暇つぶし日記

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Breda のあたりを16km歩いた

2016年12月04日 23時33分12秒 | 日常

 

 

2016年 12月 4日 (日)

 

この間家族がナイメヘンに住む娘のところで一日遊んだのだがそのとき毎年恒例の行事をどうするか話していた。 その行事とはこの時期にどこかの町を中心にブラブラ1日歩いて夜はどこかのレストランで夕食にして解散するというものだ。 既にアムステルダム、ロッテルダム、ナイメヘン、ドードレヒトなどに行っていたから他のどこにしようかと案を出していて自分がブレダ(Breda)にしようというと娘が賛成した。 それで即決し何日かして娘から詳細な計画がメールで送られてきたのでそれを斜め読みして放っておいた。 普通は家人がそのようなお膳立てをしていたのだが今回は娘がそれをやったということだ。 みんなバラバラに住んでいるからブレダの駅で現地集合・現地解散にすればいい、それにオランダ国鉄(NS)はそれぞれの駅から地図付きの1日周遊ウォーキングプランをインターネットで出しているのでそれを参考にすればいい。 それはそれとしてその日はどこかで工事があるので鉄道が1時間以上遅れるからどうするか、というのがメールに添付されていた。 娘のところからブレダまでは電車の遅延がないからそれでは自分がハーグの息子のところまで車で行きそこからブレダまで走り娘に合流すればいいわけでそのように予定していた。

昨日の土曜の午後に娘が急に我が家に来ていた。 1年半ほど前に引っ越したこの町の大学の下宿の仲間と一緒に晩飯を食うことになってそれに来たから家に泊まるという。 だから明朝家人と3人で息子を拾いつつブレダに行けばいい、との変更になる。 土曜は1日ハーグで自分は息子に案内されて背広を新調するのに朝早くから午後まで過ごしていた。 自分の背広は25年ほど前に三つ揃いを作ったのがズボンがボロボロになっているし腹周りがかなりきつくなっているので幾ら何でももう必要だし息子は仕事で毎日スーツにネクタイの生活だから3年ほどで擦り切れる。 ハーグは息子の町なのでそのあたりは良く知っており目ぼしい店を廻り午前中に自分1着、息子が2着の注文を何とか済ませ、1時前に中国人家族で一杯の料理屋で飲茶の昼飯にしてその後ブラブラと久しぶりに町を歩いた。 それで土曜は買い物も含めて5kmは歩いていただろうか。

娘が家に来たので電話で息子に日曜予定の変更のことを伝えると、息子は毎日乗っている自分の会社の車で皆でいくことにしよう、ガソリン代が全部会社からでるので、とも言う。 晩遅くパーティーから戻ってきた娘がグルテン入りの食品がウォーキング中に喰えない自分のためと全員分のおにぎりを日本から持ってきていた材料で作り昼飯を準備した。 熱い湯をそれぞれの魔法瓶に詰めて袋入りの緑茶の粉を用意すれば温まる。 

夜半から夜空は快晴になり温度はマイナス5℃まで下がり天気予報ではブレダ辺りは快晴になると言っていた。 9時半に息子が我々を拾いに来た時は快晴だった。 キラキラ光る外に出ると霜が降りていた。 1時間ほどの高速は眩しいほどで彼方此方の牧草地は地上1mほどは朝霧に覆われていてあちこちの牛の背だけが岩のように出ていた。

インターネットで拾ってプリントした地図の順路は駅からではなくブレダの南部の森に隣接するホテルから始めることにした。 駐車場に車を停めて置いてそこから森をぐるりと回って戻り北上し旧市街を訪れてそこで食事をし車に戻ることにしようと合意はできていた。 駐車場に車を停めてホテルのカフェーに入るとそこは古くて雰囲気のある場所だった。 年寄りに子供連れの家族がゆったりとしたところで寛いでいた。 出るときにホテルのレストランのメニューをみて悪くなかったのでここで夕食にしようとフロントで6時前に戻って来るから窓際の4人席のテーブルをと予約してそこを出て歩き始めた。 11時を廻っていた。

森はブレダの南にあり大きなものではないけれどそれでも小さな湖があちこちに二つ三つありこんな天気のいい日曜日には散歩する人々、ジョギングの人々が多く行き交っていた。 あちこちに薄氷が見られ枯れた草には霜が付いて粉砂糖を振りかけたようなものだった。 陽が当たっているところは溶けかけていたが日陰では白いままで温度は氷点あたりだろうと思われる。 丘もなく整地され小路も整然と作られている標高差もないだだっ広い森なので迷うこともなく、だから地図を頼りにせず太陽の方向だけで行き当たりばったりに大体のルートを辿った。 

新しく買って徐々に慣れて来つつあるウォーキング・シューズも結び目をきつく締めることで自然に足に馴染み始めている。 前のシューズや本格的な山登り用の足首が包み込まれるような靴は足の甲の上の方まで靴の舌のような覆いが来てその部分で紐を結ぶようになっていてそれに慣れていたのだが新しいものは靴底や靴の内部はウォーキング仕様なのだが外側は普通の町中を歩く靴仕様なので歩くたびに足の甲に角度がつき何故か紐が緩んでいるかのような錯覚を感じるのだ。 足首が固定されたままだと足が曲がらなく野外ではそれが習慣になっていたから今のものになってから角度がつくので紐が緩んでいないにもかかわらずそのように思ってしまう。 だからしっかり紐を結んで歩きながら無意識を修正するように試みるのだが長年の無意識とそれに伴う感じの修正にはどれだけ時間がかかるのだろうか。

