福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

鴻臚館の説明で力点をおきたいところと 名前が変わった時点 違う世紀・違う時代なんですよね

2013年12月18日 11時37分25秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
ただいま、探し物の最中なんですが。


(どこにいったのー!!!))


そんなときに、こんなものを見つけちゃいましたよ。

じゃーん。



しぶーい?!

なんでそんなものあるのー?!な 博多港のパンフ。

環境フェスに さささーっと行ったときに、ご自由にどうぞだったので、なんか参考になればーと思って持ってきたんだと思います。

その時は、パパパっともらってきただけだったので、きちんとみてなかったんですけど、
今日、ぱらぱらっとひらいちゃったら・・・・おおー!!

鴻臚館のこと、8世紀(8C)で触れてある―!!


そうそう、外国使節の応対や遣唐使の大陸への船出を大事だと考えたら、
世紀で考えると、8世紀ごろ・・・奈良時代のころなんですよねー。

ただ、鴻臚館と呼ばれ出したのは、9世紀になってから、平安時代になってからだよねーというのもあって、
鴻臚館跡っていう史跡を説明するのって、
ちょーっと 簡単には伝えにくいってことになるんだろうなーって 思いました。


でっもー。。。。。。。。


外国施設の応対や遣唐使の大陸への船出に めっちゃ力点を置いてしまったら、
発掘されて、やーっと出てきた
陶器やイスラム製ガラス器の破片があることについて、
おちびさんに対しても、他のまちから訪ねてきた人に対しても、
するっと納得してもらえちゃう いい説明が できないような気がしてしまうんですよねー。

うーん、どう考えたらいいのかなー・・・・・・。



って!!!!!!


いや、今、探し物の途中ですから!!!!!!!!


あー、記憶力、出産前の基準に戻って―!!!!!!!!

検定の勉強で 苦労するだけじゃないんだー!!!

探し物 どこにあるのー!!!!
私、どうしたっけー!!!!


まちまなびは、そのあとでー!!!!!!!!