ちょっと気にかかる事があると、次の日まで後味が悪く、すっきりしない。
週末に、母と姉、そして甥と 用事を済ませた最後に、スーパーで買い物。
レジが混んでいたのですいている所を探して並んだ。
母の買い物は私達の為の苺のみ。
二つのレジの間に2列並ぶようになって、それぞれ左右のレジでの精算となる。
どっちかすいている方に、と思い、母と私はわざと別々の列に並んだ。
私の順番のが早く来たので、母が「そっちのが早いね」と言ったと同時に私の前にサッと入った。
母の買い物のレジ打ちを始めるや、後方から何やら言っている声が聞こえた。
母は耳が少し遠いので、苺をそれぞれ別の袋に入れるように頼んでいたのだが、
まずいなぁ~と思いながらも、私には、これから起こる事がすぐに予測できた。
苺だけだから、私の買い物カゴに入れて、一緒に精算してもらう筈だったが、
母が、袋分けする事をレジの人に頼み始めたので、まずい!と思った。
すぐ後ろに並んでいた男性が出てきて「そりゃぁ、ないんじゃない?みんな順番でならんで
いるんだよ。」と言い始めた。
「私の母なんですけど!一緒に精算しようと思って・・・」と言っている間に、苺だけの精算は
すぐ終わってしまい、支払った後にその意味を理解した母は頭を深々と下げて何度も彼に
謝っていた。で、彼は「そりゃあまずいよな。ねっ、考えようよ!」と、母に言ったのだ。
私はただ、「済みませんでした。お先にどうぞ」と、その人を先に行かせた。
彼は私とは目を合わせず、ひと言もかけずに、当然、と言わんばかりに山ほどの買い物カゴ
と共に私の前に並んだ。彼の妻子はその間に、レジの前方へと、すり抜けて行った。
彼30代。妻20代と言う所だろうか。
どんな理由があるにせよ、隣からこっちに割り込んだんだから、割り込む方が絶対に良くない。
その通りである。明白な事実だ。
たったこれだけの出来事だったが、母が、レジを終えたあと、彼の膨大な買い物と、私の買い物の精算が終わるのを、隅っこでジ~ッと待っていた。その時の気持ちを察するとちょっと辛かった。
家で、子供達やパパにこの話しをしたら、「そりゃあ、おばあちゃんが悪いよ。」と、私が予期した
通りの答え。「でもさぁ、82になる人に、“考えようよ”は、ないんじゃない!」と私。
「おばあちゃんって、自分の得になる事を考える人じゃぁないんだよ。人のためになることしか
考えない人に、“考えようよ!” とは、なんだよ。“てめぇだろう!考えるのは!”
と、つい言いたかったよ!」「でも相手はおばあちゃんのことなんか知らないんだよ」
「確かに、自分だって、割り込まれたらいい気分しないけど、お年寄りならシァ~ナイ・・・位で
終わりになるんじゃない。そこまで正論を通すのかね?」
「今の日本はそんなもんだよ。そんなこと沢山経験しているよ。」と、二人。
次の日、母の家に寄ったら、「昨日は怒られちゃったね。一晩中滅入っちゃって寝れなかった。」
と言う。母だったら、自分がそうされた場合、絶対に「いいですよ。お先にどうぞ」と言う方だから、
孫くらいの人に怒られた事にビックリし、ショックを受けたのだ。
なんだか可哀想になってしまい、あの時私が、「お母さん、そんな事しちゃダメよ」と、きっぱり
言うべきだったのだろう。
あの彼の、順風満帆な顔立ち、真っ赤!な皮靴姿が、私にはとても貧相に写った。
えっ、逆の立場だったら?
もちろん、「ちょっと、ちょっと~、ずるいんじゃないの?」と、口まで出掛かった言葉を、
相手次第で呑み込むか、吐き出すか・・・?ウ~~ン。
人間って勝手。結局自分中心で、自分がいて、周りがある。誰もがそうなのかもしれない。
で、自分って、何だろう?だれだろう?