1時前になり小さな湖の近くに来て倒れた木に4人腰かけて抜けるような青空の下で昼食にした。 4人で握り飯を昼食にしたのはこれで3度目だ。 初めの2回は2007年の正月に熊野古道中辺路を歩いた時に朝民宿で作ってもらった、漬物の菜っ葉を巻いた握り飯だった。 あの時は二日とも山の中で雨にビチョビチョ降られ雨宿りをするところもなく惨めな思いをしながら無口で喰ったのだが子供たちはそのときのことを思い出してその惨めさと美味さを思い出し、同じような味がすると言った。 もうそろそろあれからもう10年になる。 

寒いけれど風もなく歩いているとそれで温まり一日中快晴で日当たりのいい気持のいいウォーキング日和だった。 森を抜け郊外の牧草地の外れを小さな川に沿って自然散策路があってそこを何人もの夫婦、友人、乳母車を押す若夫婦を含めた人々が行き交っていた。 1kmほど先に隣の村の教会の尖塔が見えていたがそこからはベルギーとの国境まで5kmほどだ。

森からでてその後野原をのんびりと歩き町に入るところにくるとスタート地点から8kmほど歩いたことになる。 そこから北上して町の中心地を散策し出発地点に戻ったら町中を歩いた分が8kmでこの日は1日で16km歩いたことになる。 足の疲れ方からしてもそんなものだろうとも感じていた。 大体当分は20kmほどは無理なく歩けるだろうしこの靴で大丈夫だと思った。

ブレダの町を町はずれから徐々に中心地まで歩いて感じたのは他の町に比べてこの町は古いものと新しいものが齟齬なく調和していてスペースにゆとりが感じられたことだ。 19世紀後半の建物の保存がうまくいっていて特に工場の入れ物をそのままに公共の建物にやり替えられ現代建築がそれに被さってブレンドされているのを多く見ることだ。 それは他の町よりもうまくいっているように感じた。 それだけこの町が豊かだということだろう。 オランダの歴史でも宗教、王室に関係してこの町はかなり重要な意味があったようだ。 自分の町が1574年にスペインの圧制から解放されたことにもこの町は関係している。

そんな歴史上のことは別として自分がここに来たかった理由はただ一つ、それには皆が笑い自分を馬鹿にした。 毎日見るオランダの8時のニュースで8時25分あたりから天気予報になる。 毎日オランダ各地から送られてくる空模様の写真が2つ3つ画面に出て一テンポ置いて撮影場所と撮った人の名前が出る。 春や夏のいい天気には自分の町の写真も出て大抵それはどこからどちらを向いて撮ったか分かる。 けれど郊外で撮られたものは分からない。 けれど農地の広がりの具合、並木の並び方などからしてオランダ北部なり丘陵地がでてくればこれはリンブルグだと分かることも多い。 時には都市の中心でその町の教会をバックに広場のテラスで飲み物をバックに日当たりのいい景色がでることがあってブレダの時にはいつも上天気でバックにはブレダの聖堂が写っている。 殆ど同じ角度なので頭の隅に残っているのだがこの場所に行ってみたいと思ってブレダと言ったのだった。

日曜午後3時、教会関係のボランティアが何人かと我々、それにパンクかゴシックかというような衣装で途方もない分厚い靴底、強いメーキャップをした娘が二人床の墓標に坐って静かに話しているだけの聖堂内部は弱い西日が入って美しかった。 教会を出るとそこは町の中心の広場でレストランやカフェーが沢山あって自分は尖塔を見ながら天気予報に毎年2,3回は出る画像のカメラ位置と角度を思い出しながらここだと家族に言い、今日はここに来るのが唯一の目的だったと告白したら馬鹿にされた。

伸びた輪ゴムの輪を左側の中ほどから下に向かって時計の動きに反対して動き右の中ほどから町にはいり上の頂点が聖堂だった。 出発点のホテルに着くとほぼ暗くなっていた。 4時半を廻っていた。 ゆったりした大きなカフェーの味のある椅子に落ち着いて皆ビールで乾杯した。 揚げた丸いコロッケを摘みにして40分ほど過ごし、少し早いのだけどディナーにしたいというと窓辺の四人用の丸いテーブルに案内された。 前菜・本菜・デザートに皆それぞれ牛、豚、野兎、雉など違うものを注文してそれぞれ味見をしながら3時間かけてゆっくり平らげた。 日曜の夜ということもあるけれどちゃんとした服装の年寄り夫婦が多かったことにもこのレストランが好まれる理由が分かったような気がする。 オランダの並のレストラン以上の優れた料理人の腕が感じられた。

車で娘をブレダの駅まで送っていき町を出て高速に出たら30分ほど居眠っていた。 こういう風に食事をして息子の運転する車に乗るとこのパターンになる。 先月の12日にナイメヘンの娘のところに行った帰りも同じだった。 どちらも気が付いたら家の前だった。 まるで深夜のようにも思ったけれど9時を廻ったところだった。 夕食を始めるのが早かったからそう感じたのだった。 普通6時を廻って食事を始め戻ってくると11時をだいぶ廻るのだからそんなものだ。 それに10km以上歩いた後の食事だと一層眠気が強まりそれだけ眠りに深みと甘味が増す。

 

 

 



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