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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

百人一首#84 藤原清輔朝臣

2007年03月28日 |  / 百人一首

2007/03/28

「永らえばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき(藤原清輔朝臣)」

「長生きをすればこの頃懐かしく憂しと見た世が今は恋しい()」

「俊成等二条の家風に対抗し六条の家古風を守る()」

「清輔は歌人というより歌学者で『奥義抄』等著しにけり()」


2014/11/25

「長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき(#084 藤原清輔朝臣)」

「【訳】これから先長く生き延びたならまたこの頃の辛いことを思い出されるだろうか。憂っとうしいと思ったこの世も今は恋しいのです()」



037   「白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける(#037 文屋朝康)」

 |    「思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり(#082 道因法師)」「()」  
 ◎ 
 | 
082




「老いたれば流れる時も優しくて 憂しと見し世ぞ今は恋しき(付句遊戯-#084)」

「じいさんの顕季作る六条家御子左家とはライバル同士()」

「清輔は父・顕輔に疎まれる『詞花集』のなか一首もとられず()」

「父の死後六条家継ぎ盛りあげど結果がなかなかついてこず(二条院の勅命で『続詞花集』を撰んだが院の崩御で完成させられなかった。落胆)」



【参考】
「わがやどにペンペン草の花咲ける 憂しと見し世ぞ今は恋しき(安野光雅 #084)」


 


百人一首#83 藤原俊成

2007年03月27日 |  / 百人一首

2007/03/27

「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
(皇太后宮大夫俊成)」


「世の中は道などないと思えどもそんな山にも鹿が鳴いてる()」
「俊成は定家の親父で歌詠みで出家ののちは釈阿と号す()」
「この歌も世に聞こえたる俊成にしては品粗な歌と聞こえん()」

「俊成は定家の親父で歌の師で今ならチチロー、ゴジパパかしら()」
「この歌も能因法師の『奥山・・』の歌にそっくり名歌でもなし()」
「この歌は糊代の役鹿の他いかなるネタに接続をする()」


2014/11/25


「世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(#083 皇太后宮大夫俊成)」

「【訳】世の中ってものは辛いことから逃げられるような道はないのだ、思い余って入った山の奥にも悲しげに鹿が鳴いています()」



   005        「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき   (#005 猿丸大夫)」
    |       「わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり (#008 喜撰法師)」
078-◎-073 「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守(#078 源兼昌)」
    |     「高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ(#073 前権中納言匡房)」 
   008


「諭鶴羽の神社をすぎて頂へ 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(付句遊戯-#083)」


「俊成は定家の父で歌の道御子左家の礎作る()」


「後白河院の命にてまとめたり千載和歌集彼の仕事と()」

「俊成はある意味悟りに至れると27歳のとき詠みし歌にて()」

「俊成の歌の理念は『幽玄』と言外余情の微かな叙情()」

「俊成は僧衣を纏い正座して桐火桶抱え歌を詠みたり(桐火桶体と呼ばれていた)」

「定家とは父・俊成が50歳ときの子であり老いても元気()」

「俊成は63歳で出家して判者や歌の指導をしたり(91歳まで生きた大器晩成型の人、弟子に定家・寂蓮・家隆などなど)」


【参考】
「今の世は鳥も獣も嘆くらし 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(安野光雅 #083)」

 


百人一首 #082 道因法師

2007年03月27日 |  / 百人一首

2014/11/23

「思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり(#082 道因法師)」

「【訳】思いどおりにならない恋で嘆き悲しんでいても、それでも命は長らえている、辛さで堪えきれないのはこぼれ落ちる涙なんですねえ()」



084  「長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき (#084 藤原清輔朝臣)」

 |      「忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな     (#054 儀同三司母)」
 ◎
 |
054


