朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

読書は18世紀の遺習

2015-03-13 23:31:33 | 21世紀
読書は18世紀の遺習
2015/03/14
 日本では、本屋さんが潰れています。私の住んでいる北九州市小倉でも、宝文館がパチンコ屋になり、金栄堂が潰れ、ナガリ書店が潰れ、大手の大書店が二つ新しく出来ています。 私自身も本はアマゾンで買い、本屋では買いません。
 子供達も本を読むより、テレビ・ゲーム・スマホの鑑賞に多くの時間を取られています。本を読む時間などありません。図書館も静かな環境を求める受験勉強生の勉強場所になり読書する人は少ないようです。
 私達世代は、読書は楽しみの一つで、面白い本を探し、読み、夢を膨らしたものでした。私は、学生時代には、1日に2冊、早川ミステリーを貸本屋で借りて、全巻読んでしまいました。就職して、土木現場の現場監督になりましたが、勉強を熱心にしていなかったので、分からない事ばかりで、新しい事を毎日毎日勉強でした。半年くらいの一現場で、本棚1列30冊くらいの本を買い、読みました。転勤の時には持って行けず、残して行ったものでした。
 現場仕事が続いているうち、痔が悪くなりまして、ぬるい風呂にはいっていると気持ち良くなるので、本を持って入り、読むようになりました。文庫本の小説は1時間で片手で持って読み終えるようになり、山手樹一郎や吉川英治など時代物は殆ど読みました。痔は結局手術になりました。
 私は、人生の殆どを本とともに過ごしたと感じています。時代遅れの男だなぁと感じます。ですからスマホもゲームも知りません。
 マララさんはOne Book が人生を変えると言いますが、あのパキスタンは、現在でも18世紀のようです。
 人生の勉強は受け取るばかりでは、出来ない気がします。受け取った物から、自分なりの成果を得て、それを実行することで人生は完成します。
 スマホでグーグルでウィキペディアで知識を直ぐ得られます。しかしそれで終わりとするのは浅薄で何も生みません。自分なりのイメージを自分の頭の中に作り、それを実行し、他人に対し、意見発表してこそ実用になると言うものです。この事を長谷川慶太郎さんは「知は力なり」と色紙に書かれます。
 読書はイメージ作りの手段です。文字を読んで、風景を頭に想像し、登場人物を動かし、映画が頭の中で上映されるように、小説を読むのは楽しく、記憶に残り、主人公の人生を自分で経験するようです。私はイメージの湧かない本はカスとしてすぐ捨てることとします。
 スマホ・テレビの現代、読書は面倒だとする人ばかりになり、日本は没落するでしょう。人口も減り、改めて増加するころは、読書の習慣が出来るかも知れません。落ちるところまで落ちないと、上昇の機運は生まれないでしょう。