暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ダーツボードで思い出したことがある

2007年07月01日 23時33分40秒 | 思い出すことども
身内の健康が小康状態にもどり一息落ち着いた日曜の午後、屋根裏部屋の乱雑な部屋で英文学者へのオマージュとも言うべき同年代の人の文をジンを舐めながら読んでいて一区切りついたことから筆者が回想と共に恩師に照らし自己の態度を真摯に問う章で一服した。

ここでは一服というのは仕事の合間にタバコを吸引することであり「一服盛る」で物騒な使い方をされている言葉なのだが、近年毒と言われるタバコはもう何年も前に止めているので一服の仕様もないがその代わりに小さいグラスで杜松の実の蒸留酒を飲んで一服しその時、もう吸引しなくなったタバコの香りを想った。 もともと今自分が住む街の学者が1660年に地元で解熱・利尿用薬用酒として作られたイェネーヴァとも発音されるジンを一服するにはクスリになっても毒にはならないだろう。

もうタバコはやめた、とは書くものの、タバコの香りは時々間接吸引で楽しむことがある。 誰かの持っている出来立てのまだ湿った、紙に巻く前の琥珀色の刻みタバコの手にまつわる匂いであり、自分の筆立てに何年も埃をかぶったまま佇むパイプの残り香や最後に口にした、何かの会合のときに香る太い葉巻でもある。 もう4,5年も前に仕事の帰りに、幕末の侍が立ち寄ったかもしれないカフェで最後の葉巻を楽しみ残りを辞める弾みとしてカフェの常連に配りその後カフェを毎日横目で眺めながら帰宅したのだがそこは今、姪のパートナーが何の因果かバーキーパーをしているところでそのカフェの片隅にはどこにでもある貧相なダーツはあったのだがそれには触れていない。 

その頃にはオランダ・ハーグ市出身の、もと郵便配達夫がイギリス、レイクサイドで毎年1月頃に行われるエンバシー世界選手権を何回か手にしており今はその後進たちも活躍し二十歳そこそこのオランダの若者も去年だったか選手権を手にしてオランダのダーツ熱も沸騰した感があるのだが、私が20年ほど前に一頃ダーツに凝った頃はどこのカフェーにもダーツボードがかけられたころだったのかもしれない。 ビールにタバコはカフェーの収入源でもありゲームが熱中してくれば売り上げも自然と伸びるというものだった。 もっともそれでもビリヤードは昔からカフェーに大きな場所を占めて新入りのダーツを隅に追いやる風でもあった。 

この他にタバコの香りといえば時には乗り降りする首都の停車場に漂う麻タバコの魅惑する清涼感でもあるのだがそれらは瑣末のことだ。

酒の勢いで事を前に進めるのは古今東西のこと、1984,5年のことだったのだろうがオランダ北部の「ヨーロッパの秋」を著した学者が研究したリベラルな大学やその街でぶらぶらしていた。 家人とはそのころ知り合っており関係もそれぞれの行く末に不安を持ちながらも互いの興味をある程度共有していながらかなり濃密なものだった。 オランダでは日常英語だけで暮らしていたから数年間は不自由なく暮らしていたものの主に英語で暮らす人々との狭い野壷のような紙上の言葉だけの世界から現地のオランダ語での、久しく匂わなかったその懐かしい野壷の匂いに戻してくれたのも彼女を通じてだった。

私はぶらぶら何をするのでもない生活を送り、一方彼女はオランダでも特に片田舎といわれる古くからオランダ共産党が最後の地盤にする地方の、大きな農家を共同で買いとりピッピー以後未だに続いているカップルが主宰する小さなコンミューンに住み、そこで造形製作に励んでおり、私は彼女にはそう頻繁には邪魔が出来ない時期でもあり、自分の無聊を埋めるのに何かのきっかけかで街中のカフェーで見かけたダーツが目に入りそれを始めたのだと思う。

幼少時に頭に鉛の弾を喰らい被弾が必ずしも痛みを伴うものではないと体験したこともあってなのことも幾分か関係しているのだろうが射ることに興味をもち、当時のなだれをうった50年代、60年代アメリカ文化にまみれる中、テレビ、劇場映画の西部劇で育ってもいるので西部劇の酒場でダーツ遊びをしているのは見た記憶がないものの、それまでに日本を出る前にダーツのことは英国がらみで面白いと思っていたからそのときすんなりとカフェー遊びに時間を割くことが出来たのだろう。

そのうち当時使われていた真ちゅう製で太く30gほどのものからハイテク素材のタングステンなどが配合された細身で20gを越すほどのものも出始めそれを買って遊び始め、85年にはオランダ・ダーツ連盟の会員にもなってグロニンゲン州のトーナメントにチームで参加してビギナー部門で優勝もしている。 その当時チャンピオンだったEric Bristowが表紙になっているHow to play Darts ('81)を書店で求めて手本にもしているのだがその著者はその数年前にチャンピオンになっていたDave Whitcombeである。

オランダ滞在の初めの4,5年はテレビを持たなくてその分、時間が潤沢にあったようなのだが80年代の後半に二人で住み始めてからはテレビも居間に入り、オランダ語はアウトラインはつかめるものの細部までは理解できずそれがまどろっこしくてそれよりもはっきり分かる英国BBC放送をもっぱら見ていた。 その中で毎年ダーツ・世界大会が何日もBBCでライブ放送も交えて放映されるのだった。 今はそうではないものの当時は放映の試合中に500ccの独特なパイントグラスに入ったビールを飲みながら投げていたのではなかったか。 今は体格がなんとか見られるようになっているものの当時はビール腹の参加者が多かった。 なかでも私の気に入りはJocky WilsonとBobby Georgeだった。 彼らの町のおっさん然とした風貌があくまでこのパブ遊びに合っているようでもあったからだ。

20年ほど前に北の街からハーグの中心まで自転車でも遠くないところに越してきたのだがそのあたりには適当なダーツカフェがなかった。 後年、世界チャンピオンであるRaymond 'Barney' van Barneveldが入り浸っていたカフェも市内にあったのだがそこには入ってもいない。 そこから今住んでいる街に越すと事情はいっそう疎くなった。 ボードを10近く用意したダーツカフェなどは見られなかったからダーツより古式銃の射撃の方に道楽は移っていった。 大抵どの射撃クラブにもダーツボードは置いてあるのだが殆どが手付かずのままである。






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