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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

神功皇后(14 仲哀天皇-2)

2015年01月05日 |  / 古事記・古代史

2015/01/05


「太后の息長帯比売は神よせて神託たまう能力のあり()」
「仲哀は神託が嘘とそっぽ向き神の怒りに死んでしまえり
(1:天皇が筑紫の香椎の宮で熊曽を撃とうとしていたときに、仲哀天皇が琴を弾いて建内宿禰が祭の庭にいて神託を聞こうとしていました。
/2:このとき、皇后に神懸かりして神様が教えたことは、「西の方に国があり、金銀をはじめ目の覚めるようなたくさんの宝物があります。わたしがその国を授けましよう。」と
/3:しかし天皇が言うことには、「高い所に登って西の方を見ても、国などはなく、ただ海があるだけ」といい、嘘を言う神だと考えて、琴を横に置いてそれ以上は弾かず、黙ってしまった。
/4:神様は大変怒り、「すべてこの国は、あなたがあなたが治めるべき国ではない。好きなようにしたらいい」とおっしゃった。
/5:建内宿禰が怖れ多いと思い、仲哀天皇に琴を弾くように忠告しました。しぶしぶことを弾いていたところ、やがて琴の音が聞こえなくなり、明かりをともしてみたら天皇は死んでいた。
)」


「天皇が死んでしまってびっくりしあらん限りのお祓いをする
(1:事態に驚愕して殯宮の宮に移して、その国内から幣帛を取って、生剥・逆剥・畦離ち・溝埋め・糞戸・不倫の結婚の罪の類を求めて大祓をして清めた。
/2:また、建内の宿禰は、祭の庭にいて神の仰せを聞いた。おっしゃることには、以前に言ったとおりだが、あらたに、すべてこの国は皇后さまのお腹の子どもが治めるべき国である」と。
/3:さらに建内宿禰が神様に、どんな子ですかと聞いたところ「男の子」と答えた。
/4:さらに神託をうかがっている神様はどちら様ですかと尋ねたところ、「天照大御神の御心である。また、底筒の男・中筒の男・上筒の男の三神である。
/5:いま本当にあの国を治めようとするなら、天地の神、山の神、海河の神のことごとくに、幣帛を奉り、わたしの御霊を船の上にお祭りして木の灰を瓢に入れ、また、箸と皿とをたくさん作って、ことごとく大海に散らし浮かべて海を渡るがいい」と仰せになった。)」

「戦いの様子は知れずも勝利して新羅・百済を屈服させる
(1:神の教えをことごとくその通りに実行して、軍備を整えて海を渡りました。
/2:渡るとき海中の魚が大小関わらず船を背負ってわたりました。
/3:折りからの順風に乗って新羅の国の半ばくらいまであっという間に至りました。
/4:新羅の国王は、それを恐れて「今からは天皇のご命令のままに馬飼いになって、
船の腹を乾かさず、舵棹を乾かさずお仕え申し上げます」といった。
/5:このような次第で、新羅は馬飼いとして、百済は船渡りの役所とさだめになった。
/6:そこで杖を新羅の国首の門につきたてて、住吉の大神の荒い御魂を国をお守りす
る神としてお祭りになって帰りました。
)」

 


仲哀の后や子(14 仲哀天皇-1)

2014年12月26日 |  / 古事記・古代史

2014/12/26

「仲哀は豊浦トウラ・訶志比カシヒにましまして天の下治らしめたまう(豊浦:山口県下関市長府町豊浦に比定)」

「仲哀は二人の后に子は四人九州の地で亡くなれり
(大江の王の女で大中津比売に:香坂カゴサカの王&忍熊の王をなせる
/息長帯比売:品夜和気ホムヤワケ&大鞆和気またの名は品陀和気)」

「大鞆といえる由来は生れたとき腕に鞆の肉がつきたり()」

「生れるまえ母の胎中にましまして国治らしむと皆思えると()」

「この御世に淡道アワヂに屯家を定めたまいき()」


 


若帯日子の天皇(13 成務天皇)

