暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

’16クリスマスディナー主菜; Mul タテジマヒメジ

2016年12月25日 21時40分54秒 | 喰う

 

姑を我が家に招いて午後から夕にかけて遊ぶ恒例のクリスマスのディナーのメニューが決まった。 12月の初めに職員共済会が例年のように近くのシェフの店でクリスマスディナーの講習会をするのだが今年は自分と息子がそれに出かけて夕方7時から11時半まで前菜・中菜・本菜・デザートとそれぞれシェフが手本を見せてそれを我々がなぞり、作ったものをそれに合ったワインで飲み食いする会に行ってきた。 そのとき前菜で作ったタテジマヒメジの菜種油焼きがえらく美味かったのでそれを今年のディナーの本菜にすることにした。 それは平生の牛や豚などが食卓に上るのではなくこんな特別のディナーであるので近年は鹿や猪などの肉を供する傾向にあったし我が家でもそのようにしていた。 けれど最近はそれにも少々重いものを感じていたし、実際講習でも猪の背肉のステーキに添えて猪肉を低温で長時間煮て解したものをウサギの内臓のパテで和えて小さなハンバーガーにしたものが主菜でありそれが美味ではあったといっても我々には重く、ましてや90に手の届くような姑には負担がかかりすぎるだろうという想いからこの美味かった魚を本菜に持ってくることにしたのだった。

オランダで Mul と呼ばれる魚だ。 英名 Striped Red mullet、ラテン名 Mullus surmuletus で日本ではあまり馴染みがなく探し当てた和名は タテジマヒメジ だった。 昔、親たちがヒメジは美味いと言っているのを聞いてはいたがそれを自覚して喰った覚えはない。 ホウボウの仲間であるらしいがホウボウは味わったことが無い。 いずれにしても昔の年寄りたちが口にしていた名前を憶えていたのだろう。 1960年代以降は自分の耳にも口にも入っていない。 ホウボウを小型にして扁平にしたようなメゴチは生まれ育った泉南ではガッチョといい、子どもの頃から大阪湾の堤防から釣り上げて持ち帰った覚えがある。 煮物は別として自分の好物はガッチョのから揚げで、ビールのつまみに美味いものだ。 小さなガッチョになると本題のヒメジからほど遠いものとなって身は小さく格も大分下がるようでもある。

オランダ語でムルというタテジマヒメジを料理するのは簡単だ。 強火で熱くしたフライパンに菜種油をひき、塩コショウを軽く施した魚を皮に筋を入れた側を下にして置き、指で10秒ほど押さえ焦げ目をつけるのと平らにして一様に火を通しその後裏返して弱火で暫く焼いて火が通ったら出来上がりである。 要はステーキと同じく火は通っているが焼きすぎないこと、肉に新鮮な弾力を保つことだ。 実際数分で済む。 けれど魚を乗せる台と魚のソースには準備が要る。 

魚を乗せる台は緑のクスクスでつくり、それは鶏のブイヨンで蒸らしたクスクスにあらかじめ作っておいたモロッコ風ハーブで用意したペーストを混ぜたものだ。 ペーストは市場で新鮮なパセリ、コリアンダー、ドラゴン、ディル、ミントを買ってきてそれを荒く刻み、ブレンダーにかけ、オリーブオイルを注ぎながらペーストにする。 そのときの新鮮な香りがなんともいえない。 そこに熱くしたフライパンのオリーブオイルに玉ねぎとクーミンを加え炒めてそれをペーストと一緒にクスクスに混ぜればモロッコ風エキゾチックな緑のクスクスが出来上がり、このフレッシュな香りと味わいが魚に合う。

黄色いソースは魚のブイヨンにクレムフレッシュを加え熱し蒸散させ量が半分ぐらいになるまで火を通す。 別鍋に少々白ワインを火にかけサフランの花芯を5つ6つ散らし10分ほど煮て黄色い色と香りをだしそれを先ほどのクリームソースに加えて蒸散させ仕上げはバターでとろみをつければソースとなる。

魚の調理は簡単だがソースとクスクスを先に用意しておいて魚を焼くのが順序となる。 写真のように当日はできるかどうか挑戦でもある。 当日はこれに煮た栗を2つほど添えるつもりをしている。

尚、前菜は息子が用意し、エビ・蟹の棒状のコロッケのブイヤベース・スープ添え、デザートは娘と家人の共同作業で詳細は知らされていない。 彼らはまた野菜サラダも担当している。 今年は肉なしの胃に重くないメニューとなりそうだ。 新年早々病院で胃の検査をする自分にも合った献立でもありこれに白ワインを一杯ぐらいは許されてしかるべきだと考える。


