わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

ひめゆり

2005年08月07日 | 観劇記
05年8月7日マチネ
東京芸術劇場・中ホール  7列目下手

「ひめゆり」という作品は何年も前から観に行ってみようか、と思いながらなかなか決心がつきませんでした。またいつか、と延ばし延ばしになっていた作品です。
史実に基づいた作品は、いろいろ展開しても結末は史実と同じはずですから、ひめゆり学徒隊の悲劇をわかっているだけに、辛い思いをするために劇場へは行きたくないという思いがありました。
今回、今拓哉さんが出演なさると聞いてからも、相当迷いました。なにしろ、昨年の夏に沖縄に行き、「ひめゆり平和祈念資料館」でいろいろな資料を見てきたからです。壕の内部が再現されていました。病院だったとは信じられませんでした。手記がたくさん展示されていましたので、涙をこらえていくつも読みました。辛い事実を、そのことが起きてしまった現場で見ていたので、劇場でまた思い出したくはないという気持ちが強かったのです。
しかし、結局は観劇しようと思い立ったのです。その大きな理由は、私達の世代が戦争を体験した人たちから、直接に話を聞くことが出来る最後の世代だということを自覚したからです。
今年は戦後60年。様々な場で第二次世界大戦の体験を聞く機会がありました。お話してくださる方は80歳以上の方です。ぽつぽつと語られます。しかし、「戦争は絶対にしてはいけない。」「今語らなければ、もう、語り継ぐときはない。」ということをおっしゃるときは、力を振り絞り、声の限りに私達に訴えてくるのです。私達も今しか聞くことが出来ないと強く感じたのでした。
「ひめゆり」という作品がどれほど深く史実を語っているのか、観てみたい、また、私よりずっと若い観客がどう感じるのかを知りたいと思いました。これから私達がどう語り継いでいくべきなのかを知る一つの手がかりになるような気がしたからです。

舞台の場面を思い出すととても悲しくなってしまうので、あらすじは省略。特に語りたい場面だけを取り出して書いていますので、史実からどのあたりかを想像して下さい。

ひめゆり学徒隊は「学徒」という名の通り学生でした。17歳前後の少女です。昭和20年3月24日に組織されます。親元を離れての学生生活だったようですが、それにしても看護婦の心得もないのに、「お国のために」と全員が戦時要員となっていくことが私には信じられないことでした。作品の中では、行きたくないという少女もいたことが描かれていました。でも結局は「お国のために」という方向に流されてしまい、全員で参加することになるのです。教師はそれを望んでいました。
いよいよ、南原風陸軍病院が危険になり、南部へ退却していく途中、引率の教師は、自決を望む生徒達に言います。「自分達の教育は間違っていた。君達は生きなさい。」と伝えます。
考えさせられる場面はたくさんあります。でも、私はこの作品にこの場面があって本当に良かったと思います。私は、とてもとても不思議でした。「お国のために、死になさい。」と言われて疑問を持たなかった当時の日本人のことが。私は、ごくごく一部の人が権力を笠に着て、押し付けるので、多くの人は表面上仕方なくそう思っている振りをしていたのだと信じていました。しかし、いろいろ聞いてみると、「お国のために、死ぬ」と言うことが心の底から当たり前だと思っていた人が戦争中は殆どだったというのが事実のようです。それは、すべて教育によるものだそうです。小さい頃から、毎日そう聞かされると、それが正しいとなるそうです。本当に怖いことです。
ですから、教師が少女達に間違った教育を詫びると言うことは、現在の私達が考える以上に重大なことだったと思います。「死になさい」と教えてきたのに、「生きなさい」というのは、昼と夜が反対だったと言っているのと同じことなのですから。
作品の中で「教育」が人格や思想の形成にいかに大きな影響があるかをはっきりと描いて下さっていたことに、とても感動しました。

キャストの皆様はとても素晴らしかった。と申し上げたいのですが、それを感じる余裕が私にはありませんでした。舞台の緊迫感がもの凄く、この歌が、とか、この演技が、と取り出して語れないのです。逆に言えば、その緊迫感が削がれることなく持続するのは、キャストの演技、歌も充実していましたし、音楽も素晴らしかったのだと思います。音楽は本当に心に響き、残りました。忘れたいのに「美しい沖縄」という悲しげな歌が頭から離れません。

一幕が終わったとき、普通でしたら、客電がつくとすぐにザワつき、席を立つ人がいます。それが、今回は、一分ぐらい、しーん、としていました。舞台の緊迫感が観客にしっかりと伝わっていました。終演後も、涙、涙。でも、自分が伝えるべきメッセージをもらったような満足感も溢れていたようでした。
これからも、ずっと上演し続けて頂きたい作品です。
でも、上演の意味がなくなる本当の平和な日が来ることを、願ったほうがいいのかもしれません。