暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Sat. 23-04-05 豚のステーキ、アスパラガス

2005年04月24日 04時44分39秒 | 喰う
豚のステーキ、アスパラガス


朝      トルコ胡麻リングパン
       完熟大粒苺 5粒


昼      トルコ胡麻リングパン
       キャビア
       フィレアメリキャン
       鱈子のペースト
       炭酸水  600cc


夕      豚のステーキ
       温野菜(ブロッコリ)
       茹でアスパラガス ゆで卵とマヨネーズレモンソース
       ミックスサラダ
       茹でじゃが芋
       炭酸水 300cc


       コーヒー 250cc
       スポンジケーキ 2片

晩      フルーツジュース 300cc


夜中     玉露  250cc

       

Fri. 22-04-05 定番ブリトス

2005年04月23日 09時03分01秒 | 喰う
定番ブリトス


朝    トースト、バター、蜂蜜
     トースト、バター、苺ジャム
     コーヒー 250cc



昼    昨晩の残り
     炭酸水 350cc


午後   ジュース  300cc


夕    定番ブリトス
     炭酸水 300cc


     コーヒー 250cc
     チョコレートボンボン 2個

晩    ジュース  300cc


夜中   玉露 250cc
     コーンチップス

今日も又相も変らずプールのことを書こう

2005年04月23日 01時51分36秒 | 日常

先週は何故か水泳をお休みした。

この歳になると何か一旦始めたらよっぽど何か特別な理由が無い限り、休むこと、止める事は自分の沽券にかかわるような気になるものだ。 意固地にさえなる。 別にこういうことは他人には知られないようにするし、表にも出さない。 私の水泳もそんなものかもしれない。 ことは医者のアドバイス、ヴォーゲルさん、痛風の尿酸値、コレステロール、喘息、肥満、何かスポーツしなさいよ、から始まった。 酒ももう飲めない、飲んでもいいけどしっぺ返しがきついからもう飲まない。 好きな葉巻も喘息のため止めた。 世の中楽しみはもうない。 生き物として本能である次世代を残すということもやったのだからあとはお引取りをと、いついわれてもしょうがない。

一旦続けて一緒にやる連中もいないし、ひとりでやること、それが性に合っているらしい。 一週間に一度やることは近くのお寺で1時間半ほど坐ることと、500mを3回泳いでその間に10分づつサウナの中にいること、それと週一回の射撃練習でクラブにでかけ、休日は今の時期2週間に一度はどこかのクラブで地区射撃大会に車ででかけること。 これのくりかえし、単調なものだ。それで、それぞれ始めた事を続けること、続けることに意義があるかのように意固地にさえなる。 

ひとを知る、ひとと信頼関係を結ぶ、ということには時間が要る。 結ぼうとか結びたいという意図がなくても連続して同じ時間、同じ場所で同じ体験を共有するとそれが出きるものでもあるらしい。 
かつて大阪の中小企業の輸出商社で働いていた事があった。 社長は戦後の闇屋から成り上がったワンマンカンパニーで我々若い者はトレーディングカンパニーではなくトレーニングカンパニーだ、と言い合わせていた。 安い給料でこき使われ、利潤がどこへ行くかはっきり分かるような中で仕事を覚えたらさっさと自分で事業を起こすというようなものばかりであったし、もうかりそうなら大抵何をやってもやってみなはれという返事の来る、そういう意味では活気のある職場でもあったが、それはそれとして、そのワンマン社長のいうことは、商いの道ですなあ、飽きないできっちりやれば自然になんとかなるもので、、、、。 というような手垢にまみれた言葉をよく若い我々にのたまった。 それは我々がいいだしたもので長続きのするものが少なかったからでもあったのだろう。 話がずれた。

それで今日、プールの入り口で回数券に鋏を入れてもらっているときにふとカウンターの上を見ると、地元の新聞の切抜きのコピーがあって、見慣れた顔が笑って写っている。 へえ、おばあちゃん、まだ、元気なんだな、とそのことを喜びつつこの記事を読んでみた。

