ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

書き残すということ

2023-12-12 19:21:09 | 日記
 ああ、先週は山城歌会の吟行で宇治植物公園に行ってきれいな景色をたっぷり見ていたなぁと思いつつ。闘病5日目。

 山城歌会メンバーのMさんが私の父が亡くなったことをすでに知っていて、「お父さん、亡くなられたんやね」と呟いたときに、そばにいたOさんが、「え、ほんとですか」と父の話になって。

 10日くらい前に亡くなったんですよ。

 あの、病院から寂しくて抜け出してきたお父さん・・・ あの歌、読んだとき涙出ましたよ。

 ソファみたいなお父さん・・・・・ かなり弱っておられたようでしたね。

 それぞれのひとが私が詠んだ歌から父のイメージを持っていて、ああ、私の歌、読んでもらってるんだなと思った。

 ・寂しくて病院を抜けでてきた父をきつく叱った六年前は (2023年塔10月号特別作品「燕」)
 ・会うたびに生きることへの執着が弱くなる父もうソファのよう(2022年塔6月号)

 喪中はがきを出した人からも手紙が何通かきて、私からきいた父のことを懐かしそうに書いてくれていた。

 それからここを読んでくれている親族のひとたちは、父にずっと会ってなかったけど、ここを読んできたから、いまどんな様子か、どういう状態かということが想像できたからいきなりという感じじゃなくてよかったよと言ってくれた。少しずつ私たちといっしょに心の準備をしてきてくれたのだろう。

 歌もこの日記も、自分の記録として書いているのだけれど、父がいろんなひとに覚えていてもらえてよかったなと思った。

 ・これが父かと思えば湧くは悲しみか憤りか目を合わせず帰る (2022年塔6月号)
 ・ワゴンセールで父にねだりしペンケース眼鏡を入れて持ち歩くなり(2019年塔8月号)
 ・肌掛けをかけてもらってそののちは網戸を抜けてくる夏の声 (2019年塔8月号)

 こうして読み返すと、つらかったなぁ、がんばったなぁとしみじみ思う。

 そしてつらい中でも父や母の優しいしぐさが紛れていて、最後まで大切にしてもらっていたことをあらためて思う。

 いまもずっと、ペンケースは眼鏡を入れて持ち歩いているよ。
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回復の兆し

2023-12-11 21:34:19 | 日記
 闘病4日目。

 朝は結構つらいけれど、昼間は気分もよくて動けるようになってきた。

 金曜日に「籠城用」の食糧をたくさん買っておいたのがずいぶん減ってきた。

 夫は普段、ご飯を作るのを苦にしないひとだけれど、今回は相当きついらしく、洗い物も全くしない。

 私もご飯を作ろうという気力がなかったので、1Fのテーブルのうえに買ってきたものを並べておいて、好きなときに好きなものを勝手に食べる、という方式で3日間を過ごした。

 巻きずし、稲荷寿司、お好み焼き、豚まん、バウムクーヘン、カステラ、クリームパン、食パン、バナナ、みかん、柿、うどん。冷蔵庫にはプリンやヨーグルト、オレンジジュース、アサイー、グリーンスムージー。

 そして、ポカリの2リットルを置いておいて、それぞれが500mlのペットボトルに詰め替えて飲む。

 とりあえず、薬は一日3回飲まないといけないから、不定期でも3回は食料を口にして薬を飲んだ。

 今回は私のほうが軽症なので、この期間に2回洗濯をして、薬がなくなったのできのうドラッグストアにも行った。卵や牛乳も補充できた。最近のドラッグストアって便利。

 だけど、帰宅するとへなへなとなって料理はできなかったので、きのうもマルシェからそれぞれが食べていた。

 きょうはかなり回復したのでお昼にクリームシチュウを作っておいた。ご飯も2合炊く。

 これなら、好きな時にパンとでもご飯とでも食べられるし、おなかのすき具合によって自分で食べる量を調節できる。

 この期間にとても助かったのが、となりの部屋に簡易的に設えた父の祭壇。みかんやお菓子がたくさんそなえてあるので、お腹がすいて下まで降りるのがしんどいときは、お供え物を食べていた。

