福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

鴻臚館の時代も “東アジア史の中の、このまち”って視点が 大事・・なの、か、も?!

2013年12月19日 19時38分21秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
鴻臚館跡のまちまなびの まとめごと。

今週は 高校世界史の資料集の古書が届くのを待っています。
まだかなー♪
まっだかなー(結構 待ち長いです)

世界史の資料集待ちに 結局 なったのは。

“東アジア史の中の、このまち”っていう視点、やっぱり鴻臚館の時代でも持ったほうがいいよねぇと思って。

以前 フォーラムでいただいて、
今回のまとめノートづくりの時に参考にと思って貼った客館関連年表を
よーくよく よーく 改めて見ると・・・・・

“新羅使”と“遣新羅使”、重要なの?!って 思って。

よく出てくるんです。
“新羅使”ってことば。

あっ、そうだ。
万葉集にのってた、筑紫館で詠まれた歌も“遣新羅使”の方々の歌・・・ですもんね。

新羅、筑紫館の理解のためには、要チェック?!

ん~~~~。
・・・・・ということは。

筑紫館・鴻臚館の時代を理解するためには
唐のことをちゃんと確認することも大事だし、
唐の文化とのかかわりで、当時のイスラム国家(ササン朝とか、ウマイヤ朝とか)の文化を確認することも大事だけど、
新羅のことも ちゃーんと確認しなきゃ
福岡市内、舞鶴公園内の あの場所にあった 筑紫館と鴻臚館 そのものの役目の理解って 中途半端になるのかなぁ???

なんて思って・・・。


とにかく、高校世界史の資料集待ち~~


そして、統一新羅と日本のことを 改めて確認しまーす。


わー、どんどん 「やらなきゃ!確認しなきゃ!」って思う、当時の 他の国が増える~~!!
わ~~~~、そんな調子じゃ、発掘して出てきた陶器類のことについてのまとめって、
いったいいつになったら始められるんだろう!!!

でもでも やっぱり、“東アジア史の中の、このまち”を どの時代もちゃんと理解しなきゃなんでしょうねー。

今の時代も、そうなのかな。
ひゅっと意識とばして、俯瞰して、“東アジアの中の、福岡市”っていう見方をすること。

必要なこと・・・・・・・なんでしょうね



・・・・・・・・・というわけで。
ここ数日は、鴻臚館跡のまちまなびのまとめごとは全く進まず。
その分、すき間時間では こつこつ 検定のおべんきょしてますが・・・


本日のe-ラーニングでの 最高正解数。

・・・・問題、100問、連続正解を狙おう、っていうしくみだったよね・・・。



先は 長いね、わーたーしー


がんばれっ!!!!!!


(一度は、3問目で あっさり間違えました前途 ちょーう たなーん!!!)