福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

日本と唐のあいだで 840年代から 発着地が変わったのは・・・あ、そうだわー・・・・

2015年10月05日 21時26分06秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
今日は 昔むかーしにやった 網膜剥離のレーザー凝固術の定期検診のため、ママは 午後の数時間 ひとり活動。


やったねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!


こういう時間は、最大限に 活かさねば!!!!!!!!


というわけで、病院前に ミスドで自分の読書時間を持ち・・・・あ、そっかーという気づき


よくよく考えたら、あっさり 簡単なことですよねぇ~なことなのに、
ずっと気づかぬままでした


『円仁 古代中国への旅 『入唐求法巡礼行記』の研究』のうち、
第4章の“円仁と中国官吏”を読んでいて、あ、そっかーと気づいたこと。


そうだわ。
明州のあるトコ、天台山があるんだー。

そうだわ、藩鎮違うと、書類の効力がないんだったっけね・・・

赤丸のなかは、(ざっくり言ってしまえば)揚州での書類は、天台山のある地域では、効力がないんだよという説明をうけた・・・ということでした。

だとしたら・・・・

日本から唐に行く場合、ヒトの動きとしては 理想形だなぁ、明州発着って。
明州について、そこでOKもらえたら、天台山まで行くのも 苦労少ない、ってことですよね・・・・。

唐から日本へのモノの動きとしても、
青磁の産地が近くにあるから、明州発着が望ましい場所のひとつになってきたみたいだし・・・・。

そっか、そっかぁ・・・・・。

840年代から、日本と唐の、ヒトとモノの発着の場所が変わるのって、そういう理由(背景?)もあるのかも~~。

あ、そうだ、すごい仏教弾圧でも、山東と江南って、状況 違ったんだっけ・・・。



・・・・・・・・・・・・うん、いい気付きができた!!と思います
よーし、今日の発見で 少し 840年代以降の 鴻臚館での人とモノの動きについて、ノートへのまとめの方向性が定まってきた~。
うんうん、がんばろー