 ありがとう。お父さん。

 「ひとつもらうよ」と声をかけたら、「おお、ええよ」と写真の父が笑ってくれるのだった。

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大谷、ドジャーズへ

2023-12-10 21:39:55 | 日記
 闘病3日め。熱はないので喉が痛くて鼻がつまるくらいだけれど、やはり少し動くと疲れる。

 寝て起きて食べての繰り返しのなかで、真夜中に目があいたりする。スマホをチェックして、そろそろ大谷の次の球団が決まってないかなと情報を探していた。

 一瞬、トロント(カナダ)のブルージェイズに決まった、みたいな誤報が流れたりして、LAからトロントってかなり気候が変わるけど大丈夫かなとか、菊池先輩がいるから面倒みてもらえるからいいのかなどいらぬ心配をいろいろしていた。

 Twitter(いまのX)で今期、同じようにエンゼルスと大谷を応援し、一喜一憂をしてきたMさんというひとがいる。女性で、私と同じくらいの年齢だと思う。かなりMLBに詳しくて、ストレートな書きぶりが楽しくて好感を持って読ませていただいている。

 大谷がプライベートジェットでトロントへ向かっているという噂がでたときも、なにが決め手だったんだろうかと私と同じことを考えていたみたいだった。

 それが結局予想どおり、エンゼルスと同じLAを本拠地とするドジャーズに決まって、やっぱりなぁと思った。じゃあ、トロントに向かったのは誰よ、え、とある富豪? なんでプライベートジェットに乗ってるのよ、こんなときにややこしい、とか、いろいろつっこみがおもしろい。

 とにかく、来年はブルーのユニフォームの大谷を応援する。赤いのも似合っていたけど。もうエンゼルスのユニフォームを着ることはないから卓上と吊り下げのカレンダーを買っておいてよかったなぁ。

 息子の部屋の壁には歴代の息子の推し(ハマったもの)が貼られているけれど、そこの上から大谷のカレンダーを吊り下げた。いい感じ。これで回復に向かうだろう。

 またいちからドジャーズのメンバーを覚えなくちゃ。

 
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喪中はがき

2023-12-09 23:39:11 | 日記
 階段をのぼりつめたら光があった。

 義父が9月14日亡くなって、喪中はがきの印刷が届けられたのが11月中頃だった。

 文面の最後に「令和五年十二月」と記したので、十二月に入ってから投函しようと思って手許に置いていたら、11月24日に父が亡くなった。

 筆ぐるめを使って私の父が亡くなったことを手許に置いていた喪中はがきに印刷した。

 ほんとうに最後まで手をかけないように気をつかってくれたのかなと思う。

 投函に間に合うように。追記する時間があるようなタイミングで。

 十二月になって投函した。

 そして、毎日一枚、二枚と喪中はがきが届く。いままでは事務的にもらった葉書を扱っていたのだけど、今年はなんだかしみじみと手に取った。

 ああ、このひともお父さん亡くなったんだな。とか、このひとのお母さん、春にはもう亡くなられていたんだなとか。

 今年、身近なひと亡くしたひとと会って、お茶を飲みたいな。

 なんにもいわないで、きれいな冬の日を一緒に過ごしたいなと思う。
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一回休み

2023-12-08 23:34:05 | 日記
 今朝、起きたら声がまったくでなかった。

 どうしよう。きょうは休みだけれど、あしたは福知山の出張がある。

 とりあえず、堺の用事は先送りにして、回復を待つ。

 あしたもこういう感じなら、講師とセミナー担当者に連絡をしないと、と思い、それぞれの携帯番号をなんとか調べる。声がでないから会社の同僚に協力を得て、ラインできいたりして。

 午後。回復せず。 夫は私よりかなり重症で、熱もある。きょうお互い休みにしておいてよかった。

 14時ごろから病院へいく。

 しばらく休養がいるとかで。

 やっぱりちょっと忙しすぎた。

 少しは声がでるようになっていたので、会社に連絡して事情を話し、あしたの出張は課長が行ってくださることになった。申し訳ない。

 そのままJR城陽駅に寄り、特急券、乗車券の払い戻しをして、生協で買い物をして、コンビニで夫の実家の電気代を払って帰ってきた。(1回外へでると用事がいろいろある)

 そして、ひたすら寝る。

 森のなかの熊のように。 ほんと、しばらく冬眠したい。

 来週末はサイダー歌会、神楽岡歌会、塔の忘年歌会、泥書房のイベントにも申し込んでいるけれど。

 行けるのかしら、と不安がよぎる。

 よくなりますように。 おやすみなさい。

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