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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

百人一首 #69(能因法師)

2007年03月14日 |  / 百人一首

2007/03/14

「嵐ふく三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり
(能因法師)」


「醍醐なる三室の山の紅葉は竜田の川の錦のようだ()」
「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
(能因は白河には行っていない)」


 2014/07/21


「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり(#069:能因法師)」

「【訳】強い嵐が吹いて三室山ではもみじ葉が降り敷き竜田川が錦織のようになっている()」

   017    「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは (#017:在原業平朝臣)」
    |     「山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり   (#032:春道列樹)」
032-◎-096 「花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり   (#096:入道前太政大臣)」
    |     「このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに     (#024:菅家)」
   024   



「わが池は紅葉のごとくに鯉泳ぐ 竜田の川の錦なりけり(付句遊戯-#069)」

「永源寺川面に垂れるもみじ葉は 竜田の川の錦なりけり(付句遊戯-#069、竜田のもみじ吾は知らねど)」



「能因は名歌残せり『歌枕』旅したこととはなっているなり()」

「白河に行かず白河詠んだため江戸川柳で袋叩きに()」

「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関(能因)」

「三十路にて坊主になれる能因はあっちこっちをうろつきまわる(金はどうしたんだろう)」


【参考】
「その昔バツをもらひし山の絵は 竜田の川の錦なりけり(安野光雅)」


 


百人一首#68 三条院

2007年03月14日 |  / 百人一首

2007/03/14

「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
(三条院)」


「世知辛いこの世に長く生きたなら思い出すだろ今夜の月を(翌々年に死亡)」
「三条院道長が推す孫のため圧迫受けて退位させらる()」
「三条院父は冷泉・母超子定位につくもやむなく降りる」


2014/11/02

「心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな(#068 三条院)」

「【訳】自分の本心でなくしかたなく嫌なこの世に生き長らえるなら、今夜の夜中の月は恋しくなつかしく思い出されるにちがいありません。
    それほど美しい夜中の月であることよ()」



086-◎-057 「嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな   (#086 西行法師)」

    |     「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影 (#057 紫式部)」
   089    「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする (#089 式子内親王)」 


「道長の望月よりも身近なる 恋しかるべき夜半の月かな(付句遊戯-#068)」


「この帝冷泉天皇を父に持ち藤原兼家の娘を母に持ちたり(超子)」


「10歳で皇太子にとなりたるも即位するのは36歳のとき()」


「即位後も皇居の火事や眼病で物憂い日々をすごしたるらし()」


「摂政の藤原道長暗躍し三条院の身を脅かす(譲位後出家、42歳で崩御)」


「この歌は退位を決意されたとき出ていた月を友とした歌()」


【参考】
「東欧の旅に異郷の鐘聞けば 恋しかるべき夜半の月かな(#068)」


 


百人一首#67 周防内侍

2007年03月13日 |  / 百人一首

2007/03/13

「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ
(周防内侍)」


「春の夜に気まぐれに出す手枕を受けて流れる噂が恐い()」
「手枕の主は忠家大納言粋なやりとりほほえましきか()」


 2014/08/04


「春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ(#067 周防内侍)」

「【訳】春の夜の夢のようなたわむれの手枕に実際に恋もしていないのにうわさがたつのがなんとも残念です()」


018       「住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ       (#018 藤原敏行朝臣)」
 |        「恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ (#065 相模)」
 ◎ 
 | 
065




「捨て置けず看病すれどお年頃 かひなく立たむ名こそをしけれ(付句遊戯-#067)」

「この内侍和歌に優れていろいろな歌合わせには参加しており
 (周防守平棟仲の娘で後冷泉、白河、堀河天皇に仕え、『周防内侍集』がある)」


「春の夜におしゃべりするも眠くなり枕ほっせば御簾から出る手()」


「契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき(大納言・藤原忠家)」


【参考】

「名優に似てもつかぬに自称して かひなく立たむ名こそをしけれ(安野光雅)」


 


百人一首#66 行尊

2007年03月13日 |  / 百人一首

2007/03/13

「もろともにあはれと思えへ山桜花よりほかに知る人もなし
(前大僧正行尊)」


「お互いに哀れと思え山櫻その美しさ知る人もなし(十二で出家)」
「行尊は三井寺に出家その後に天台座主、大僧正になる()」
「小一条院の孫なりその親は参議基平も養子に行けり()」


2014/11/01

「もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし(#066 前大僧正行尊)」

「【訳】わたしがあなたをいとおしく思うように、あなたもわたしをいとおしく思っておくれ、山桜よ あなたよりほかにわたしの気持ちを知る人もいないのだから()」



   061     「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな      (#061 伊勢大輔)」
    |      「憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを   (#074 源俊頼朝臣)」
073-◎-045  「高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ   (#073 前権中納言匡房)」
    |      「あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな (#045 謙徳公)」 
   074


「花吹雪恥ずかしがり屋さん通れるを 花よりほかに知る人もなし(#066 前大僧正行尊)」

「行尊は三条院の曾孫なり12歳にて三井寺に出家(参議源基平の子だが10歳で死別、1055-1135)」

「加持祈祷長けて物の怪調伏す『験力無双』と公家に評判(藤原璋子が入内時に物の怪退治、鳥羽天皇の子供が生まれたとき呼吸停止したときに蘇生)」


「この歌は大峰山で修行時に出会った桜に心情を吐露()」


【参考】
「菩提樹の葉の押し花はかの村の 花よりほかに知る人もなし(#066 前大僧正行尊)」


 


百人一首#65 相模

2007年03月12日 |  / 百人一首

2007/03/12

「恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそ惜しけれ
(相模)」


「恨み泣き袖を涙で濡らす日々私の評判下がるのが惜し()」
「相模とは夫の任地で呼ばれたりその夫とは後に別れる(源頼光)」
「恋多き人であるらし相模とは定頼、資通と心を通ず()」


2014/08/02


「恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(#065 相模)」

「【訳】つれない人を恨んで嘆いて流した涙で濡れた衣の袖を干さないでいるこの恋で浮き名が立って朽ちていこうとするわたしの名が惜しいことです()」


   067         「春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ (#067 周防内侍)」
    |       「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ   (#001 天智天皇)」
001-◎-042   「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは     (#042 清原元輔)」


「二股をかけてばれてはバッシング 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(付句遊戯-#065)」


「なかなかにいろんな人と相模とは浮き名を流す恋多き人()」

「相模とは源頼光の養女にて大江公資キンヨリと結婚をする
 (大江公資キンヨリが相模守であったことから相模と呼ばれた)」


「公資キンヨリと別れた後に宮仕え祐子内親王に仕えたり()」


【参考】
「弓も張り書を読み筆もとるべきに 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(安野光雅)」