2014年12月16日 |  / 古事記・古代史

2014/12/16

「若帯日子近江穴太の宮にいて天の下を治らしめしき(若帯日子=成務天皇)」

「天皇はあまりに目立たぬ人なのか皇子女等も簡単なりし
(1:天皇は、穂積の臣等祖先である建忍山垂根タケオシヤマタリネが女、名は弟財オトタカラの郎女に娶ひて、和訶奴気ワカヌケの王ミコをなした
/2:建内の宿禰を大臣として大国、小国の国の造をさだめて、また、国々の堺、また大県・小県の県主を定めた。)」

「崩御せる年齢は95歳とか記紀の記述で違いのありし
(1:乙卯の年、三月十五日に亡くなった。成務紀では、百七歳
/2:御陵は、沙紀の多他那美タタナミにある。今の奈良市山稜町御陵前)」


倭健の命の系譜

2014年12月14日 |  / 古事記・古代史

2014/12/13

「系譜とて倭建は全国をかけめぐりつつ皇子女なせる
(0:全部合わせて六柱
/1:伊玖目の天皇の女、布多遅フタヂの伊理毘売の命と娶ひて≫帯中津日子の命≫帯中津日子は天の下治らしたり
/2:弟橘比売の命と娶ひて若健の王をなす≫若健の王は、飯野真黒比売と娶ひして須売伊呂スメイロ大中オオナカつ日子の王をなす≫この王は淡海の柴野入杵の女、柴野比売と娶ひして迦具漏比売の命をなす

/3:近つ淡海の安の国の造の祖、意富多牟和気の女、布多遅比売と娶ひて稲依別の王をなす≫この王は犬上の君、健部の君等の祖先である

/4:吉備の臣健日子の妹、大吉備の健比売と娶ひて健貝児の王をなす≫この王は讃岐の綾の君、伊勢の別、登袁トヲの別、麻佐の首、宮首ミヤヂの別等の祖先である

/5:山代の玖玖麻毛理比売に娶ひて足鏡別アシカガミワケの王をなす≫この王は鎌倉の別、小津の石代の別、漁田スナキダの別の祖先である

/6:一妻アルミメと娶ひて息長田別の王をなせる≫息長田別の王の子ミコで杙俣長日子の王は三柱をなす≫飯野の真黒比売の命&息長真若中つ比売&弟比売)」


「昔からよく分からない享年も誰か証かしてその謎につき(享年:百三十七歳/御陵:山の辺の道)」

「わからない大帯日子は子の系譜孫かひ孫と婚姻したり(享年が137歳というからそれもありうるか)」

「大帯日子と迦具漏の契りには謎多いけど理由のありや
(0:大帯日子の天皇は迦具漏比売と娶ひして大江の王をなせる
/1:大江の王は庶妹銀の王に娶ひして二柱をなす→大名方の王&大中つ比売の命≫この大中つ比売の命は香坂の王、忍熊の王の祖先である)」
 


白鳥の陵(12 景行-8)

2014年12月12日 |  / 古事記・古代史

2014/12/11

「能褒野にて倭建は亡くなって倭から来る彼の妻子は()」

「陵つくりまわりのたんぼにはらばって哭ミネナカしつつ歌詠みたまう()」

なづきの田の 
稲幹イナガラに、 稲幹イナガラに 
蔓ハひ廻モトホろふ 野老蔓トコロヅラ
(歌謡番号35)」


「八尋なる白鳥になり天翔けて浜に向かって飛びたてり(白鳥は倭建の象徴)」

「飛翔する白鳥追いて妻子らは足傷付くも忘れ追いたり()」


浅小竹原アサシノハラ 腰なづむ 
虚空ソラは行かず 足よ行くな
(歌謡番号36)」


「さらに行き海に至りて水に入り進みたれども難渋したり()」


海処ガ行けば 腰名づむ 
大河原の 植草 
海処は いさよふ
(歌謡番号37)」


「白鳥が浜から飛びて岩多い磯にいるとき歌詠める()」


浜つ千鳥 浜よ行かず 磯伝ふ
(歌謡番号38)」


「この四歌建を送る葬儀にて今も歌える大御葬オホミハブリに()」

「白鳥は河内の志幾に飛んでいき皆は作れる『白鳥御陵』()」

「然れどもなお天翔り飛びいでていづこの地へか行ってしまいき()」

「建にと恒に随きたる膳夫カシハデは七拳脛なる久米の祖という(国の平定で全国を回っていたとき)」