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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

后妃と皇子女(15 応神天皇-1)

2015年02月15日 |  / 古事記・古代史

2015/02/14

「品陀和気命は大和の軽島の明の宮で天下治めり(橿原市大軽町、畝傍山の東南の地)」

「誉田とは河内の国の志紀郡で今の羽曳野誉田に比定()」

「景行や成務・仲哀はタラシ系 品陀和気の命とは系列違う()」

「品陀和気の命は惚れる体質を持っていたのか后妃多し
(0:以下、后妃列挙
1:高木入日売命
2:高木中日売命
3:高木弟日売命
4:丸邇の比布礼の意富美の女の宮主、矢河枝比売
5:その妹、袁那弁の郎女
6:咋俣長日子の王の女、息長真若中比売
7:桜井の田部の連の祖先の島垂根の女、糸井比売
8:日向の泉、長比売
9:迦具漏比売
10:葛城の野、伊呂売
)」

「応神は[品陀和気命]は景行系[品陀真若王]の女なる三柱の女王ヒメミコと娶ミアひて皇子女なせる
(1-1 額田の大中つ日子の命、大山守の命、伊奢之イザノ真若命、妹大原郎女、高目タカムク郎女[五柱]
/1-2 木之荒田郎女、大雀命、根鳥ネトリ命[三柱]
/1-3 阿倍郎女、阿貝知三腹郎女、木之菟野郎女、三野郎女[五柱、四柱の誤り?]
)」

「品陀真若王ミコは景行[五百木之入日子の命]が尾張の連の祖建伊那陀宿禰の女で志理都紀斗売シリツキトメを娶ってできた子である()」

「丸邇之比布礼能意富美ワニノヒフレノオホミの女、宮主矢河枝比売と娶ミアひて皇子女なせる
(2-1 宇遅能和紀郎子、妹八田若郎女、女鳥王[三柱]
)」

「丸邇之比布礼能意富美の女、宮主矢河枝比売の弟イロド、袁那弁ヲナベ郎女と娶ミアひて皇子女なせる
(2-2 宇遅の若郎女)」

「咋俣長日子王ミコの女、息長真若中つ比売と娶ミアひて皇子女なせる
(3-1 若沼毛二股ワカヌケフタマタ王)」

「櫻井の田部の連の祖、島垂根の娘、糸井比売と娶ミアひて皇子女なせる
(4-1 速総別の命)」

「日向の泉の長比売と娶ミアひて皇子女なせる
(5-1 大羽江の王、小羽江の王、墻日ハタヒの若郎女[三柱]
)」

「迦具漏比売と娶ミアひてして皇子女なせる
(6-1 川原田郎女、玉郎女、忍坂大中比売、登富志トホシ郎女、迦多遅カタヂ王ミコ[五柱]
)」

「葛城之野伊呂売に娶ミアひて皇子女なせる
(7-1 伊奢能麻和迦王)」

「皇子女で大雀命は最後には天下をぞ治めたまえる()」


酒楽の歌曲(14 仲哀天皇-6)

2015年01月30日 |  / 古事記・古代史

2015/01/29


「敦賀から還り来るとき神功は酒を醸して皇子をまてる()」

「御祖ミオヤなる息長帯日売の命は神酒献り歌をうたいき(歌謡番号040)」


この御酒は わが神酒ならず。
酒の長カミ 常世にいます
石立たす 少名御神の、
神寿カムホき 寿き狂ほし
豐寿き 寿きもとほし
献マツり来し 御酒ぞ
満さずをせ。ささ。
(歌謡番号040)」


「建内宿禰の命は御子のため歌に答えて歌い曰いしく(歌謡番号041)」


この御酒を 醸みけむ人は、
その鼓 臼に立てて
歌ひつつ 醸みけれかも、
舞ひつつ 醸みけれかも、
この御酒の 御酒の
あやに うた楽し。ささ。
(歌謡番号41)」

「この二曲『酒楽サカクラの歌』といえる名がついているらし琴歌もあり()」

「仲哀は52才で亡くなって御陵は河内の市岡にあり()」

「神功は百歳にして亡くなって狭城サキの楯列タテナミの御陵に葬ふる()」


 


気比の大神(14 仲哀天皇-5)

2015年01月24日 |  / 古事記・古代史

2015/01/24

「建内宿禰命は皇太子連れて禊の旅に出掛けた

(1:近江すぎ若狭の国を巡歴し角鹿に宮を造り留まる

/2:地の神が宿禰の夢に現れて御子にわが名を与えんとする[伊奢沙和気大神之命]
/3:神託を受けて宿禰は祝福し御子の改名神に誓える
/4:その神は翌朝浜に行けと言いしるしの品を差し上げるといふ
/5:御子行けば鼻かじられた海豚イルカたち浦にいっぱい寄せられていた
/6:御子は言うかたじけなくも大神はわれに魚を下されました
/7:それゆえに大神ほめてたたえては御食津大神と名付けたり
/8:この御食津大神のこと今でいう気比大神と呼びならわせる
)」

「敦賀とは海豚の鼻の血の臭い地浦というが元といいたり

(浜に打ち上げられた海豚の鼻の血が臭かったので、その浦を名付けて血浦といったが、今は角鹿と読んでいる。)」


香坂王と忍熊王(14 仲哀天皇-4)

2015年01月21日 |  / 古事記・古代史

2015/01/21


「神功は大和に還るに噂聞く人の心の悪しき様子を
(1:御子のため喪船を作り隠れたるその身を乗せた船といいふる
/2:香坂と忍熊王は神功を殺さんとして待ち受けていた
/3:両王は斗賀野で狩の占いをすれど結果は凶と出でたり
/4:香坂は歴木クヌギに登れど怒る猪イノ木を倒しては香坂を食えり
/5:占いを恐れず忍熊は軍おこし戦いにでる
/6:空カラの船攻めていたれば喪船から軍兵おりて忍熊攻める
)」

「忍熊は伊佐比を将に神功は建振熊を将に戦う
(0:伊佐比は難波の吉師部キシベの祖先vs建振熊は丸邇ワニの臣の祖先難波根子建振熊
/1:山城に退きたれどにらみ合い互いに引かず膠着したり
/2:建振熊は相手をだまし『皇后がすでに死んだ』と白旗あげる
/3:弓の弦絶っていったん降伏し相手も弓をはずしてしまう
/4:それならと髪から弦を取出して矢をつがえては追い撃ちをする
/5:逢坂に逃げ退いて戦えど形勢不利で敗走したり
/6:近江なる沙沙那美の地で全滅し湖上に浮かび歌を詠いき
/8:振熊にきざまれるよりカイツブリの餌にならんと入水したり
)」

「いざ吾君アギミ、
振熊が 痛手負はずば、
鳩鳥の 淡海の海に
潜きせなわ。
(歌謡番号39)」


鎮懐石と釣魚(14 仲哀天皇-3)

2015年01月06日 |  / 古事記・古代史

2015/01/06

「神功が帰る途中で産気づき石を裳に巻き筑紫に帰る()」

「筑紫にて子を生れましき皇后は記念にその地『宇美』と名付けり()」

「神功が裳に着けた石記念とて筑紫の国の伊斗にあるらし()」

「神功は筑紫の松浦の玉島の河の辺で食事をされる()」

「初夏なるか河辺にありて飯粒と裳の糸使い年魚を釣りたり()」

「川の名は小河といいて磯の名は勝門比売とぞ名付けられたり()」

「アユ釣りのこの習わしはこの地では四月初めの行事となれる()」