33年間ここに週二回通ったけれど自分ひとりで暮すのを止めて養老院に入るのを機に体力も衰えた事でもあるしプールにお別れするとのことにして、先週はおなじグループのお年寄り達やプールの人たちと水泳のあとお別れの小さなパーティーを開いた時の写真である。 

年齢を見ると94歳とある。 小学校を卒業して12歳から働き始めた。 シーツの洗濯、乾燥のあとそれを規格の通り畳んで整理する、小さな仕事である。 職人といえるかどうか、それを90歳になるまで続けたのだと書いてある。もちろん高齢になってからはフルタイムでの労働ではなかろう。 しかし、一度始めてそれを生涯つづける。 朝7時前から仕事を始め夜遅くまで働いたとあるが昭和にまだなっていない頃の話だ。 それでも泳ぐ事は好きで時間を見つけては昼休みには泳いでいたらしい、戦争前の話。

私は3年ほど前、50歳以上のグループの時間が丁度自分の仕事の合間の時間と折り合いがつくので入れてもらった。 そのとき受付の女性がちょっと若いのだけどねえと、にやにやしながら言っていたことが後で分かったのだけど、そのグループは水の中で色々な器具を使って音楽に合わせて指導員が言うように身体を動かすという老人向けのグループで、別の村のプールでは私の義父母も定期的に行なっているものだ。 そのうち運動の速度、量に物足りなくなってプールの空いた縁を行ったり来たり一人だけ別の行動を取るようになりそれが1年も続いたか。 このおばあさんも70歳前後がほとんどのこのグループにいてその中でも飛びぬけた高齢だったこともあり人気者だった。 

それで、サウナの中では毎週色々な話が飛び交うので私には非常に面白いところである。 まるで子供が大人の世界にはいったかのように。 実際そこでは皆私より20歳は年上であるのだから、その話題、意見には世間の波風を越してきたウイットが溢れている。 圧倒的に女性の世界である。 じいさんたちは大抵ばあさんにひっぱられてやってくるのだろう、運動にもくわわらない。 大抵プールの縁に銭湯に浸かるが如く2,3人でぼそぼそと呟いている。 まあ、男女比2:8ぐらいであればそうなるのも仕方が無いのだろうが、女性が大体どこでも長生きするというのもこういうところでも納得する。 サウナの中でもじいさんたちはもっぱら聞き役でひとことふたことなにか言いかけても周りからそれに言葉がすぐかぶさってじいさんの発言もどこへやら消されてしまう。 

このばあさん、静かな人で自分からは話し出さないが聞かれたらはっきり答える。 戦争前の物価、何が買えて何が新しいものだったか、家賃がどうで税金がどうのこうの、いたって生活に根ざしたことの記憶がはっきりしていてその一言に若いばあさん達は反応する。 他に、どこそこの魚屋の若いもんが誰かの娘と一緒になって店をどこそこに持って、前の店でよく修行したからあそこの鯖の燻製は他より美味い、とかなんとか、そうすると、それに加えてその若いもんが今は何人ものおじいちゃんになっていて次の代がどうのこうの、と話を続ける別の人がいる、と言った具合である。 そこでは時間の軸の幅が70年ほどになっている。 まことに他では聴く事の出来ないような井戸端会議が傍聴できるのでありテレビやラジオでもこうはいかない。

他の若いばあさん達はかたまって群れて行動する。 しかし、このばあさん、ひとりだからよく私とサウナで二人きりになった。 聞くと30年程前にそのころから始まった高齢者の福祉対策の一環で高齢者のプール使用料を無料にした時期があってそれにあわせて来続けているのだそうだ。 けれど、市もその後特例をとりやめてしまい他の人は多額ではないものの負担しなければならないからただできてるのは私だけだ、とニヤニヤしていたし、でもこの5年ほどは自転車でくるのも止めてタクシーで来るからそれにはかなりの負担になるのだけど、でも92になって周りは気遣ってもうそろそろというのだけどもう少しは続けたいとも。

