福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

唐の状況と 日本の時代と 鴻臚館跡のこと・・・・あれれ?気になることが・・・

2013年12月17日 09時13分28秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
数日、福岡検定に集中した おべんきょうをやっていますが。

舞鶴公園。
「福岡城址」と「鴻臚館跡」と、二重で国史跡指定されてるんだよーっていうことが書かれていなくて、あれ?!

あと、城の復元工事のことだけ触れられていたので
「鴻臚館跡の発掘調査のことは、ココには書かんでいいんかーい」って
発掘された陶器の代わりに 泣いてみましたが

いやー、世界史の年表とあわせたあとというのもあるんでしょうけど・・・・

舞鶴公園の説明で「平安時代には鴻臚館」がたてられて、っていうさらっとした説明だと、な~~んか もったいないような気がするんですよねー。
後ろの方、展示館の説明には、飛鳥・奈良・平安時代の外交のための迎賓館って書いてあったけど。

だって・・・・・・
平安時代って、794年からでしょう???

唐客の最後って、779年なんじゃなかったですっけ???

なーんて いろいろ気になっちゃってます。

安史の乱のあと、9世紀は 晩唐。

でも、8世紀の玄宗のころの 盛唐や、あと、新羅と、
それこそ、8世紀のはじまり、701年の大宝律令後の日本での間の外交っていうところでも
本当は 舞鶴公園の あの場所って 結構大事だったんじゃないのかなぁ~~???なんて思うので・・・

ん~~~????
どうしよーう・・・・・

日本史の見方で、説明していこうとすると、ん~、なんかぶれやすいというか、伝えにくい場所なのかなぁ??
鴻臚館跡ってば。
畿内中心・江戸、東京中心の日本史の視点だと、伝えもれるものがあるってことなのかなー????
東アジア史の中での博多って視点って、やっぱり大事なんですね…。

ん~~、鴻臚館跡の魅力を あの場所で グイグイ感じてもらうって、難しいのかなぁ~?!。




ん~~~~~・・・どうしよう・・・。

まぁ、世界史の資料集が手元に届いてから、改めて考えます!!!!

最新版ではなくて、1つ前かなぁ・・という 古書ですが、資料集、なんとか手に入れることができたので、
あとは手元に届くのを待つだけ!!!

手元に届いたら、唐のことをいろいろ再確認して、鴻臚館跡のまとめごとも再開します!!!


・・・・・・その作業前に、検定のテキスト本、できるだけたくさん ちゃぁんと読み進めて、理解を深めていかなくちゃです・・・