「食うものも喉を通らぬわが命 憂きに堪へぬは涙なりけり(#082 道因法師)」


「俗名を[藤原]敦頼といい崇徳院に仕えたけれど出世はせずも()」


「それにつけ出家をするは八十歳なぜこの歳で坊主になりしか(83才だったとか)」

「道因は歌の腕前上がるよう住吉さんにお祈りをした()」

「俊成は千載和歌集編むときに道因の歌十八も採る(のち2首追加)」

「感激の道因は出る夢枕俊成増やすさらなる二首を()」

「馴れてのち死なむ別れのかなしさに命に替へぬ逢ふ事もがな(道因)」


【参考】
「痴呆症の父の歳よりながらへて 憂きに堪へぬは涙なりけり(安野光雅 #082)」



 


百人一首#81 後徳大寺左大臣

2007年03月26日 |  / 百人一首

2007/03/26

「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる(後徳大寺左大臣)」

「ほととぎす鳴いた方角見てみればただ浮かびたる有明の月()」

「ほととぎす象徴したるものはなに荒れたる都立つ寂しさか()」

「ふるき都を来てみれば 浅茅が原とぞ荒れにける 月の光はくまなくて 秋風のみぞ身にはしむ(平家物語)」


2014/11/22

「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる(#081 後徳大寺左大臣 藤原実定)」 

「【訳】ほととぎすが鳴いた方をながめたけれど、ほととぎすは見つけられなくて、ただ有明の月が残っていました()」 



   036         「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ(#036 清原深養父)」   

    |           「今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな(#021 素性法師)」    
070-◎-091   「寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ(#070 良暹法師)」
    |           「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む(#091 後京極摂政前太政大臣)」    
   021   


「サイレンの気配に窓を開けたれば ただ有明の月ぞ残れる(付句遊戯-#081)」 


「実定は俊成の甥定家とは従兄弟同士でなかなかの人(政治家としても文化人としても)」


「じいさんの実能のこと徳大寺左大臣とぞいわれける()」

「ホトトギスは夏の始めに日本へと渡る鳥らし皆待ちたると()」

「ホトトギスの初音を聞くは昔からブームであるも声だけもあり()」


【参考】
「寒稽古霜ふむ道は暗くして ただ有明の月ぞ残れる(安野光雅 #081)」




 


百人一首#80 待賢門院堀川

2007年03月25日 |  / 百人一首

2007/03/24

「長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ(待賢門院堀川)」

「あの人の心わからず黒髪が乱れるように思い悩めり()」

「堀河は待賢門院璋子へと仕えたるなり源顕仲が娘で(待賢門院は崇徳院、後白河天皇の母)


2014/07/12


「ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ(#080 待賢門院堀河)」

「【訳】いつまでも長く愛すると言われても、あなたの本当の気持ちはわからない。考えていたらわたしの長い黒髪が乱れて今朝は物思いに耽ってしまいます()」


   049    「御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ (#049:大中臣能宣朝臣)」   
    |     「逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり  (#043:権中納言敦忠)」
035-◎-050 「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける    (#035:紀貫之)」
    |     「君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな  (#050:藤原義孝)」
   043   



「好きな娘にどうコクルかと策練れど 乱れてけさはものをこそ思へ(付句遊戯-#080 待賢門院堀河)」

「堀河は璋子に仕えた女房で主人とともにのち出家する
(鳥羽天皇と中宮璋子との間に崇徳天皇を生むが、後白河院の崩御とともに衰退し、出家)」

「この歌は崇徳の命で編れたる『久安百首』の中に入れり()」

「黒髪は美人の品のひとつにて源氏も契る末摘花に()」

「この歌は後朝の歌の返歌にて髪の乱れた夕べを思う()」

「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる(与謝野晶子)」

「黒髪と乱れることしか言わないがそれで晶子は一首を詠める()」

「この歌は往時を詠うものなれど堀河の夜の色気を感ず(出家してからの歌)」


【参考】
「アトリエの機織る鶴の羽根色の乱れて今朝は物をこそ思へ(安野光雅)」