暇つぶし日記

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ビロウ (2002); 観た映画、 Apr. ’12

2012年04月26日 03時29分13秒 | 見る


ビロウ   (2002)

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105分

監督:  デヴィッド・トゥーヒー
製作:  スー・ベイドン=パウエル、 マイケル・ゾーマス
脚本:  ダーレン・アロノフスキー、 デヴィッド・トゥーヒー、 ルーカス・サスマン

出演:
マシュー・デイヴィス    オデル
ブルース・グリーンウッド   ブライス
オリヴィア・ウィリアムズ   クレア
ホルト・マッキャラニー    ルーミス
スコット・フォーリー     クアーズ
ザック・ガリフィナーキス
ジェイソン・フレミング
デクスター・フレッチャー
ニック・チンランド
ジョナサン・ハートマン

 潜水艦内という密閉された空間で、逃げ場のない恐怖に襲われる異色の潜水艦サスペンス。救出した遭難者の中に潜水艦に乗せることは不吉とされていた女性がいたのをきっかけに、乗組員たちは彼らを陥れようとするかのような不可解な現象に悩まされていく。脚本・製作総指揮は「π」「レクイエム・フォー・ドリーム」のダーレン・アロノフスキー。監督は「ピッチブラック」のデヴィッド・N・トゥーヒー。

第二次世界大戦最中の1940年、アメリカ軍潜水艦タイガー・シャークは大西洋海域を航海中、ドイツ軍潜水艦Uボートに撃沈されたイギリス病院船の生存者3名を救助する。そのうちの一人は看護婦のクレアという女性だった。この時代、""女性は潜水艦に不吉な災いをもたらす""と信じられていたことから、艦内に戦慄が走る。やがて、敵艦をやり過ごすため静まりかえっていた艦内で突如レコードが鳴り響いたり、不気味な囁き声が聞こえるなどの不可解な現象が起こり始めた。更にドイツ軍からの攻撃も激しさを増していき、乗組員は精神的にも追い詰められていく…。

以上が映画データベースの記述である。

1940年と書かれているが本作を観た限りでは1943年と字幕が出たのではなかったか。 というのは、そのとき本作の舞台は昭和18年だな、と承知し、極東、太平洋地域の戦況のことも考え、先日観たチャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、三船敏郎が山本五十六を演じた「ミッドウェー (1976)」の昭和17年にも思いがいったのだが「ミッドウエー」の方は史実だとしても本作はミステリーのジャンルであるのだし潜水艦ものであるのだから戦争ものということでは同枠に入るものとしても少々趣が変わる。 

それでは潜水艦ものであれば代表的なものはドイツ映画「U・ボート( 1981)DAS BOOT」だろうがアメリカ映画でも同時期同海域を舞台とした「U-571 (2000)」が興味深く、館内の様子、搭乗員たちの仕事、生活ぶりをどのようにカメラが追うか、というところが上記ドイツ映画の圧倒的なスピードとカメラの動きに魅了されるところがあるのだが、本作は前作を参考にしてうえでの制作であるのは明白で、特にメカニズムを写すカメラが新鮮だ。 当時の艦内であれば多少のレトロさが見えてもいいもののかなりの場面では現代のものかとも見えるのはドイツ映画や U-571 の内部描写と比べても明白だ。 

現代的な原子力潜水艦ものであれば特にショーン・コネリーの「レッド・オクトーバーを追え!(1990)」が秀逸だが、趣が変わって「潜望鏡を上げろ(1996)」という潜水艦コメディーもある。 いずれにせよ狭い艦内の生活、戦闘と沈没、酸素不足への恐怖などが共通して観る者を息苦しく、その恐怖を共有するかのような緊張感を強いることでもこのジャンルは我々をひきつけるものがある。 とくに閉所恐怖症、海底への原始的な恐れをもつものには足の竦むような疑似体験が出来るとともに、子供の頃、漫画の「サブマリン707」で海面下を進む潜水艦をノートに落書きとして描いたものには映画の特殊撮影、CGを問わずそのような場面にいつもひきつけられる。

本作のミステリーには単なる超常現象には終わらせずそれをもたらす心理的な要素も加わって、ある意味抑制の効いたものとなっているのが好ましい。 こどものころよく、もし戦争にいくなら何になりたいか、という問いにはパイロットというのが一番で、一番なりたくないものが潜水艦乗り、だったことを覚えている。 泳げないことはないにしても閉じ込められたままで海底深く沈み酸素不足で窒息して息絶えるのはたまらない。 そういうことがあったのは最近では2000年にロシアの原潜クルスクの事故が知られているのだが、その時のニュースは見たものすべてを一度はその恐怖を想わせる働きをしている。

ミッドウエー海戦にも参加した戦艦大和の最後を記録した吉田満の著作に接したのは今から30年ほど前だがその叙述から最後に波間に漂うところまで映画を観るようだったことを覚えているのだが、いざ乗員が海に放り出されてそれからの恐怖を語る場面で思い出されるのはスピルバーグの代表作とでもいえる「ジョーズ(1975)」だろう。 その中でサメに齧られた傷を自慢する海洋学者のリチャード・ドレイファスとサメ退治に執念を燃やす男ロバート・ショウの話で男がサメを嫌う原因になったのが第二次大戦中日本軍に撃沈された船から海に投げ出され何時間も海上を漂っている間に水兵がひとりひとりサメに海面下にひきずり込まれ沈んでいくことを体験した、というような件があり、何れにせよ自分にはこの手の話は苦手ではあるものの怖いもの観たさが手伝ってついついこの手の映画を観てしまうのだ。 そういえばタイタニックが沈んで100年になる、といったニュースがあったのはつい最近のことだ。

そういえば昔、学生の頃、大学のボートレースで写真部に属していた我々がエントリーした艇の名前が「イエロー・サブマリン」だった。 漱石の坊ちゃんに出てくるターナー島の近くで何隻かと競って数百メートルを漕ぐ間に冠水し、沈まなかったものの水面下に漂い最下位だったことを最初にして最後の経験として記憶している。 牧歌的なものだった。