暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

蔦の絡まるチャペルで、、、、

2008年09月29日 05時17分47秒 | 見る
2008年 9月 28日 (日)

秋の日和が嬉しい日曜日、気持ちのいい週末をすごした。

町の美術協会が主催する催しに家人が他の144人と共に参加し金曜の夜にその開幕パーティーに出かけ旧知の人たちと歓談し、いよいよ秋に入り新しい活動の季節が訪れたことを実感した。 家人はこの3,4年ほど町の中心にあるモダンな美容院に自分の作品をこの週末に展示して多くの訪問者を得、満足のようだった。

その場所は先週私がこの町の例年の行事である10月3日に町の市民への贈り物として生鰊とパンをもらうために並んだ旧公式計量所から石を投げると届くほどの距離のところにある。 主人である美容師は一週間ほどイタリアの修道院に瞑想にでかけており火曜日には戻って開店することから家人の作品や展示のためにちょっとした美術ギャラリーにも見えなくもない現代美術のインテリアがあちこちにみられる店内を直ぐに美容院として営業できるように戻すため夕方の催し物の終了後あとかたずけを手伝ったのだった。

子供達もそれぞれ出かけて戻ることもなくうちは夫婦二人であるから催し物の終了の打ち上げパーティーに出かけ子供たちの食事のことにも煩わされることもなく気楽な夕べとなるからとりあえず荷物を自宅にもちかえるべく二人で自転車を漕いで町外れに在る自宅に向けてのんびり夕空の下をうちの近くの交差点のあたりに近づくと午後6時半の夕日に映えて燃えるような光景に息を奪われた。 普通に日頃行き来するところではあるのだが別段注意を引くようなものはなかったのだが今の時期、紅葉が始まっていることをこの燃えるような赤い蔦の葉がべったり建物の壁に絨毯となり張り付いている光景に接してそれを思い知らされたのだ。 

これはモミジではないので「秋の夕日に照る山、モミジ、、、」といような唱歌ではなく、「蔦の絡まるチャペルで祈りを捧げた日、、、」と学生時代として流行った歌の歌詞が思わず浮かんで来る。 宗教には全く染まっておらず重い鞄を抱えて図書館に通うような学生時代も送ったわけではないので自分では歌うことはないけれど昔聞きなれた歌の「蔦」という言葉にに絡んで連想したのだろう。 けれどその歌詞の蔦はこのように燃えるような赤だったかどうかは知る由もない。

暫く見とれて写真を撮っているとこちらを窺う家人の自転車に気付き彼女を追って家に向かったのだった。