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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

百人一首#60 小式部内侍

2007年03月07日 |  / 百人一首

2007/03/07

「大江山生野の道の遠ければまだ文も見ず天の橋立(小式部内侍)」

「大江山生野の先は遠からむ便り届かぬ母の元から()」
「この歌は定頼のいう冗談に返歌をしたる小式部内侍()」
「歌枕三つも入る内容も破綻をしないなかなか名歌()」
「小式部は和泉式部の娘なり母に似たのか文才があり()」

「この歌は和泉式部の子の内侍からかう男に一矢報いる()」
「ねぇねぇの内侍をからかう男いて母の指導の便りを聞けり()」


2014/10/27

「大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立(#060 小式部内侍)」

「【訳】大江山を越え生野を通っていく道が遠いので、行くこともありませんし天橋立に居る母からの手紙も見ておりません()」


   006  「鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける(#006 中納言家持)」
    |   「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも(#007 安倍仲麿)」
007-◎   「筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる(#013 陽成院)」 
    |
   013


「成相の遍路の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立(付句遊戯-#060)」

「小式部は母と一緒に女房に美貌と歌才で注目される()」

「宮中で歌合わせあり母はいず母の代理で会に出席(15歳そこそこも歌の腕前高かったらし)」

「藤原定頼が来て小式部をからかい言える『母にヘルプ』かと()」


「定頼の皮肉に答え詠む歌が件の歌で退散の彼()」


「小式部は皆に愛され来たけれど産後の日立ち悪く死んじゃう(藤原公也の子を生んで、20代半ばで死亡)」


「とどめおきて誰をあはれと思ふらん子はまさるらん子はまさりけり(和泉式部)」


【参考】
「子供のとき『行つた』と嘘の手をあげて まだふみも見ず天の橋立(安野光雅#060)」

 


百人一首#59 赤染衞門

2007年03月07日 |  / 百人一首

2007/03/07

「やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな
(赤染衞門)」

「来るものと思い寝なくて待ちたれど月のいりまで待つはめになる()」
「この人は道長の妻倫子へと仕えるという顔も広けり
(和泉式部、清少納言、伊勢大輔と交友)」


 2014/10/27


「やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな(#059 赤染衛門)」

「【訳】あなたが来ないとわかっていたらためらわないで寝ましたものを、なまじ待っていたばかりに夜も更けて西に月が傾くのを見てしまいました()」


023    「月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど (#023 大江千里)」
 |     「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ    (#036 清原深養父)」 
 ◎
 |
036


「始発出る線路の先の空見れば かたぶくまでの月を見しかな(付句遊戯-#059)」

「この人の父が誰だか謎あるも母は美人で男にもてた(赤染時用トキモチか平兼盛という説もある)」

「道長の妻倫子とか娘の彰子に仕えていたり女官としては(紫式部や和泉式部と同僚でそうそうたるメンバー)」


「歌人とて当代屈指でならせるも性格的にもいい人だった(ライバルの定子側の清少納言とも交流あり)」


「辛口の紫式部も日記にて衛門の歌に一目を置く()」


「この人は大江匡衡マサヒラと結婚したりおしどり夫婦として聞こえたり()」


「住吉の神も認める歌詠みで息子の病の平癒を願う(歌に感応して願いを聞き入れたとか)」


「この歌は妹のため代作す恋の相手は道隆らしい()」


「赤染めと来れば構える名前ではほんとは穏和な人であるらし()」



【参考】
「シドニーの仲春チュウシュンおよそ七○度 かたぶくまでの月を見しかな(安野光雅#059)」

 


百人一首#58 大弍三位

2007年03月06日 |  / 百人一首

2007/03/06

「ありま山ゐなの笹原風ふけばいでそよ人を忘れやはする
(大弍三位:藤原賢子、紫式部の娘)」


「有馬山、猪名の笹原風吹けばどうしてあなた忘れるものか()」
「有名な紫式部母に持つ大弍三位も文才があり(狭衣物語の作者との説あり)」
「この歌のテーマは風で今でいう猪名川辺りの笹原の風()」
「笹原に吹く風のごとさわさわとあなたを思いけして忘れず()」
「笹原と篠原という原っぱでつながっているあさぢふの歌(#39)」
「#39浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき(参議等)」

【訳】有馬山の近くにある猪名の笹原に風が吹いたら笹のざわめく音であなたを思いだし、忘れることがありましょうか、決して忘れない。 


 2014/10/25

「有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする(#058 大弐三位)」

「【訳】有馬山へ行く途中の猪名の篠原に風がそよそよと吹いたなら さてそれのこと〔私が浮気〕ですが、どうして私があなたを忘れましょうや、決して忘れません()」


   039    「浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき(#039 参議等)」   
    |     「風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける(#098 従二位家隆)」
098-◎-048 「風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな(#048 源重之)」 