サウナの中は75度以上に保たれている。 10分居るとかなり熱くなる。 他の年寄りたちが出て静かになり私達にも話がなくなるとこのおばあさん、うつらうつらしだす。 さて、どうしたものか。 私が出てそのあとひとり、サウナの中で、、、、。 というのも気味が悪いし、もしそうなったら後味が悪い。 だから私はそのあと少ししておばあさんが自分で目覚め私に、じゃ、また来週、と挨拶して出るまで小部屋に残っている。

その後私は時間をずらしてちゃんとコースを作った中で泳ぐようになり、このご婦人たちとは接触がなくなった。 それにプールから上がる時に金具のレールに両手でつかまってあがるのにちょっと苦労するようになった、というのを聞いていたからもう来なくなっているのかもしれないとも思っていた。 さびしいことだが、もしや、こちらから、あちらの世界に引っ越しているのかもしれないとも思うようにもなっていた。

けれど、この記事で元気な様子が見えて誠に結構で喜ばしい事だったし、先週休んでいなければ声をかけることも出来たのだが、、、。 とにかく、あちらの世界へ引っ越す前にはまず、養老院に引っ越すことをしなければならないのか。 知人の母親の場合には記憶が揺れる事があって養老院に入れるのに苦労したと聞かされたものだが、この人の場合はそんなことも無く次のステップへと移動する。 わたしの年ではもうこう言うことが他人とは思えなくなる。




Thu. 21-04-05 豚肉のショアルマ

2005年04月22日 02時42分22秒 | 喰う
豚肉のショアルマ


朝     トースト、バター、蜂蜜
      トースト、バター、苺ジャム
      コーヒー 250cc


      ミルクティー  200cc

昼     鱈の半身のフライ
      コッペパン
      炭酸水 200cc

      フルーツジュース  400cc


夕     豚肉のショアルマ
      八宝菜
      白米
      炭酸水  250cc

      コーヒー 250cc 
      クッキー 2個

晩     フルーツジュース 300cc


夜中    玉露  250cc

Thu. 20--4-05 モロッコ料理タジン

2005年04月21日 08時35分35秒 | 喰う
モロッコ料理タジン

朝   トースト、バター、蜂蜜
    トースト、バター、苺ジャム
    ミルクティー 250cc

    コーヒー 200cc


昼   野菜サンドイッチ
    炭酸水  350cc


夕   モロッコ料理タジン
    スウェーデンパン

    カスタードプリン


夜   緑茶  400cc
    チョコレート 3片


夜中  玉露 250cc




Tue. 19-04-05 モロッコ料理タジン(肉と野菜の煮込み)

2005年04月20日 05時09分15秒 | 喰う
モロッコ料理タジン(肉と野菜の煮込み)


朝    トースト、 バター、 蜂蜜
     トースト、バター、 ローストビーフ
     コーヒー 250cc


昼    中国風チキンスープ
     ポテトサラダ、フランス芥子入り
     赤株の酢漬
     ドイツ黒パン 小1個


午後   フルーツジュース  500cc


夕    モロッコ料理タジン(肉と野菜の煮込み)
     モロッコパン


     チョコレート 3個


晩    ダージリン紅茶  250cc

庭の草引きシーズン開幕、、

2005年04月19日 08時43分22秒 | 日常


土曜日の午後、娘のホッケーチームの遠征試合でロッテルダムの少し向こうまで自分の娘を含めて14歳の女子4人を連れて行ったんですな。 2,3ヶ月に1回廻ってくる義務です。 

