暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

路地裏

2007年06月01日 07時08分05秒 | 日常
オランダの町では住宅地域では一般的に、通りに面したのが表であるのは当然であるのだがそこから、15mほどの幅で奥行きが25mほどの敷地に住宅と裏庭がつづき裏塀となるのだがその塀をぬけると路地裏の小径があり、それをはさんで対称的に向こう側にも庭、それに続く住宅と背中合わせで向こう側の通りに連なる。 つまり、通りはどこも正面、顔であるから背中あわせの裏路地が魚の背骨よろしく住宅の間を寂しく通っている。

この路地は日常生活で例えば、出勤、登下校、買い物などに出かける際、出入り口として、大抵裏庭にある物置小屋に納めた自転車を使ってもっとも頻繁に出入りする通路であるのだが不思議なことにここを通るときには近隣の住人たちに出くわすことがすくなく、いつもは猫が横切るぐらいでまことに静かだ。 そして静かであるがゆえにときに見知らぬ人間に出くわすとドキリとするのは訳もなく互いの猜疑心がはたらくからでもある。 だからそういう人間に出くわすと互いに軽く挨拶をして行き過ごすこととなる。 こういう通路は人に見られることが一番少ないところでもあるし表は取り付く島もないほどガードされているのが普通だから泥棒の進退路としては適していると誰もが考えるのが妥当である。

と、いうのが一般的なことであるのだが、我が家にはこの路地裏の小径に出る裏戸がない。 防犯上の理由からかこの小道を通り抜けできないようにしてあり、通りの真ん中にある我が家だけが裏戸が使えない仕組みになっている。 1958年に通りに15軒ほど並んだこのブロックが作られて以来のことだそうで、だから隣人たちはごみの収集日には大人の胸ほどの高さがある車輪つきの硬化プラスチックのコンテナーを裏戸から路地に出て横道のごみの収集場所までごろごろと引き出して行く。

それに引替え我が家では表の歩道をごろごろと近所の居間の大きなガラス窓の向こうにいて新聞を読んだりテレビに見入る隣人を眺めながら角のポストを通り過ぎて収集場所までコンテナーを引っ張っていくのだが、窓ガラス越しの隣人が私の姿を認めればどちらも軽く手を振り会釈し、その隣が留守なら窓際に座ってこちらを眺める猫も眺めながら行き過ごし、そのうちうちの中では禁煙だが長年の習慣から抜けられない老人が仕方なく表で葉巻をくゆらせるところにいきあうと他愛のない世間話をしつつもやがて路地の入り口あたりに並んだコンテナーの隣に我が家のものを置いてちらりと路地を眺め誰もいないことを確認してまた同じ道をもどることになる。 

今日の午後、空になったコンテナーを引き取りに行ったら午後の日差しもあり隣人が植えた草花が径の縁に咲いていてこの場所の雰囲気を同じように感じる隣人がいて少しでも寂しい雰囲気を華やかにしようとしている風が感じられるのだが昼間はいいとしても夜間には色彩が見えないので果たしてその効果はあるのかどうか、こういう路地を日頃使わないので自分にはわからない。

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