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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

百人一首#94参議雅経

2007年04月04日 |  / 百人一首

2007/040/04

「み吉野の山の秋風さよふけてふるさと寒く衣うつなり
(参議雅経)」

「吉野山秋風吹いて夜も更けて古き都に砧の音が()」
「雅経は定家とともに後鳥羽にはかわいがられて撰者となれる(新古今集の)」
「衣うつ砧の音の寂しきをなぜに打つのか夜がふけてから()」
「砧うつ音を聞きたしこの耳で悲しき調べあるはまことか()」


2014/11/29

「み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり(#094 参議雅経)」 

「【訳】美しい吉野の山に秋風が吹いて静かな夜が更けて かって離宮があった吉野の里は寒々として衣を打つ砧の音だけが響いてきます(#094 参議雅経)」 




079-◎-071 「秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ(#079 左京大夫顕輔)」

              「夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く(#071 大納言経信)」


「雲水が永源寺にて夢に聴く ふるさと寒く衣打つなり(付句遊戯-#094)」 


「理由ワケ知らず源頼朝雅経の才能評価親しくされる(子供の義家や実朝とも親交あり)」


「雅経は三天皇に仕えては昇りつめたり従三位参議に(後鳥羽、土御門、順徳)」

「後鳥羽から『蹴鞠長者』と称えられ和歌と蹴鞠の家を興せり(飛鳥井家)」

「和歌の道俊成を師に定家とはともに編むなり『新古今和歌集』()」

「この歌は是則詠う『み吉野のさとに降る雪』本歌にしたり()」

「み吉野の山に降る雪積もるらしふるさと寒くなりまさるなり(坂上是則)」


【参照】
「踏切のそばの鶏頭の咲く家の ふるさと寒く衣打つなり(安野光雅 #094)」


 


百人一首#93 鎌倉右大臣・源実朝

2007年04月02日 |  / 百人一首

2007/04/02

「世の中は常にもがな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも(鎌倉右大臣)」

「世は無常小舟を引ける綱のよにわたしを引ける曳舟があれ()」

「かくよめるこの歌作る実朝は悲しき運命知るはずもなし()」


2014/11/27


「世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも(#093 鎌倉右大臣)」 

「【訳】世の中は永久不変であってほしい。渚を漕ぐ海人の小舟の引き綱を引いていくさまをみるとしみじみと胸を締め付けられるようで哀しい()」




   046  「由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな   (#046 曾禰好忠)」

    |    「見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず (#090 殷富門院大輔)」
090-◎



「将軍の身は篭の鳥ひも付きの 海人の小舟の綱手かなしも(付句遊戯-#093)」


「頼朝の次男でありし実朝は若くてなれる征夷大将軍に(12歳で祭りあげられるも、甥の公暁に28歳で暗殺される)」


「鎌倉に居て京都ミヤコへの憧れを持ちて救いは歌詠むことか()」

「いち早く新古今集を読みたいと所望されおり歌の師匠に(定家が師であった。万葉集や近代秀歌をプレゼントした。)」

「かの子規もベタ誉めしたる実朝の万葉調の歌の調べを(金槐和歌集)」


【参考】
「いにしへの歌人も思へ伊豆の海 海人の小舟の綱手かなしも(安野光雅 #093)」



 


百人一首#92 二条院讃岐

2007年04月02日 |  / 百人一首

2007/04/02

「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわくまもなし(二条院讃岐)」

「わが袖は沖に沈める石のごと乾く間もなしわかってほしい()」
「小説にありし讃岐は謎の人再び読まむひとがら思い()」
「源三位頼政が娘讃岐とは中宮讃岐と呼ばれしもあり
(二条院のあと後鳥羽院の后に仕え中宮になった)」


 2014/07/11


「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし(#092:二条院讃岐)」

「【訳】わたしの袖は引き潮のときでも見えない沖の石のように人にもわからないだろうが、涙で乾く暇もありません()」



   010     「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関  (#010:蝉丸)」
    |      「音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ    (#072:祐子内親王家紀伊)」
072-◎-090  「見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず(#090:殷富門院大輔 )」 