その日は冷たい細かな雨が降り、さびれた田舎のホッケー場にこっちのチームの応援は3台の車で運んで行った親達運転手の大人3人のみ。 一人はチームのコーチ、もう一人の母親はクラブハウスからはついに出てこずでした。 相手チームは地元であるのにコートの周りには3,4人しか居らず、このクラブにはコートが3面あってそれぞれ試合中だというのになんとも寂しい雰囲気でしたな。 先々週の息子の試合のときとは大違いです。

まあ、それには理由がないわけではなく、それというのも、この対戦は最下位をうろうろしているグループの消化試合でもあり、どちらにも技術も意欲もあまり見られません。 コーチも素人、あんまり建設的なアドバイスが飛ぶというよりは失敗を怒鳴り散らす方が多く、それでも前半の10分ぐらいは双方しと降る雨の中こう着状態が続きまんべんなく相手の陣地に攻めて得点を試みるのですが一度わが方にエラーが出てからはそれが相手方の得点に結びつき、それで守りの堤が破れたのか、あとはあれよあれよ、という間に前半が終わるまでに3点入れられておりました。 

私は傘を差してなんやかや叫んで応援するのですがわびしく響き、春のジャンパーを着ているのですがあまりにも手が冷たくクラブハウスのカフェーに紅茶を求めて緊急避難しました。飲むのもひとつですがそれよりもかじかんだ手を温めるためが緊急事項でした。 寒い冬にはそれなりに対処して構えるのですがもう春でしょう、しかし。 試合中の娘達マフラーをしてステイックを振り回しているのがいても審判は黙認しています。短いスカートから伸びている脚は今日はみなトレーニングパンツで覆われてもいます。 私がそんなコートの周りをとぼとぼ歩いて入るとクラブハウスの中は人いきれで一杯、とても外に出るつもりもない親たちがめいめい手にワインや温かい飲み物を持って談笑合戦の最中で一度入ったら暖かさにつかまってしまい、再度あの冷たくて細かい雨の中に出て行く気分は湧いてきません。

そうこうしているうち、意を決して外に出て行こうとしたとたん娘たちがクラブハウスに入ってくるではありませんか。 聞いてみると後半が始まって一方的に得点され、あまりにも冷たい雨がたまらず両方ともやる気をなくし審判に申し出るとすんなり受け入れられたので止めたとか。 まあ、普通は審判といえども子供達のいいなりにはならないのですが、その日はそれほどだったんですね。 それにうちの娘たちも負けるのには慣れっこになっているみたいだったから負け試合には何とも思っていない様子、いやはや。 夜8時のニュースではフランス、グルノーブルではこのとき30cmの積雪があってフランスの新幹線が立ち往生したと報道がありました。 ニースの方に車で向かうと両方から高い山がそびえてきて景色も気持ちもいいところですが、雪が吹き込んだら高速も危なそうな地形です。

その翌日は日曜日、昼に車でちょっと遠くの森にあるほかの町の射撃クラブで地区大会があり、30分ほど自分の順番を待っている間ぽかぽかとしたいい天気だったからクラブハウスの前に皆デッキチェアーをだして日向ぼっこをするのに加わりました。 木々の枝は新芽が薄緑の衣をまとって、いままでの茶色の単色の森のあちこちが今は花で一杯で蝶々は飛んでいないものの、鳥の声はあちこちで聞かれ24時間もたっていないのに昨日の寒さとは天地の差です。 

そのあとうちまで高速を走って帰ったのですが、このようないい日和の日曜日になると俄然オープンカーが増えます。ポルシェは普通のこと、年取った夫婦がそろいの赤の革のコートを着てフェラーリのオープンカーで横を抜けていきます。 高速を離れ田舎道を音楽を聴きながら走っていて赤信号に思わずブレーキをかけると数センチ前にジャガーが止まっていたりして思わずぶつけた場合にかかる費用のことを思って寒くなったものです。 お金持ちというのはこの季節になるとガレージから愛車を引っ張り出してきて革のジャンパーに髪の毛を風になびかせ外に出たがるものなのでしょうか。 ドライブの趣味のない私にはわからないことです。 

