2014/11/29
百人一首の改訂がおわった。初稿は簡単な読み替えが主で外面も内面も物足りなかった。今回の改訂は、織田正吉さんの著作の歌配列を取り入れ、その配列を目次として各歌に飛んでいけるようにした。また、飛んでいった先も少し充実させたつもりである。藤原定家の百人一首が後鳥羽上皇の呪いを鎮めるために編んだ歌集であるというメッセージを浮かび上がらせるつもりだったか、成功はしていない。何となく、そんな感じというくらいである。どうしたら、くっきり浮かび上がってくるのか、今後の課題であるが、いずれまたという気持ちである。
まとまったところでこれを公開して共覧に付したい。実はこの作業は、古事記の語呂合わせをしていた途中に道草をした産物である。結構重いが、また、古事記に戻っていく。時間があるような、無いようなベースが狂いがちだが適当にやっていきたい。
2014/07/13
百人一首について、2006年末から2007年4月頃にかけて、読み込んだ成果を語呂合わせ的にやった。
この作業のまとめとして目次を作ろうと考えて織田正吉さんの「絢爛たる暗号」の歌配置を目次として使った。
このマトリクスは、18×18からなり、ちょうど碁盤の目と同じである。このマトリックスに歌を配置することで定家は、後鳥羽上皇と式子内親王に対して、あるメッセージを込めたということらしい。
定家は、どんなメッセージを残したのか、直接的な言葉では残していないので歌の配置から推量するしかない。
適当にメッセージを作るとしたら、・・・・・
・後鳥羽上皇様には大変お世話になり、今わたしがあるのもあなたが歌人として認めてくださったからです。感謝してもし過ぎることはありませんが、時代はあなたの味方をしません。あなたを裏切る気持ちはありませんが、あなたの呪詛がわたしには届かないようにお願いします。
・式子内親王さま、あなたが居なくなってわたしは哀しい。父俊成のもとあなたとわたしは共に歌を学びました。父の用事であなたのところへ行き来するうちにわたしの気持は自分でも制御できまなくなっていきました。そんなわたしに父はもちろん、後鳥羽上皇まで反対し、邪魔をしたのです。あなたが亡くなられた後、さらにわたしが亡くなった後も、世間ではあなたのお墓まで蔓になってにじりより、まとわりつく等とうわさした。確かにわたしは真に関心のあることには、しつこい性格でしたがあなたの嫌がることは決して致しません
・・・・・・こんな感じになるのでしょうか。わたしの勝手な妄想と言えば、言えなくもありません。こういうメッセージが、定家の歌から読み取れることが証明できれば、いいのですが、わたしの能力では難しいと思われます。
今回、この目次を作成する時に、同時に各歌の加筆をし、付句もどきをして、遊んでみました。
付句とは、下の句の7・7はそのままにして、上の句の5・7・5を付句するのです。このアイデアは、画家の安野光雅さんが
「片想い百人一首」でされたということを新聞で知り、まねしてみました。「片想い百人一首」を先に見てしまうと付句のオリジナリティが
損なわれそうなので、自分で作るときは見ないようにし、自作が出来上がった段階で、【参考】として「片想い 百人一首」の安野光雅作を書きこみました。
織田正吉さんの「絢爛たる暗号」の歌配置の説明については、織田さんの本を見てください。
各歌の更新は、順次行いますので、完成には時間がかかると思います。更新が完成した段階で、歌の番号を右側に書き込みます。
こうすることにより更新前後の歌へのアクセス、更新が完成した歌へのアクセスができます。
2014/06/25
安野光雅さんが百人一首の下の句をそのままにして上の句の5・7・5を自分流に変更して挿し絵をつけるという本を出しているらしい。色々な意味で触発されるが、連句遊びに興味ある身には黙っていられない。
ブログを始めた頃にやった「百人一首をねちねちと」を加筆訂正の形で上句をつけてみようかなと考えた。以前のブログを眺めていると、連句だけでなく、定家の企みも浮かび上がるような連句ができないか、とも考えた。冷静に考えると「二兎を追う…」形になり一兎も得られないかもしれない。しゃれた付句は難しいが、特に謎を追うための付句はかなり難しいかな、とも。
そもそも百人一首は百首をもってひとつのメッセージを伝えるために撰首されたと言われる。どんなメッセージかは謎のままだが、そのメッセージを作るため定家は四苦八苦していただろう。小倉の山荘でああでもないこうでもないと屏風に色紙をペタペタと貼っている定家の姿があったらしい。
そうして精緻な理屈に基づく百人一首が出来上がったらしいが、そのメッセージそのものが残っているわけでもないのでわからない。それを推理したのか織田正吉さんで、「絢爛たる暗号~百人一首の謎を解く」に書かれている。これを読んでしまうと多かれ少なかれ、その影響下にわれわれはいる。その影響はさておくとして、わたしの定家観は、先人の書いたものから、こんな人物だったのではないかと考えている。
・定家は科学的(数学的)な発想をする
・百首歌は構造的で、正接続・逆接続・連鎖・関係等がある
・自我を押し通すから頑固で権威に屈しない
・いやいやながらでも自分を納得させて仕事はやり通す
・ただ単純に祟りを恐れるのでなく解決策を考えた
・長生きできたのは脳が若かったから
等と考えている。
今回のブログの更新には、つまり、単に歌の解釈でなく、
・織田正吉氏の説を反映させる
・定家の意図を可能なら付句に反映させる
等の視点を盛り込む。
盛りだくさんだがやってみるか?!
