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<牧水賞の歌人たちVol.7 河野裕子>を買い求めた。なんとなく九州の人かと思っていたら、生まれたのが九州で滋賀の石部で育ったとのこと、大学は京都女子らしい。わたしも滋賀県で同郷だと思うと自慢したくなる。ただ私は湖東ブロックで、裕子さんの石部は湖南ブロックに属する。湖東ブロックというのは、短歌の世界ではかの有名な塚本邦雄を輩出している。有名な歌人がいるが、わたしの歌の資質とはとんと関係がない。
それはさておき河野裕子さんは、今年のお盆が始まる前になくなってしまった。どのくらいの期間かはわからないが、死の床で11首の歌を残しているが、えらくミョウガの歌が多い。なんでミョウガなのかわからないが、茗荷に特別な意味があるのかと思いググって見た。茗荷を食べると忘れっぽくなるという迷信の他、とくに変わったことはなく、夏の植物だと言うことだけがわかった。
とりあえず裕子さんの茗荷の歌を並べてみる。
1.昼ごろは茶碗かちゃつかせ食ひおへぬ茗荷の花と鰯が二尾と
2.茗荷の花こんなにうすい花だつた月の光もひるんでしまふ
3.すうすうと四人の誰もが寒くなり茗荷の花の透くを回せり
4.死がそこに待っているならもう少し茗荷の花も食べてよかった
5.死は少し黄色い色をしていしか茗荷の花は白黒モノクロであった
一首目は、昼食の茗荷と鰯を歌っている。茶碗をかちゃつかせるというのは食事も格闘だったということか。
二首目は、解釈が難しい。茗荷がうすい花だったという意味がわからない。月の光よりもうすいということだが、死が近づいてきたことかもしれない。
三首目は、透き通るような茗荷の花を四人で回したという。茗荷の花が命のように見えてくる
四首目は茗荷を食べると忘れっぽくなるから自制していたのか。死ぬ今となってはもっと食べたかったということか
五首目は、死が白黒で茗荷が黄色ならわかるが、逆転してきたというのか
辞世の歌としてどれをとるかというようなことがこれから出てくるかもしれない。11首中5首も茗荷の歌があるからこのうちからとりたいが、しっくりする歌がない。
わたしは<八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る>か<手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が>という歌のどちらかと考えた。何回か口すさんでいると、やはり、一番最後の歌と思われる<手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が>というのが裕子さんらしくて辞世の歌としてふさわしいと思えてくる。
<牧水賞の歌人たちVol.7 河野裕子>を買い求めた。なんとなく九州の人かと思っていたら、生まれたのが九州で滋賀の石部で育ったとのこと、大学は京都女子らしい。わたしも滋賀県で同郷だと思うと自慢したくなる。ただ私は湖東ブロックで、裕子さんの石部は湖南ブロックに属する。湖東ブロックというのは、短歌の世界ではかの有名な塚本邦雄を輩出している。有名な歌人がいるが、わたしの歌の資質とはとんと関係がない。
それはさておき河野裕子さんは、今年のお盆が始まる前になくなってしまった。どのくらいの期間かはわからないが、死の床で11首の歌を残しているが、えらくミョウガの歌が多い。なんでミョウガなのかわからないが、茗荷に特別な意味があるのかと思いググって見た。茗荷を食べると忘れっぽくなるという迷信の他、とくに変わったことはなく、夏の植物だと言うことだけがわかった。
とりあえず裕子さんの茗荷の歌を並べてみる。
1.昼ごろは茶碗かちゃつかせ食ひおへぬ茗荷の花と鰯が二尾と
2.茗荷の花こんなにうすい花だつた月の光もひるんでしまふ
3.すうすうと四人の誰もが寒くなり茗荷の花の透くを回せり
4.死がそこに待っているならもう少し茗荷の花も食べてよかった
5.死は少し黄色い色をしていしか茗荷の花は白黒モノクロであった
一首目は、昼食の茗荷と鰯を歌っている。茶碗をかちゃつかせるというのは食事も格闘だったということか。
二首目は、解釈が難しい。茗荷がうすい花だったという意味がわからない。月の光よりもうすいということだが、死が近づいてきたことかもしれない。
三首目は、透き通るような茗荷の花を四人で回したという。茗荷の花が命のように見えてくる
四首目は茗荷を食べると忘れっぽくなるから自制していたのか。死ぬ今となってはもっと食べたかったということか
五首目は、死が白黒で茗荷が黄色ならわかるが、逆転してきたというのか
辞世の歌としてどれをとるかというようなことがこれから出てくるかもしれない。11首中5首も茗荷の歌があるからこのうちからとりたいが、しっくりする歌がない。
わたしは<八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る>か<手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が>という歌のどちらかと考えた。何回か口すさんでいると、やはり、一番最後の歌と思われる<手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が>というのが裕子さんらしくて辞世の歌としてふさわしいと思えてくる。