「妄想もしんみり彼女言うことに いでそよ人を忘れやはする(付句遊戯-#058)」

「有馬とか猪名の地名は直接に関係はせず修辞のためと()」

「この歌人大弐三位は有名な紫式部の娘であるよ(藤原賢子)」


「成長期いかな影響受けたかは興味はあるがまずは捨て置く()」


「母娘にて一条帝の中宮の彰子に仕え生活謳歌()」


「色々な貴公子たちと恋をして藤原兼隆と結婚したり(道長の甥で一女をもうけている。乳母になったということは兼隆は死んだのか)」


「後冷泉天皇生れてその乳母つとめて出世もうなぎ登りに(従三位、典侍ナイシノスケと出世した)」


「その後に太宰大弐の高階成章さんと再婚をする(太宰府の長官)」


「二代目の大弐は割りと世渡りが上手くて母とは少し違うか()」


【参考】
「七夕の笹の願ひに風吹けば いでそよ人を忘れやはする(#058 大弐三位)」


 


百人一首#57 紫式部

2007年03月05日 |  / 百人一首

2007/03/05

「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな
(紫式部)」


「やっと逢え確かあなたと見かけしがまた雲隠れする夜半の月かな()」
「この人は光源氏の物語 世に残したる稀な人なり()」
「いづれまた式部の歌を読みとかむ歌で辿ろう王朝絵巻()」


 21014/07/13


「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影(#057 紫式部)」 


「【訳】めぐり逢い思うまもなくまた消えた雲隠れする月のようにと(幼馴染みと偶然出会ったが…)」


068-◎   「心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな  (#068:三条院)」 

    |   「秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ (#079:左京大夫顕輔)」 
   079   


「信長も夢幻ユメマボロシに討たれけむ 雲隠れにし夜半の月影(付句遊戯-#057)」 

「大河にて信長討たれるシーン見て雲に隠れる月のごとくに(軍師官兵衛)」

「紫の物語など紡ぐほか歌の腕前尋常ならず(紫式部)」


「紫は藤原為時の娘なり稀有な文才持ちし人なり (970年頃に生まれ、40才頃に亡くなる)」


「ライバルの清少納言負け組も知りてし止まん彼女の気持ち()」


「この歌は雲と月との交点もとどのつまりの端点なりし()」

「この歌は『新古今和歌集』に採られおりつかの間の逢瀬幼馴染と()」    
 

「アルペルカ停電の夜あひしまま雲がくれにし夜半の月かな(安野光雅)」


2014/10/24

「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影(#057 紫式部)」

「【訳】久しぶりにめぐり逢って訪ねても来ないので見たのか見間違いかよくわからない間に 見えなくなってしまった夜半の月のようでした()」


068-◎    「心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな   (#068 三条院)」
    |    「秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ (#079 左京大夫顕輔)」
   079


「あの人はわれを避けては来ぬならむ 雲隠れにし夜半の月影(付句遊戯-#057)」

「この人を知らぬはもぐり大和ではストーリーテラーモーツァルト並みの(イマジネーションの実現化)」 

「紫の父為時は漢学者越前の守になりし人なり(藤原兼輔#027は曾祖父)」

「幼きに頭がよくて惜しまれる『この娘が男子であれはよけれ』と()」

「父親と見まがうばかりの宣孝と結婚をして娘をなせり(大弐三位#058)」

「若くして未亡人となる紫はやがて出仕す彰子のもとに(道長の娘で一条天皇の中宮となる)」

「この頃に紡がれたるか物語今なら二千四百枚も()」

「どのように出版されて流布したかよくわからぬもベストセラーに()」

「物語中に和歌あり八百も登場人物に代わりて詠める(驚愕!)」

「定家がこの歌撰りしは『孤独感』漂えるとこ読みこなしたると()」 

【参考】
「アルベルカ停電の夜にあひしまま 雲隠れにし夜半の月影(安野光雅#057)」

 

百人一首#56 和泉式部

2007年03月04日 |  / 百人一首

2007/03/04

「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度の逢ふこともがな(和泉式部)」

「もう死ぬわわたしのこの世の記念とて会ってちょうだいもう一度だけ()」
「恋多き人であるらむこの人は次から次に夫かわれる()」
「書写山に和泉式部が訪れる歌を聞き入れ上人が逢う()」
「歌詠みの与謝野晶子が感化され和泉式部の日記によりて()」


 2014/10/23

「あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな(#056 和泉式部)」

「【訳】死ぬでしょう。あの世に持っていく思いでとしてせめてもう一度あなたに逢ってお別れしたいと願っています()」



077-◎-026 「小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ   (#026 貞信公)」

    ∥     「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守       (#078 源兼昌)」
   078    瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ (#077 崇徳院)」


「この式部飼いたる蟲がなせるのか いまひとたびの逢ふこともがな(付句遊戯-#056)」


「この式部歌のうまさは昔から評判でありいい歌残す()」

「なんかこう性に関して大胆で色情狂のごと扱われる(どのくらいそうだったのかは不明)」


「反論をするには如何な方法があるやは知らずしてみたくあり()」


「仏道もわりに逸話が残るらしテーマによきか和泉式部研究()」


「代々が学者の家系も宮廷で母仕えおりコネをもちたり()」


「一人目の旦那は橘道貞で和泉式部と呼ばれおり()」


「子としては小式部内侍をもうけるが浮気の蟲を宿しおるなり
(その後、為尊親王、その弟・敦道親王と付き合うが年若くなくなってしまい藤原保昌と再婚、他にも浮き名をしたらしい)」

 

【参考】
「花さそふ酒も最後となりぬれば いまひとたびの逢ふこともがな(安野光雅 #056)」