8/1
最近なんでも短縮してしまう風潮があるがこのKYも空気読めないなんてわからなかった。その空気だが、偶然古本屋にコスパの良さそうな本が並んでいたので買った。「関係の空気・場の空気(冷泉彰彦)」というもので250円だった。その本の前書きのところで山本七平さんの「空気の研究」という名著があると紹介していて、それも買った。以前本屋で目にはしていたがふざけた名前だったのでスルーした。
さてその空気だが冷泉氏のいうところは、ものが決まるのは論理でなくて空気だという。私が思うに空気はつかみどころがなく本に表しにくいから、空気を言葉との関係で分析しようとした。結実したのが「関係の空気・場の空気(冷泉彰彦)」のようだ。山本七平氏の内容はわからないが、空気そのものを深く論じているのだろう。
ジャズの中にin the moodという曲があった(ように思う)。訳すと気分的にとか雰囲気的にという風にかってに解釈している。若いとき仕事の関係で研究部門にもいたことがある。酒を飲みながらいろいろと記論をするが、理系特有の論理的で自分の信じるところを主張し、文字通り議論を戦わせるような状況である。議論は落ち着くといいのだが落ち着かない、落としどころも議論したりするがこれも難しい。こんなとき場に加わっていると意見をもとめられたりする。よくわからないので理論的にはよくわからないがいままでの話を聞いていると「雰囲気的に…」といって意見をいう。要するにこの理屈はわからないが雰囲気的にというところが「空気」ということなのだ。世の中は論拠を持たない意見が横行しているしそれが主流になる。わたしとしてはラジカルでない論拠を密かに考え準備しておきたい(説得力はないが)。
7/31
森浩一氏の「万葉集に歴史を読む」という本を買った。巻末に歌が載っている。万葉集を考察していて歌の一つでもということだと思う。「上州の達磨の片目墨いれむ萬葉集に歴史読めた日(2010.12.9)」というものだ。この本の肝は有間皇子が斉明天皇と中大兄皇子の謀略によってとらえられ連行されるときの歌と有間皇子の墓かもしれない岩内古墳から万葉集には歴史が読めたという。発掘が基本である森さんの考古学であるから、その視点での萬葉解釈には興味深いものがある。
7/30
いま巷ではかっての日本スタイルが崩れて、年功序列や終身雇用と言う言葉はほぼ死語になったんだろう。大学生になってはみたが卒業を控え就職が決まらない人が増えている。インフレ基調では会社も伸びている感があるから、雇用しようと言う気にもなるが、デフレ基調ではそうもいかないんだろう。こんな中で将来の飯の種をどうすると言うことはわたしの感覚では重大な問題である。わたしの親の世代、わたしの子供の世代では世間の風が全く違う。いまの若者は大変だと思う。総じてのんびりとしていると思うが職業と趣味の融合というかバランスをどう考えているのだろう。「それどころじゃない!」と一喝されるかもしれないが、老いの戯言として聞いて欲しい。(続く)
7/29
未来予測は難しい。競馬も未来予測の一種と考えれば、競馬は全然当たらない。予測するのは難しいからしなくてもいいと考えるか、それでもした方がいいと考えるかである。わたしは一応後者をとるが、理論的にどうこう言えるほどではないので、感覚として思うだけである。しかし、政治・経済での指数や世界の動向をみながら穏やかな予測をし、それに基づいて行動している人をみれば尊敬にあたいする。もうすぐリタイアする身分なので未来予測の重要度はかなり低い。今さらじたばたしないでおこう。
さて、10年程前の2002年に『2010年までに起こる12の出来事』と題した本からメモっておいた内容を紹介する。これらの一つ一つを検証し、予測の精度の評価をあげるのはおもしろそうだが、中途半端になりそうなのでやめる。
(1)農業の時代
(2)猛スピードで老人大国に
(3)消費税が20%に
(4)自分年金
(5)デフレからインフレに
(6)円安方向に
(7)不安解消ビジネス
(8)新産業革命
(9)アジル産業
(10)パラダイム変換
(11)環境ビジネス
(12)哲学・戦略・ビジネス
個々に評価することもできるが、結局は経済予想についてはあまり意味がなさそうだ。理論的には、消費税は20%になってもおかしくないが、昔のままである。
われわれ団塊の世代が、リタイアし始めて世の中の流れが変わってきたようだ。結婚する若者が減ることにより、子どもも自然に少なくなってきている。
年功序列や終身雇用の考え方はもはや死語となりつつあり、非正規雇用者が圧倒的に増え、生活の安定が得られないことにより時代が貧困になってきている。
アメリカの衰退により世界のパワーバランスも変わりつつあり、東西南北のバランスも崩れてきている。共産圏も政治体制はそのままで、資本主義化してきている。中国の変貌も著しく日本にとってだんだんうっとおしい存在になってきている。
新産業革命とあるが、ICT(Infomation & Communication Technology)はかなり高度に発達し、iPhone Mobileによるアジル化もすすんでいる。あまり気づいていないのかもしれないが、パラダイム変換がおこなわれてきているのではないだろうか。真の産業革命といえるものは、何かわからない。ただ、原子力によるエネルギーインフラの見直しも必要になってきている。
とりあえず、日本の将来はどうなっていくのだろうか。ふと思う、あと何年生きられるかわからないが、多分10~30年くらいだろう。そんなに長くないけれど、未来予測をしないと、同じ寸法の未来しかない。想像力、予測力をもってすれば、2~3倍の倍率で未来が見えるかもしれない。
7/27
[概略]
1998.7.22に「万葉集について考える」というテーマのメモがある。このメモのなかにも俵万智さんのように万葉集を口語訳をしようというアイデアがある。このメモが引き金になったか、いまもこの作業が続いている。いま18巻まで来ているのでもうすぐ満願成就である。当時は外からの思いであったがいまは突っ込んだ話ができるかもかもしれない。ちょっと言いすぎかもしれないがわたしの調べが万葉調に近づいたかもしれない。
[万葉集って]
万葉集は古事記・日本書紀に続く膨大な書き物である。物語とか歴史書のように書かれたのではなくその時代にあった宮廷歌集や旧家に伝わる歌集等を編纂したものである。誰かから命じられたわけでもないようだ。藤原定家のように歌の家に生まれたわけでもないが、たぶん父の旅人や叔母の坂上郎女が基礎を教え自分自身で開花させたのであろう。勝手な憶測だが大伴家・佐伯家は王家に破れて服従を強いられたらしい。大王を讃える言葉が薄っぺらで紋切り型で何か奥歯にものが挟まっている感がある。
最初は小さくまとめるつもりが東歌になり、同時代人の歌集や家持歌集へと拡大させていった。もし、家持が天皇家に対して反逆のメッセージを込めたとしたら歌の並べ方とか歌のテーマについてだろう。直接的には、わからないので更なる深読みが必要になってくる。もし浮かんでくるとしたらどんなメッセージを込めたのか知りたいものである。。
[万葉秀歌]
斎藤茂吉が岩波新書に上・下巻で万葉秀から歌を取り出し、論評を加えている。茂吉は当代きっての歌読みであり、歌の調べとか解釈では叶わない。自分の好きな歌くらいだったら選べそうだ。歌にまつわるものがたり、時代背景等を考えるのも楽しそうだ。
[道具からみた万葉集]
渡辺茂氏が歌の中にある〈モノ〉を引っ張りだし、道具の時代考証をしているが、同じような視点で花とか歴史そのものを引くのも面白いかも。