言葉っていうのは、こんな些細なひと言でも相手を打ちひしがせるものだ、と、尽々思う。
私はどれだけの暴言を吐いて来たことやら・・・・と、ふと、想像したりすると、愕然とする。
言葉は、少なくとも、それを言う相手を選ぶべきなんだろうな。
私が昔、何かのことで、軽い意味でパパに「パパって最低~!」と言ったら、怒り出したのだ。
「俺のどこがそんなにさいてーなんだ!」と。
そんなに、ムキになるような内容でなかったのに、こんな言い方、彼には通じないのかと悟った。
父には、論議しながらよく、「お父さん、最低~!もう絶対にいや!」と良く言ったものだが、
笑っているだけだった。「最低」の意味が通じ合っているからなのだ。
あるいは父と夫との差なんだろうか。
仲良くもなれば、それで終わりにもなってしまうひと言。
こんな年になっても、ますますその難しさを日々感じてしまう。
「そんな言い方しなくても・・・」と自分勝手です
何げない言葉に傷ついたり傷つけたり
私も日々暮らしの中でどれだけ暴言を吐いてるのだろう・・・考えさせられました
同じ言葉でも、受ける人のその時の「環境・立場」で受け止め方が違ってくるし、話すほうも、今おかれている状況で、発音やイントネーションが微妙に違ってきます。
この頃感じますよ。同じ意味合いでも、どうして?
「柔らかく話せないのかしら?」ってことが多々あります。
この間も、レンタル店で「並ぶ順番」、ほとんど同じ、いや私の方が早かったのですが、並ぶ所に入ってくる方向(矢印が確かに床に描いてありました)が違うから、後ろに回れと言う意味のことを言われたのですが・・その言い方が、高飛車の40代女性でした。
娘と一緒だったので、後で「物は言いよう~」・・勉強しようね~と話し合いましたよ。
お母さんのショック!よくわかりますよ。
一番辛かったのは精算が終わるまで隅で待っていらしたお母様、眠れなかったくらい傷つけてしまったということ。
その程度のことでお年寄りを傷つけたその男性は大人じゃないですね!許せん!
お母様を気遣うbiancaさんは優しいですね。
結婚したとき、家族に言っていたと同じような言葉で
話していたらしかられました。「俺を尊敬していない」と。
「はぁ?あなた何様?」と思いましたが言葉には出さず。
そのときの自分の心のありようで、傷つきもし、なん
とも思わないこともあり・・・
たとえば交差点で・・・車に乗っている時と、歩行者
であるときで自分の気持ちが違うことに気がつきます。
お互い、自分だったらあなただったらとその立場を考
えながら、人と自分の間合いを計っていくものだと思います。
それを考えられないゆとりの無い人間だった、あいつは!
と思いましょう。お母様をいたわってさしあげて下さいませ。
お母様は復活されましたか?
「ずる込み」やったことも、やられたことも有りますね。お互い様って思えるといいんですが。
「人の振り見て我が振り直せ」ですね。
そして、「覆水盆に反らず」ということわざも、
心の中にいつも秘めて置きたいのですが、言葉って、
考える前にポロッとでてしまうんですよね~。
出してしまったものを拾って元に戻したい事が何と多いことやら・・!
テレーサさん
ほんとうにそうですね。
同じ言葉でも、ちょっとした事で、太っ腹になったり、
神経質になったりしますものね。
又、言葉は乱暴でも心優しい人もいるし、反対に、
いかにも温厚に見えても内心は別腹の人もいます。
ひと言多かったり、言葉不足だったり、ちょっとしたイントネーションでも
誤解を招いたりってことは本当に多くありますね。
こう在りたい、と思う自分で居られたらいいなぁ。
カメリアさん
赤い靴を履いた男性は、正義感の強い?鈍感な人かもしれませんね。
ただ、彼が、隅の方でじっと待っている母の姿を見て、
感じる事があったか・・は、知る由もありませんけど。
それにしても、私も《赤い靴》なんか、きらいだわ。
ネイビーさん
本当に、運転している時と、歩いている時、そしてチャリに
乗っている時の自分を考えると、いつも自分の置かれている方を
甘く見がちなことに気が付きますね。
人のことは余り言えない私ですが、あと味悪くならないよう、
出来るだけ、人の振り見て我が振りを直そうと思います。
かぐやひめさん
母はちょっと凹んだけど元気です。
忘れ易いお年頃なので、そんなことあったっけ・・に、
なっちゃうかもしれませんよ。
皆さんのお心遣い、とても有難かったです。
7色の態度に、おたがいさま。
これって、ずるいようでいて、一番当っている!
プラス ユーモアセンスがあると、ずるしてもされても、
大らかで居られるかも、ですね。
心に余裕を、口元に笑顔を!
皆さんの沢山のご意見、とても参考になりました。
あと味の悪くなる事は、出来るだけ避けたいです。
自分にとってはどうってことなくても、相手にしてみれば、
我慢できないことも数多くある、ってことですよね。
この差を、豊かな想像力で補っていかなくちゃ。
その想像力を養うには、何が必要なんだろう・・と
考えています。
親の影響もきっと、大ですね。