暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

在蘭文学者たち; ロシアの現在を巡って

2014年12月14日 12時21分07秒 | 聴く

 2014年 12月 14日

日曜午前中、オランダの国営テレビで週間文学テレビ番組を観た。 その番組の前はジャズやクラシックなどの新情報を話題の音楽家3人ほどがライブでそれぞれの作品を自己紹介する番組でもあり、これには2年ほど前までよく行っていたアムステルダムのジャズ・スポット、ビムハウスの舞台が使われており何度もその舞台でコンサートが終わってから第一線で活躍する新旧のジャズメンたちと親しく語ったことも思い出し、この2年ほどで大きく変ったジャズシーンのことも聴きつつこれらのこの30年ほど続いている日曜午前の定番音楽・文学タイムだったのだが、今日は久しぶりに見聞きした新刊の著者二人のそれぞれ30分づつインタビューで構成されたオランダ文学番組について興味が惹かれたのでそれについて記す。 

企画は現在ヨーロッパの周縁で起こっていることに関して世界的見地を含めた状況に間接的、もしくは思想的には直接関係している作家たちの発言だった。 それぞれ自分の文学を辿ってきて現在偶々世界政治の動きに連動した著作者たちであり一人はロシア語・ロシアの影響下で物心ついた女性であり、もう一人はロシアなどには関係なく戦後のインドネシアに生まれ5つのときにオランダに越して以来個人の興味を辿ってたまたまプーシキンを専門にした翻訳家、ロシア文学者であるとともにヨーロッパの古典教育の精化ともいうべくラテン語、ギリシャ語をはじめ9ヶ国語以上を辿り今自分の過去、系譜を辿ろうとしているインドネシア系オランダ人の二人なのだが両者に共通しているのはロシア文学に対する信頼とそれを辿ってきたがゆえに今の政治状況を批判しないではいられない一種危機的状況に対する警鐘を鳴らす二人であり、国籍はオランダであると無いとにかかわらず自己のアイデンティーはオランダの外にありオランダ語で活動しているということだろうか。

 この日は特にインドネシア系オランダ人作家、 Hans Boland について興味が惹かれた。

 

1)

著書名; Kinderen van Brezjnev (ブレジネフの子供たち)

著者; Sana Valiulina

ISBN: 9789044626407 

出版社;Prometheus、アムステルダム
 オランダ語; 504ページ
 
女性である著者は1964年にバルト三国のうちエストニアの首都タリンの生まれで1989年にオランダに越してきて以来翻訳家、ロシア語教師などを経て自分の経験を踏まえたロシア関係の著作を数冊上梓しており今回のインタビューではロシア訛りのオランダ語を話しながら自分が幼少の折、ブレジネフの葬儀が非常に印象に残ったことを基に自分の世代のことを彼女が今住む「西側」世界との比較で述べたと説明する。 1950年生まれの自分が1980年にオランダに住み始めたのに比べ、それから9年後に25歳でオランダに住み始めた女性と比べてその違いを考えると幾つかの興味深い点が浮かぶ。 自分が日本文学に興味をもちはじめ近代文学史を辿る上でロシア文学が果たした役割はその発展に不可欠であると認めるもののそれが忘れられつつある現在、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、プーシキン等の主だった文学者たちに親しんでくれば自ずと彼女の現在のロシアに対するスタンスが見えてくるのであり、それを一層加速するのがスターリンを初めとするコミュニズムの思想的に正当な継承者というより歪なあだ花的存在の象徴が彼女にとってはブレジネフの葬儀だったようだ。 バルト海に面した小国で西側からの放送を聴いて育てば如何に物質的に東側が貧弱であり自由という空気の欠如を自覚するかというのは明白になるのだが彼女の廻りは全て目隠しされ自由な空気が欠如していることが見えていないという事実とその自覚だったらしい。 実際自分は家人と83,4年ごろの夏、東西ベルリンを旅行してその経験から著者の感慨の幾ばくかが理解できるようだった。 彼女は結局壁の崩壊の前兆としてオランダに来ているのだから自分が住んでいた世界を今回顧する意味は自己確認という機能がかなり大きいと見て取れる。 彼女の言で気になったのは資本主義に対する言及のなさだった。 それは「東側」との比較の性急さゆえの欠落かそれとも文学と自分の体験から推して彼女が経験した共産主義にたいする嫌悪の強さからすれば資本主義の弊害は無視できると踏んでいるのかその辺りに想像が向く。 
 