’16夏、アイルランドを歩く(9)コークのパブで

2016年12月25日 01時05分40秒 | 日常

 

2016年 8月 21日 (日) 雨

ベアラ半島でのウォーキングを終えコークに戻ってきた。 前日キャッスルタウン・ベアラの町からバスで3時間ほど揺られ今回最初の宿泊地になったB&Bにまた戻ってきた。 オランダに発つ22日の便が早朝5時であるのでここにまだ2泊し結局まだ2日半ほど居ることになるのでのんびりコークの町をあちこち歩いた。 あまり大きな街でもないので方向も大体分かるようになり繁華街の通りもどうなっているのかも見当がつくようになる。 コーク大学の正面近くにある宿から食事をする繁華街までは2km以上の距離があり、そこを往復するのに歩いたり時間が合えばバスに乗ったりした。 この日は家人が一人だけ宿舎の近くにあるプールで泳ぎたいと言うので、別段泳ぎたくもない自分と娘は特に何をするとも決めず町に出て夕方どこかで家人と落ち合って食事をすることにして別れた。 しとしとと雨が降っていたのでバスに乗って繁華街に出てブラブラ歩き晩飯をどこでしようかとレストランに目星をつけるべく店の様子や軒先のメニューを読みながら歩いていると店の者が出てきて勧誘する。 そこでこの辺りでライブの音楽をやっているスポットを幾つか聞いてそこを尋ねることにした。 一番初めに来たところがアイリッシュ民謡をやっているパブでそこに入るとかなりの人が入っていてカウンターには人が7,8人坐り、壁沿いのテーブル3つほども塞がっており土間に幾つか置いてある背もたれのついていない丸椅子が二つだけ残っていてそれに腰かけてパイントグラスのギネスを手にして見回していると壁の上にかかっている大きなスクリーンのアイルランドローカルのラグビーのようなサッカーのようなスポーツに見入っている人々の向うにミュージシャンが集まってきてそれぞれバンジョーに横笛、バグパイプにギターや横笛、太鼓などの楽器を取り出して演奏しだした。 

日曜の午後3時半というのはパブでこんな大スクリーンのスポーツを見ながらビールを飲むかこういうセッションがあればそれも聴くというのが好ましい日曜の過ごし方なのだろう。 壁にはロリー・ギャラガーのポスターが大きくかかっていた。 ギャラガーはこの町の出身なのだと誰かから聞いた。 初めから知っていれば彼の住んでいたところやよく演奏したライブハウスなどを訪れてみたかったけれどウォーキングを終えた今はそれをするエネルギーもない。 学生時代70年代の前半にギャラガーを聴いた時期があった。 アイリッシュとは承知していたけれどブリティッシュ・ロック・ブルースの括りで聴いていたようで目の前にギャラガーのポスターを久しぶりに見てここの町の出身だと言われると急に40年の時間が戻るような錯覚に陥る。 けれど目の前でやっているのはアイリッシュ民謡なのだ。 何日か前に泊まった Allihies の町のパブでもこのようなセッションに接したけれどこちらの方が本格的で楽器の種類も如何にもアイルランドのもののようだった。 金属製の縦笛がないなと思っていると男が後ほど駆け込んできてフィドルとギターの間に割り込んで座りジャケットのポケットから小さな金属パイプの縦笛を取り出して皆に合流した。 この男はアイルランド独特のスポーツの勝敗が気になるのかずっと天井近くにかかった大きなスクリーンを眺めながら指を動かしていた。

休憩の時に大きなタンバリンのような太鼓の男にどのように音の高低を調整するのか尋ねてみた。 叩くのは右手の指であったり20cmほどのバチの中ほどを摘まんでバチの両端で皮を叩いて音を出すのだが音の高低は左手で皮に触れたり押したりしてニュアンスを出すのだといった。 日本の鼓や羯鼓などは皮に繋がった胴を締める紐を握ったり緩めたりして高低を出すと言うとメキシコやアメリカインディアンなどでも自分の使っている楽器に似た形でそのようにするものもあるけれどこれにはそんな紐はついていないと言った。

1時間ほどここにいて雨が上がったようだったからそこを出て家人と合流すべくイングリッシュ・マーケットの方に歩き始めたのだが暫く行くと入口が閉まっていた。 日曜日は観光客の多い夏のバカンスシーズンでも休みだったのだ。