るわせてくれるのか楽しみでした。
残念ながら、私にはちょっと物足りませんでした。とても心地よいからです。そして、セリフだけというのがとても多かったのです。ここも旋律をつけたら、という部分もとても多かったですね。作曲はいしむらむつみさんと和田真奈美さんということで、やはり同じ日本人。あまり裏切れないかもしれないなぁと思って聞いていました。
ずこくショックなセリフもたくさんあって、人間の複雑さを感じるのですが、あまりにも音楽が美しくて、人間のどろどろとした部分が美しく昇華してしまう感じすらしました。「こうだ」と言い切るセリフが少ないだけに、観客にどちらとも受け取る自由を与える旋律ではありましたが、もう少し方向性があってもよかったのではとも思いました。
ちょっと抽象的な話になりましたので、私の大好きなさけもとさんの役でお話しましょう。あらすじの中で「隠していたはずのブラック判事(大須賀ひでき)との関係も夫に知れていたことがわかり」と書きましたが、はっきりユンゲルがこういうセリフはありませんでした。ただ「判事さんが夜毎相手をして下さる。」というようなセリフなのです。
さけもとさんの演じられたユンゲル・テスマン。本当にお人よしで、自分には高根の花であったヘッダと結婚したことに満足し、完璧にヘッダに尻に敷かれているのです。当然、さけもとさんの歌われる歌はとても美しいメロディ。毒にも薬にもならないような人物であることを印象付けてくれます。しかし、ヘッダからの愛、もしたとえそれが見せかけであろうと、その愛がある形になった後でも、学者としての本当の心を持って亡き友の遺作を完成させようとする。それも、ヘッダを屋敷に残してある女性と仕事をしようというのです。そうそう、ヘッダは身ごもってもいます。
そんなユンゲルがヘッダに対して言う「判事さんが夜毎相手をして下さる。」が、美しい旋律でいいのかなぁと思うのです。そして、もしかしたら、この劇中一番厚い仮面をかぶっていたのはユンゲルだったのではと思うとき、彼の歌う歌の旋律がもう少し美しさを裏切るものであってもよかったのではないかと思ったのです。
もしかしたら、深読みし過ぎの感想かもしれません。ついつい、さけもとさんが演じられると、裏がある・・・と思ってしまう私の悪癖かもしれません。でも、とても優しいユンゲル、十分に素敵でした。
あらすじの中に出てこなかったのですが、ユンゲルの育ての母である伯母ユリナースを演じられた松岡美希さん。この役こそ、なんの裏切りもない美しい心の象徴なのだと思いますが、そのものでした。優しく、包み込むような歌声にうっとりしていました。
ブラック判事の大須賀ひできさん。ご縁があり、今年になってこれで3作品拝見しました。大須賀さん、とても美しいお声をお持ちなんですよね。でも、今回は結構悪役。凄みのある声で歌い、台詞を言われ、悪役を楽しんでいらっしゃったように思いました。が、最後の方、ヘッダを半分脅迫し、我が物にしておこうというあたりで、いつもの美しいお声になってしまわれたのがちょっと残念でした。
決して楽しいとは言えない作品ですが、さすが実力派6名のキャストに支えられ、作品の意味を考えるいい機会を得ました。
原作を読んでみてから、もう一度観劇してみたいと思います。
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