<< 百人一首 index >>
#001 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ---------------- 天智天皇 /
#002 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 --------------------- 持統天皇 /
#003 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む ------------ 柿本人麻呂 /
#004 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ------------ 山辺赤人 /
#005 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき ---------------------- 猿丸大夫 /
#006 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける-------------------- 中納言家持 /
#007 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも------------------ 安倍仲麿 /
#008 わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり------------------ 喜撰法師 /
#009 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに----------- 小野小町 /
#010 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関---------------- 蝉丸 /
#011 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船 ------------ 参議篁 /
#012 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ-------------------- 僧正遍昭 /
#013 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる ---------------- 陽成院 /
#014 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに ------------ 河原左大臣 /
#015 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ-------------- 光孝天皇 /
#016 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む------------- 中納言行平 /
#017 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは--------------- 在原業平朝臣 /
#018 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ----------------- 藤原敏行朝臣 /
#019 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや --------------- 伊勢 /
#020 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ---------- 元良親王 /
#021 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな ------------ 素性法師 /
#022 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ------------ 文屋康秀 /
#023 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど--------- 大江千里 /
#024 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに---------------- 菅家 /
#025 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな --------- 三条右大臣 /
#026 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ-------------- 貞信公 /
#027 みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ------------- 中納言兼輔 /
#028 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば----------------- 源宗于朝臣 /
#029 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 --------------- 凡河内躬恒 /
#030 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし ----------------- 壬生忠岑 /
#031 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 ----------------- 坂上是則 /
#032 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり--------------- 春道列樹 /
#033 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ ----------------- 紀友則 /
#034 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに--------------------- 藤原興風 /
#035 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける------------------- 紀貫之 /
#036 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ -------------- 清原深養父 /
#037 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける --------------- 文屋朝康 /
#038 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな --------------- 右近 /
#039 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき---------------- 参議等 /
#040 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで------------ 平兼盛 /
#041 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか----------- 壬生忠見 /
#042 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは ----------------- 清原元輔 /
#043 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり---------------- 権中納言敦忠 /
#044 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし ----------- 中納言朝忠 /
#045 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな --------- 謙徳公 /
#046 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな------------- 曾禰好忠 /
#047 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり--------------- 恵慶法師 /
#048 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな----------- 源重之 /
#049 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ------------ 大中臣能宣朝臣 /
#050 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな ---------------- 藤原義孝 /
#051 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方朝臣 /
#052 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな 藤原道信朝臣 /
#053 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母 /
#054 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな 儀同三司母 /
#055 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 大納言公任 /
#056 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部 /
#057 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影 紫式部 /
#058 有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする 大弐三位 /
#059 やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門 /
#060 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 小式部内侍 /
#061 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔 /
#062 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ 清少納言 /
#063 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅 /
#064 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼 /
#065 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 相模 /
#066 もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊 /
#067 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ 周防内侍 /
#068 心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな 三条院 /
#069 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり 能因法師 /
#070 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ 良暹法師 /
#071 夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く 大納言経信 /
#072 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊 /
#073 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ 前権中納言匡房 /
#074 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを 源俊頼朝臣 /
#075 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり 藤原基俊 /
#076 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣 /
#077 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院 /
#078 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌 /
#079 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔 /
#080 ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ 待賢門院堀河 /
#081 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣 /
#082 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり 道因法師 /
#083 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成 /
#084 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき 藤原清輔朝臣 /
#085 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり 俊恵法師 /
#086 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな 西行法師 /
#087 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師 /
#088 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき 皇嘉門院別当 /
#089 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王 /
#090 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず 殷富門院大輔 /
#091 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む 後京極摂政前太政大臣 /
#092 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし 二条院讃岐 /
#093 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも 鎌倉右大臣 /
#094 み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり 参議雅経 /
#095 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖 前大僧正慈円 /
#096 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣 /
#097 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家 /
#098 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける 従二位家隆 /
#099 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は 後鳥羽院 /
#100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり 順徳院 /
2007/04/09
「ももしきやふるき軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり(順徳院)」
「宮中の軒端に生えるしのぷ草見ればなつかし昔のことを()」
「順徳院佐渡に流され憤死せり親に劣らぬ恨みを持ちて()」
2014/07/30
「百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり(#100:順徳院)」
「【訳】宮中の古い軒場のしのぶ草、昔は手入れされていたしのぶ草をみると、昔の栄華の頃をいくら懐かしんでも懐かしみきれない昔です()」
◎-039 「浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき(#039:参議等)」
「大家族住みし廃墟の実家にも なほ余りある昔なりけり(付句遊戯-#100)」
「仏壇の魂を抜く営みの 家の魂いかに抜けるか(いまは廃屋になっているが思い出のつまった旧実家)」
「武士の世になりて朝廷凋落す二十歳の院は昔を思う(順徳院1197-1242)」
「父に似て子も文武にと秀でたり特に和歌には才能ありし()」
「変の後佐渡に流されこの地にて恨みながらの一生を終える(恨む相手はこの場合誰になるのか)」
「ももしきは宮中・内裏のことなりし『大宮』導く枕詞も()」
「式子内親王彼を養子にとする話あり定家は意図す()」
【参考】
「酒壺の底の暗さや想ひ出は なほ余りある昔なりけり(安野光雅)」