福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

840年代の理解って・・・いろいろてんこ盛りで いっぱいいっぱい!

2015年10月13日 23時43分36秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
藩鎮は こんなふうになってたんだよーという地図と、
大運河は こんな位置にあったんだよーという地図と、
重要な都市の位置関係は こんなだったんだよーという地図。

一枚になっているもの・・・・探せないんですよねー

探し方が悪いのか、もともとないものなのか。

時間見つけて作るかなぁ・・・なんて思った その直後、「どこに そんな時間がぁぁぁぁ」となるんですけどね

でも、やっぱり ほしいな

せめて、この2つの地図を、おおきくおおきく引き伸ばして、目を皿にするくらい見比べて?!

なんとか位置関係を理解できるようにならないとなんだろうなー・・・・


昨日の夜から今日の夜は、
『円仁 唐代中国への旅』のうち、第6章の 大衆の仏教と、第7章の 仏教弾圧を 改めて線引きながら 読んでます。


・・・揚州、大変だったのねぇ・・・・とか。

・・・たしかに この状況じゃ、楚州や揚州あたりを目指すより、日本からは明州を目指した方が 無難だったのかもなーとか。

・・・このころの派閥闘争みたいなことも、結構影響してるのかもなーとか。


鴻臚館の時代のうち、840年代の理解って、唐も新羅も いろいろあって、てんこ盛り過ぎて、足踏み状態に近いことになってますが、
なんとかこの足踏み状態を 前にすすめなきゃーと 思っています。

地図がなくとも、ひとまず、人の名前(役職)と年代と移動の状況を書きだすくらいはしなくちゃ~