2)
著書名; De Zacht Held (穏やかな英雄)
著者 ; Hans Boland
ISBN;  9789025303624
出版社; Athenaeum-Polak & Van Gennep
 
オランダ語;
 
1951年にインドネシアで生まれた Hans Boland は5歳でオランダに越してきて以来語学に興味を示しジムナジウムを卒業しその年ケンブリッジ大に入って英語を修め、その後アムステルダム大学でスラブ語文化研究を始めモスクワに留学し博士号を取得する。 ジムナジウムでは必須科目のギリシャ語、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語を収めているがスラブ語関係ではロシア語は当然としてグルジア語、チェコ語、デンマーク語、スウェーデン語、それにイタリア語、トルコ語を堪能とする。 ロシア文学を専門にし、プーシキンの翻訳、類書など著作は20冊を越え、新聞、雑誌などへの寄稿は数知れず。 今回の著作は自分の出身であるインドネシアを掘り下げる試みであり半生を西洋文化の中で過ごして活動してきた著者にはある種アイデンティー再考の試みでもあるらしい。
 
この日、インタビューは元々は新刊について語るはずのものであったけれど著者はプーシキン全集、書簡集の翻訳ならびに研究書出版などの功績によりロシアで一番権威のあるプーシキン賞を授与されることになり、その授与式に招かれそこで直接プーティン大統領から賞が手渡されることに反対し受賞を断り、その旨を公表したことで話題になったばかりであり、このことがインタビューの大部分を占めたのだった。 オランダ人乗客が大半のマレーシア機がウクライナ上空で撃墜されその影にあるのが紛れもなくロシア政府であり、とりわけプーティン大統領が関与していることが暗黙のうちに知られているがゆえに早くからこの事件は政治でも解決できず迷宮入りと看做されている折のプロテストであることは明白なのだが、それは彼の論の一部でしかなく、半生をプーシキンの文学、思想に関与してきたものにとってその自由精神を迫害するロシア政府、ことにその指導者から賞を受け取ることでこの賞の性格に受賞することで加担することはできない、それは自分の今までの営為を裏切るものである、との意思に依った行動なのだ。
 
これに対するロシア側の反応には興味深いものがある。 ロシアのメディアは直ちに著者をホモであると決め付け、著作の非モラル性を言い立て誹謗する攻撃を仕掛けているとその記事を示してインタビューワーが著者に訊ねるのだが、著者は、女性を愛しゲイに親和性を示しそれらの与太記事に対して根も葉もない事実だとそれらの部分を逐一示して反論する。 興味深いことに大国ロシアでは人格否定の最たるものとして同性愛が用いられる。 ロシアの投稿者はオランダ語、英語その他の彼の著作を正しく読めていないこと、第一に非モラルであると挙げるその部分はプーシキンの著作の翻訳でありそれを更に誤訳して攻撃するなど二重、三重の誤謬、無知、無根拠だと著者は断定し、これから更なる論戦を挑まれればそれに逐一理由、根拠を挙げて反論する用意があると骨のある文学者の態度を示している。 まさに政治と文学の血の滲むような接点が温和な文学者に降って湧いたような事件となった形ではあるが彼には突然の出来事であるとはみていない節がある。 それは文学にかかわるものには日常の営為の中で常に問われ続けていることではあるのだろうし、それは文学者としてのモラルであるとするならば彼には自己の文学者としての誇りの問題であり、このかたちの文学賞は決して受け入れられない種類のものであるだろう。 殊に現在の大統領から手渡されるそのことに屈辱を感じるその感性は理性をもとにした文学者として鍛えられたものである。