きょう、お昼休みに『続森岡貞香歌集』の『黛樹』のところを読んでいたら、ヤチダモの歌がありました。
・ヤチダモの木立に入りて母の言ふここにて写真に入りたしとぞ
・ヤチダモの林のなかにてわが母は面輪を奧にむけゐしとおもふ
1首目は小題「天際」に、2首目はそれから3つの連作のあとの小題「さわがしき」のなかにあります。 ヤチダモ、林、母というのは森岡さんにとってはひとまとまりに思い出すような印象深い記憶があるのかもしれません。
ヤチダモといえば、高安国世にもおもしろい歌があります。
・谷地ダモの梢は白い新芽だから雨はさらさらと林をぬける 『朝から朝』
映像的には静かな春の林を細かい雨が降っている、ヤチダモの梢の新芽も濡らしていく・・・という感じで思い浮かぶのだけど、不思議なのは「だから」と「梢は」の「は」。
梢は白い新芽だから。 梢に新芽があるのではなくて、梢そのものが白い新芽だということ?
細かく見ていくとわからなくなるのですが、これは理屈ではなくて、新芽から林全体に雨が過ぎてゆくときのことを表現しているのでしょう。 『朝から朝』の中でも好きな歌です。
高安さんがこの歌集名を『朝から朝』にすると決めたときいたとき、すばらしい歌集名だと思った、と古い会員の方から聞いたことがあります。
高安さんがこの歌を歌会にだされたとき、「ヤチダモノ」の意味がわからなかったというのはまた別の人から聞いたこと。
森岡さんのヤチダモの歌から、いろんなことを思い出しました。 たぶん私は林の中でヤチダモを見ても気づかないのだろうけど。
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