暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

白鳥に頭を撫でられたこと

2018年09月06日 18時23分22秒 | 思い出すことども

 

この間青空マーケットで生鰊を喰っている時にカモメに攫われたことをここに書いた。 そのときその無礼で傍若無人なカモメが自分の頭を羽根で張り倒す形に自分の昼飯を咥えて行ったのだがこれを後で思い出して苦々しく思っていた時に、そういえば鳥の羽根が自分の頭に触れたのはそれが初めてではなかったことを思い出し、初めての時はこのカモメの時のように腹を立てることもなく、それをむしろ今では懐かしむような気持になっていることを思い出しつつ、だからそのときの事をここに書き留めておくのも一興だと思い、散歩の途中その場所にでかけて写真も撮ってきたのだった。

それは自分が1986年にライデン大学で教え始めて10年ほど経った頃だろうか、だからもうかれこれ20年以上前になる。 自分の部屋は18世紀の兵廠を一部改築した静かな歴史的建造物の中に在り、そこからさまざまな建物にある小教室にこちらから出向いて行って授業をする。 16世紀にオランダで最初の大学が設けられた記念碑的な建物でも授業をしたし、一方、1980年に建てられたモダンで醜い工場にも見えなくもない建物の中にある視聴覚教室でも新しい機器を使って語学の授業をした。 運河に架かる橋を渡って向かいの大学図書館の並びにも地域研究、言語学、社会学等の研究棟がありそこにある小教室に橋を渡って出向くことが多かった。 当時は今の様にコンクリートの薄い橋ではなくごつごつとした木の橋が掛かっており、その下をボートで行く者は皆背をかがめて橋の下を通り過ぎていたから今よりかなり低かったのではないかと思う。

いつもなら時間に追われ橋の往復はセカセカと足早に通りすぎるのにその日は時間の余裕があったのだろうかノンビリと歩いていた。 雪は降っていなかったけれど寒く11月から12月の初めだったかもしれない。 その理由はどんよりとした空ではあるけれど急いで暖かいところに入り込みたいというほど人を追い立てる寒さはまだそこにはなかったからだろうと思う。 橋の中央まで来た時に運河の先100mほどのところにあってレンブラントの銅像が袂に建っているあたりから一羽の白鳥がこちらに向かって飛び立ち始めた。 KLMオランダ航空のコマーシャルにもあったように白鳥が飛び立つのにはその体を持ち上げてバタバタと水面を脚で叩き徐々に離陸する、いやこの場合は離水か。 そんな場合、他の小鳥とは違い身軽に飛び去ることはできずジャンボジェットなどの場合と同じく直線的に先ず高度を徐々に上げてから進路を決める。 こちらに飛んでくるので初めはその距離の短さからひょっとして自分の立っている橋の下をくぐっていくのかとも思ったもののここは一気に上昇して過ぎるのが筋だろうと思った。 けれど白鳥の真正面には自分がいるしそれは向うにも充分承知のはずだ。 だから右か左に少しずらせるか力任せにかなり自分の上方まで高度を上げて過ぎなければ白鳥にとっては危ない瞬間が訪れるはずなのだ。 けれど白鳥は精一杯羽ばたいているのかそのうちキシキシという羽根音まで聞こえ自分に向かってまっしぐらに進んでくる。 その時にはもう橋の下をくぐるには遅すぎるしそれで力いっぱいだとして自分の頭3つ4つ上を行くには弱すぎるようで左右の羽根の調整をする余裕もないのか方向も変えない。 自分は始終動かず見つめていたからただの棒か杭のようにも見えたのだろうか、自分に向かって一直線に飛んできて一瞬パサッという音が聞こえ頭を羽根で撫でられた感触があった。 振り返ると白鳥はそのまま少しづつ上昇していきシーボルトが日本から持ってきた植物が植わっている植物園とアインシュタインが天空を覗いていた天文台の望遠鏡がある棟の方に飛び去った。

あの白鳥にしてもよくあんな風に危険を冒してまでも橋を越えて飛んだものだ。 あるときに飛ぶのを止めるとか橋の下を潜るというような決定ができたものが、ええいままよ、という気になったものだろうか。 もし若くてすばしこい者がここに立っていてその上を飛んでいったのならその若者は飛び上がって白鳥を捕まえようとしたかもしれず、もしそうしていたならば出来ないこともないかもしれないのに敢えてそれをやったその気概というか必死さに感心したものだ。 ただ自分を橋の上から眺めているだけの人間には危険を感じなかったのだろうか。 

日頃水辺で2,3羽の雛を従えている親鳥の白鳥の外敵に向かう威嚇力の激しさは人間や犬さえ距離を保つほどなのは承知しているけれど真正面に一直線に飛んでくる白鳥の無防備な印象とは違う。 あの時のことを思い出すと何故か懐かしさのような想いが湧いてくるのだがその理由は何故なのか分からない。



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