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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

百人一首#64 権中納言定頼

2007年03月12日 |  / 百人一首

2007/03/12

「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木
(権中納言定頼)」


「朝が明け宇治の川瀬の霧が晴れあらわれ出たる瀬々の網代木()」
「朝帰りする定頼は親しみ込めて網代木をみる
(川面からスーゥと見えてくる網代木にわが身かさねて)」
「定頼は藤原公任の長男で才能あれどあわてものとか」
「小式部内侍をからかい揚げ足を取られてしまい舌をまきたり()」


2014/11/01

「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木(#064 権中納言定頼)」

「【訳】冬の夜が明ける朝ぼらけの頃宇治の川霧で見えかくれしていたけれどだんだんとはっきり見えるようになる瀬々の網代木ですよ()」


   088    「難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき (#088 皇嘉門院別当)」
    ∥     「明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな (#052 藤原道信朝臣)」
052-◎-008 「わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり     (#008 喜撰法師)」


「宇治川で網引き上げて魚捕る あらはれわたる瀬々の網代木(付句遊戯-#064)」

「賀茂川に夢で見たるか川面にと あらはれわたる瀬々の網代木(付句遊戯-#064安野さんを参考に)」


「定頼の父は藤原公任で蛙は和歌や書にすぐれたり(995-1045)」

「少年の定頼行幸に伴われ歌でヒヤヒヤ父をさせたり()」

「水もなく見えこそわたれ大堰川岸の紅葉は雨と降れども(藤原定頼)」


「定頼は小式部からかい紅葉顔ほうほうのてい逃げ帰れると(江戸川柳にある)」


「定頼は叙景の歌が得意かな大堰や宇治の川を詠みたり()」



【参考】
「救急車泣くがごときに行きしあと あらはれわたる瀬々の網代木(#064 権中納言定頼)」


 


百人一首#63 左京大夫道雅

2007年03月09日 |  / 百人一首

2007/03/09

「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな
(左京大夫道雅)」


「今はもうあきらめたけどこの気持ち自分自身で説明したい()」


2014/08/02

「今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな(#063 左京大夫藤原道雅)」

「【訳】今はただあなたへの思いを絶ちきろうとしているのを、このわたしの気持ちを人頼みでなく
        直接伝える方法はないものかと思い悩んでいます()」


043  「逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり   (#043 権中納言敦忠)」 
 |   「人も愛ヲし人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は (#099 後鳥羽院)」
 ◎ 
 | 
099



「禁じられならぬ思いも伝えたい 人づてならでいふよしもがな(付句遊戯-#063)」

「道雅の祖父は関白道隆も父失脚し晩年不遇(生没年992-1054年)」

「父親は儀同三司伊周コレチカで中関白家は没落したり()」


「この歌は長和5年の作なりし娘に通う男に怒り(長和5年:1016年)」


「斎宮が上洛するに通いては三条院が怒りて警護(三条院皇女当子内親王)」



【参考】
「五番街のマリーに詫びたい気持ちだと 人づてならでいふ由もがな(安野光雅)」



 
 


百人一首#62 清少納言

2007年03月09日 |  / 百人一首

2007/03/09

「夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
(清少納言)」


「鶏の声マネしてトキを告げたとて容易に開かぬ逢坂の関()」
「この歌は函谷関の故事にかけ詠まれたるらし教養滲む(清少納言の)」


2014/10/30

「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ(#062 清少納言)」

「【訳】まだ夜の深いうちに鶏の鳴き声をまねて上手くだまそうとしても中国の函谷関ならともかくあなたとわたしの間にある逢坂の関は通れないでしょう()」



078  「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守      (#078 源兼昌)」

 |   「名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな (#025 三条右大臣)」  
 ◎ 
 | 
025


「弁慶は安宅通るに勧進帳 よに逢坂の関は許さじ(付句遊戯-#062)」


「清原元輔が父有名な『枕草子』を書いた彼女は()」

「お馴染みの清少納言あちこちで鼻持ちならぬ女と伝わる()」


「最近の説では彼女いい女定子のために奮闘したと()」


「かの草子はじめの出だしが『すべて』だと思わせるほど迫力がある()」


「三蹟の藤原行成と話せるにもの忌み理由にかえりたり()」


「行成が鶏鳴いて帰れると手紙よこせるそのやりとりを()」


「仕えたる定子が早死にしたために彼女も不遇に過ごしたるとや()」


「お聖さん描ける少納言暖かいほんとはどうかわからないけど()」


「『REMIX枕草子』も読んでみん彼女の姿とらえるために()」

「源氏だけ読みたるけれど片寄れる清少納言もスローリードを()」



【参考】
「カサブランカ マルセイエーズを歌ふとも 世に逢坂の関は許さじ(安野光雅 #062)」


 


百人一首#61 伊勢大輔

2007年03月08日 |  / 百人一首

2007/03/08

「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
(伊勢大輔)」


「昔咲く奈良の都の八重桜いま宮中に満開で咲く()」
「この人は紫、和泉の各式部交友があり刺激しあえり()」


 2014/10/29

「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな(#061 伊勢大輔)」

「【訳】昔に奈良の都で美しく咲いていたであろう八重桜が 今日はこの宮中で美しくきれいに咲いていますよ()」


033   「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ(#033 紀友則)」
 |    「もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし(#066 前大僧正行尊)」
 ◎
 |
066


「幾重にも生け垣となる薔薇の苑 けふ九重に匂ひぬるかな(付句遊戯-#061)」

「この大輔親父が伊勢の祭主にて伊勢大輔と呼ばれおり()」

「伊勢もまた中宮彰子に仕えたりきら星のごとメンバーがいた(紫式部、和泉式部、赤染衛門らがいた)」


「八重桜帝に披露するときに伊勢がしなさい歌を添えては()」


「この役目紫式部がしていれど新入り伊勢にやれと言われる()」


「さすが伊勢祖父も父をも歌詠みで期待に応えいい歌詠う(祖父能宣は36歌仙、父輔親は中古36歌仙)」


「技巧では『の』の反復と語の対比詠われていてリズムがよけれ(八重・九重、いにしへとけふ、奈良と京)」



【参考】
「赤き実を鳥はついばみ運ぶとて けふ九重に匂ひぬるかな(安野光雅 #061)」