日曜の午後、特別の用事がなければ部屋の中でごろごろと本を読んだり音楽を聴いたり、というのが最高のすごし方なのですが、そういうわけにはいきません。 古い家に住んでいるとあちこち修理をしなければいけないし、他人に任せるといってもその為の準備もいります。 今年は我が家は納屋の修理、ガレージの改造、5年ぶりのペンキの塗り替えがあります。 本当は自分でやればいいのですが、あと15歳若ければやっているでしょうが、もう、めんどうくさくなっています。 簡単なことでも面倒くさい。 50年ほど経った昔のスイッチが壊れたのですがそのまま放ってあってやっと4週間ほどして腰を上げ、3日ほど前にようやくドゥーイットユアセルフの店へ出かけ、ごちゃごちゃと部品の沢山あるなかからなんやかやと探して、結局大昔の小さな部品はなくて、スイッチボックス全体を取り替えることに決め、3時間かかってやっつけたのでした。 この家屋を買った後、配線、配管のいくつかを自分でもやったし、2階の3部屋のフローリングは全部一人でやったのですが、それはもう第一次湾岸戦争の開始と同時でしたからそれから14年経っています。

そんな中でも比較的まめにやるようになったのが庭仕事です。 といっても知識も何もない、向上意欲もない、名前を覚える努力もない、あるのは現状維持の意思だけ。 それなら、維持するために努力して薬がどうこう、虫の駆除にどうこう、ということがあるのでしょうが、そんなこともやらない。 もし、枯れたりすればそれで諦めるというはなはだ消極的な態度です。  この態度は前の持ち主から引き継いでいるといってもいいでしょう。 雑草の駆除、といっても引っこ抜くだけ、それから水撒き、垣根の剪定、まあ、それぐらいですな。  

植物に生気がもどり、植木には別段大きな変化はないものの、今は山桜が終わり、木蓮も今週で落ちてしまい掃除をしなければならず、黄色いミモザも散り始め、水仙もおわり、そろそろいろいろな若芽、若葉が開いてくるところです。 芝生の方はというと、1ヶ月ぐらい前に去年の晩秋以来今年初めて芝刈り機で刈りました。 夏の最盛期には2週間に一度は必ず刈らないと芝刈り機にからまって刈れなくなるほどになります。 そのころには2週間で5cm以上伸びるということでしょうか。 夏休みに3週間ほどうちを留守にして帰ってみると芝がぼうぼうで留守の間の過ぎた時間を思う暇もなくその日に刈り上げます。 普通は2cmぐらいに伸びたところに毛布を敷いて寝転び木の下で好きな本を読むのが家族の夏の休みの過ごし方なので芝生があるのは助かります。 実際私はこの芝生のために何か特別なことをやったかというと、それは定期的な芝刈りと夏の6,7,8月の水撒きだけだから楽なものです。

6月の中旬から8月の終わりまで家の中はかなり暑くなるので夕食は庭のプラスチックのテーブル、椅子を使って庭で食べます。 裸足になって冷たい芝を足裏に感じて食事をするのは気持ちのいいものです。 この時期夏時間でもありそのころには11時ごろまで明るくて食事の後でも10時までは外で新聞を読めるから庭はとてもありがたいものです。 最近は熱帯夜というようなことも一年で何日かあるのですが11時頃庭の椅子に座って北の暮れて行く濃紺の空を眺めるのはなかなかいいものです。 昼の暑さとは逆に何かを羽織らねば震えるような涼しさも一日の終わりにふさわしいものです。 まあ、一番過ごしよい季節、でもないのですが私はこんな夏が一番好きですがまだそれにはまだ、これから二ヶ月ほど待たねばなりません。