「ものづくりアイデアなどが湧き出づる 人こそ知らね かわく間もなし(付句遊戯-#092)」



「アイデアが清水のごとく湧き出でて枯れることなくあるは望まし()」

「引き潮に見えぬ沖なる石のよう濡れたる袖は乾く間もなし()」

「源三位頼政父に持つ讃岐二条天皇に仕えたるらし()」

「この歌を詠んで讃岐は呼ばれたり『沖の石の讃岐』と揶揄される()」


【参考】

「汝が謎の海の衣は石造り 人こそしらねかわく間もなし(安野光雅)」




百人一首#91 藤原良経

2007年04月01日 |  / 百人一首

2007/04/01

「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねむ
(後京極摂政前太政大臣)」

「こおろぎが鳴いております寒い夜むしろを敷いてひとり寝てます()」
「良経は歌を俊成に学びたり資質愛さる後鳥羽院には()」
「さむしろの下から鳴きしコオロギよ霜夜の寒さで風邪を召さるな()」 

「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
(#91後京極摂政前太政大臣)」

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
(#3柿本人麻呂)」「独り寝をテーマにしたる歌二つ鶏とコオロギなににつながりる?()」
「ひとり寝をテーマにしたるほかの歌あるかも知れず注意して見よ()」
「歌聖とて人麻呂歌う長い夜うんざり感がよく出ているか()」

後京極摂政前太政大臣:藤原良経、関白九条兼実の子で太政大臣になった。後鳥羽上皇に愛された。


2014/11/27

「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む(#091 後京極摂政前太政大臣藤原良経)」

「【訳】こおろぎが鳴いています。寒くなって霜が降りようとする筵で衣の片袖を敷いて一人ぼっちで寝るのですねぇ()」 


   003     「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む (#003 柿本人麻呂)」
    |      「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る (#053 右大将道綱母)」
081-◎-078  「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる       (#081 後徳大寺左大臣)」
    |      「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守           (#078 源兼昌)」 
   053   


「ホームレス歌人がおりし彼もまた 衣かたしきひとりかも寝む(付句遊戯-#091)」 


「良経は歌才にめぐまれその才を祖父忠通からと受け継ぎおりし(藤原忠通#076、慈円#095)」


「良経は政治家として従一位太政大臣にと登り詰めたり(1169-1206,38歳の若さで死ぬ)」

「後鳥羽院信任される良経を『新古今』の仮名序書かせる()」

「さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫(新古今にある本歌)」

「さむしろは良経等の貴族には無縁なれども妻亡くしおり(歌を作る直前に妻をなくした)」


【参考】
「紅の豚の眼鏡をお面にし 衣かたしきひとりかも寝む(安野光雅 #091)」


 


百人一首#90 殷富門院大輔

2007年03月30日 |  / 百人一首

2007/03/30

「見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色は変はらず
(殷富門院大輔)」

「さあ見てよ雄島の海女の袖でさえどれほど濡れても色は変わらぬ
(私は血の涙を流しているというのか)」
「後白河第一皇女亮子なり殷富門院式子の姉だ()」


2014/11/26


「見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず(#090 殷富門院大輔)」

「【訳】わたしの袖をお見せしたいなあ。雄島の漁師の袖でさえ濡れても濡れても色は変はらないのにわたしの袖は血の涙で濡れています()」



092-◎-093   「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし (#092 二条院讃岐)」
            「世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも   (#093 鎌倉右大臣)」


「掃き溜めの鶴といえども色は白 濡れにぞ濡れし色は変はらず(付句遊戯-#090)」


「この大輔藤原信成の娘なり歌詠み上手で多作で知れる(千首大輔と言われた)」


「この大輔歌林苑にと参加して仲間と割りに自由に行き来(俊恵法師、清輔、二条院讃岐、寂蓮法師、道因法師など)」

「『無名抄』鴨長明書きたるも師の俊恵の歌林苑にも()」

「松島や小島の磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか(源重之の本歌)」

「小侍従と親しき仲で夜もすがら連歌に興ずとこともありしか()」

「この歌は本歌に対す返歌なり一句切れなど秀逸なりし(源重之の本歌)」


【参考】
「ありし日の兵士の服は土の色 濡れにぞ濡れし色は変はらず(安野光雅 #090)」「