昨日したことはこの表題に書いたように、庭の草引きです。 芝生が伸びたこともありますが、なによりも目に付くのはタンポポが出始めたこと、黄色い花が見え始めたら危険信号です。 すぐ白く羽毛のようなものが出来て種を飛び散らせるから、何としてもこれを防ぐ。 酪農農家の放牧地でもタンポポは嫌われます。 とにかく一株あれば株の周りに放射上に葉を茂らせ確実に芝の面積を奪う。 平らに生えたタンポポを金属製のヘラのようなもので長い根を引っ張り出すように抜くのですがその跡にできた土の丸は時にはうんざりするほど大きいモノです。 定期的に確実にやらないと必ず雑草は出てきます。 根気が勝負です。 ある瞬間の勝利はあっても油断すると敵は必ずやってくる。 タンポポが後退しても他のものが、たとえばオオバコのようなものがコロニーをつくることもあります。 芝を芝だけにしておくというのも楽ではありません。 今日はバケツ一杯タンポポを引っこ抜いてそのあと芝を刈ったからこれが例年の草引きシーズンの開幕をつげる一人だけのささやかな儀式でした。 何年か前まではそのあとビールが待っていたのですがそれも昔の夢になりました。

芝生を脅かす雑草に加えて他の植物も勢力を伸ばし、前庭に廻ってみるとこの7,8年でどこから来たのか薔薇の下草として谷間のゆりと呼ばれる鈴蘭がびっしりと緑の葉を茂らせているのですが今は5cmほどの緑の笹の葉をパイプ状にしたような若葉が芝生のあちこちに出ています。薔薇のほうにはぎっしりと生えていてもそれはそれでいいのですが神聖なる芝生に出てこられては困る。 もう何百本、いや1千本以上でしょう、それぐらいあるのだからここはきっちりと区画を思い知らせるべく引っこ抜きにかかりました。 簡単に抜けるから苦労はないのですが大抵抜いたものには根がついていないからひょっとしてこれからもまた生えてくるのかもしれないけれどそこはその時の事として様子を見ることにしましたが、その合間にしつこく地下茎から越境して地上に出る赤紫蘇いろの薔薇の新芽も摘んでしまいます。 鈴蘭の新芽は100本ほど抜いたでしょうか。 心残りはありますが領域は守らねば。

これが新しい季節の開幕でこれから2,3週間に一度づつ秋の終わりまで続きます。 夏の暑い日が終わり夕食後の水撒きが2日に一度づつ続く事がありますが、それも黄金色に輝く夕陽の反射が立ち木の緑と空の碧に混ざる涼しい夕であればそれも楽しみになるものです。 そういえば、何年も前に養老院に引っ越した近所の老夫婦もこのように庭の手入れをしていたような記憶がありますがあの人たちはもっと丁寧に愛情を込めて芝の手入れをしていたように思います。




Mon. 18-04-05 ハンバーグステーキ

2005年04月19日 08時33分48秒 | 喰う
ハンバーグステーキ


朝    チーズブレッド
     クロワッサン
     トルコ胡麻リングパン
     コーヒー 250cc


昼    ツナサンドイッチ
     野菜サラダ
     フルーツジュース 500cc

午後   炭酸水  300cc


夕    ハンバーグステーキ
     温野菜(ブリュッセルロフ、インゲン豆)
     スパゲッティとトマト、緑野菜の炒め物
     炭酸水 300cc

     ヨーグルト桃の小片入り

     コーヒー 250cc
     チョコレートボンボン 2個


夜    醤油おかき


夜中   玉露 250cc

     

Sun. 17-04-05 定番スパゲッティーボロニェーゼ

2005年04月18日 04時37分47秒 | 喰う
定番スパゲッティーボロニェーゼ


昼    オランダ風ミンチボール
     コッペパン
     炭酸水 300cc


午後   クロワッサン
     炭酸水  250cc

     チョコレートボンボン 各種 4個

夕    定番スパゲッティーボロニェーゼ
     リコーラサラダ
     
     炭酸水 250cc

     自家製苺とバナナのシャーベット

     コーヒー 250cc
     クリームワッフェル

晩    フルーツジュース 300cc


夜中   玉露 250cc

何故そのCDを買うのかということ - リタ・ライスの回顧盤

2005年04月18日 02時55分15秒 | ジャズ


何故CDを買うのか、というのは、それが欲しいからというあまりにも分かりきった答えが用意されているのでばかげた質問だ、と思うけど、そんなことを考えたのは今日このCDを買ったからだ。

Rita Reys / Once Upon A Summertime The Netherlands Metropole Orchestra / TMD records 3-6919-2 1999   全11曲  録音 70,73,77,87,98年

先ず明白な事は、そのCDを所有したいということがあるのだろう。 で、なぜ、所有したいか、それはそのCDに価値があるからと自分が認めたからで、それだけでは買おうということにならないのだがこれをそのままにして置けない、自分が希望するときに自由に聴けるような体勢におきたい、手元に置いておきたい、ということなのだろう。ただ聴きたいのであれば公共図書館の購入希望リストに書き入れておけば何ヶ月か経つと希望どうりに図書館のCD棚に並んでいるかもしれない。実際は無料ということでは借り出されなくコーヒー一杯分ぐらいは手数料としておさめなければならないだろうけど。 そうすると今日は3杯分ぐらいで手に入れたということだったのか。

プラスチックの盤に情報が固定されたものがLPやCDの媒体としての形なのだが、近頃は簡単に電子機器経由で自分の末端に音楽情報をいずこからか流入させ情報を聴けるような環境を整えるようになってきているので情報が固定されたLP,CDなどは不要になるのにはまだ時間がかかるものの、しかし、時代の趨勢はこれらはいずれ淘汰され少しづつ過去の媒体になりつつあるような気がする。子供達を見ても100円ライターに毛の生えたようなサイズのものから大量の音楽を普通に引き出しているではないか。彼等には入れ物自体に対するフェティッシュともいうべき感情はないのだろうか。情報自体だけに専心するというのはそれ自体立派な事だと思うけれど、本当に大量消費用のパッケージから離脱して情報自体のみの消費ということになるのか興味深いところだ。

何故、買うのか、に戻ろう。情報になんらかの価値があると自分が認め金銭的に余裕があれば購入ということになるのだろう。余裕が無くても買う行動に出ることは私は自分の経験から知っている。若いとき本来、書籍や衣類に行くべき金ががプラスチック盤に変ったし、時には食い物もそのディスクに変った。自分には今これが要る、という思い込みは製作者、演者にはありがたい、この資本主義の中でシステムがすがるべきものだが、人はこのような一種せっぱつまった理由からだけで買うわけではなかろう。 時が経ち自分の様子、行動を観察してはっきりするのは若いときの、これが無ければ、というような一途さはない、ということである。 つまり道楽になっているのだ。 

無くてもいいがあるに越した事が無く、生存のためのリストがあればたとえ優先順位の上位でなくても心、頭の中で優先順位の上位を占めるもの、時間ができれば没頭したいもの、あるときには他の生活上必要不可欠なものに優先して行なうもの、そういうものかもしれない。 たとえば、頼まれてもいないのに、なんの益もないのに今こうやってキーボードを叩く行為など道楽といえる。本人には大きな価値があり、何らかの意味があるのだろう、その時には。こう言うものを道楽と呼ぶ。

落語のまくらで昔こういうのを聞いた。 暇な連中集まって端から順番に楽しみ、道楽を聞いていく。そしてそれぞれごく普通のものごとを言っていくうちに一人が尋ねられ、その返答に南京豆、とひとこと、言って皆に呆れられ挙句がばかにされる、と言うものだった。それが忘れられない。本人は真面目に本当に素直にそう答えるのだけど周りにはなんと間抜けたばかげたことなのだろう。 けど、本人には何かの折に、おのずから確保した時間にわが手で選んで口に運ぶ一粒の南京豆、人生で意味のある、しかし、英語でいうところの、ほんのささいな、ピーナッツ。

さて、今日のこのCDなぜ買ったのかというのが今でも自分ではっきりしないから今まで長々と書いて整理しようとした。整理しきれないからこうまでだらだらと続く。 欲しいからじゃないか、聴きたいからじゃないか、意味があるんでしょ、おまいさんには、今週のピーナッツ、というわけだ。 果たしてそうか。

この何年かヴォーカルを聴く。意識、無意識のうちにそれぞれいろいろな要素を聞き比べている。甘いものに惹かれて蛍は飛んでくる、というたとえがあるがこの人、リタ・ライス、若いときの声には華があった。あった、と書くのは残念な事だ。今はない、という意味を含んでいるからだ。実際、ヴォーカルでこの人は30年以上前に1度か2度聴いた事がある程度だった。この25年この国に住んでことあるごとに世界的名声を博したといわれて登場する1924年生まれの歌手だからあちらこちらで見聞きする機会があったが、しかし、あえて自分でCDを買い進めようと言う気持ちにはなっていないのはなぜか、ということを知るためにリタ・ライスのCDを入手しようというのが動機になっていることが一つ。この人はもう50年歌いつづけているのだと言う。幾つか聴いた中では50年代の後半のが一番の時期だと思う。今回このCDではっきりしたことは70年までの録音は現役である。しかし、それ以降は喉自体が老朽化してヴィブラートが古今東西どこでも聞かれる楽器の最後の響きのパターンを示すからだ。だから、このCDでは声の質を評価できるのは一曲だけである。

もう一つは、自分の嗜好の傾向、嗜好を形付ける要素を知るための材料にも先程も書いたように他と聞き比べようと、そしてここではオランダのリタ・ライスとほぼ同世代のジャズ歌手1939年生まれのGreetje Kauffeldという人をこの何ヶ月か頭に於いて聴いているのだが比べているとその差がはっきり出ているのが見えて興味深い。

Greetje Kauffeld。 この名前は聞いていたが実際に聞いたのはテレビのジャズ番組でこの人ももう還暦はとっくに越してもうステージにたつこともあまりなく、アムステルダムの音大でジャズヴォーカルの授業をときどきうけもっているようなことをその番組の中で報じていて、歌唱を教授するという経験が自分の解釈、理解を深めるのに如何に役立ったかを逆に再認識するというフィードバック効果を話していたし、還暦を祝うコンサートでの歌唱力の確かさ、喉の若さに驚いた事だ。スタンダードの一語一語を大事に歌い解釈の確実さ見事さに打たれたのだ。その後、この15年ぐらいの録音を集めたオランダジャズクラシックのシリーズCDの一枚になっているのが中古市場に出たので入手して折にふれて聴いていたがスタンダードが渋みのあるうまさでみたされているのにじわじわと感動した。

Dutch Jazz Giants volume 1 Greetje Kauffeld / Point Entertainment 0966 / 1976, 82,87,89,92,93,99

82年の3曲はバックにフィル・ウッズ、ニルスヘニングエルステッド・ぺデルセンを擁したコンボであるがウッズ先生先走りがちな間奏で渋くうたうカウフェルド女史の声にはなかなかマッチしにくい。スイングする声ならば華やかなアルトが合うのだろうがこのセッション、ウッズ氏に関しては成功とはいえない。

ジャズのスタンダードを聴こうと思いプレーヤーに乗せる時このごろ曲より歌を聴きたいと思うことが多いのが、そのとき華やかな人、色気のある人より渋めの人、つまりはっきりと言葉を歌う歌手を選ぶ傾向にあるようだ。歌詞を喉と言葉で私たちの頭の中に一つの世界をはっきりと呈示することができる歌手としては私は多分、Kauffeld女史をもう少し聴いてみたいと思うのだ。