ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

蘆花公園の思い出

2007-02-17 | visit/drive

 

 この写真をアップして、どこかで見たことがあるなぁ・・・と思いました。
よく考えて見ると、一年前の、砧公園で写した風景でした。
こんな風でしたね。
一年分の枯れ葉の上を、履きなれた靴でサクッサクッと歩く心地よさ。
視界を邪魔するものがない、見たままの光景に見えるのは、画像のトリックです。
例え、本当はそこが写真よりも狭くて周囲の家並みや東京ガスの丸いガスタンクが目障りで
あろうと、それを外せばこんな風だし、
蘆花恒春園」は、この地以外にはないのです。

連休最後の月曜日に蘆花公園に遊びに来ました。去年のゴールデンウィークに伊香保で、
徳富蘆花記念館に寄っていたので、ここは特別親しみがあります。
とは言っても初めての場所ではありません。私の卒業した小学校の、最初のクラス会が
どういうわけか、蘆花公園だったんです。多分、先生が港区からこの近くに引っ越されたから、
この場所になったのではないか、と思っています。クラス会の幹事さん、一体誰だったかなぁ?
で、この話は何十何年前のことになるのやら、数えたくないですが・・・。

  小学校の時の担任のI先生は、個性的という意味の、その上を行ったような先生でした。
  教室の先生の机が、油絵具だらけの、まさに先生のアトリエのような場所だったんです。
  見慣れてしまうとどうって事ないのですが、自分が一応「母親」になってから特にI先生の
  ことが懐かしく思いだされるようになりました。
  日教組のデモに嬉々として「いってくるぞ~!」と生徒に言うし
  クラス一出来る男の子が、あまりにも生意気な発言をするのを見かねて、黒板付属の
  チョークの入った引出しをその子目がけて投げつけたりするし、音楽の時間に、音楽室の
  ドアの隙間から、自分のクラスの子供たちの様子を覗いたり、隣のクラスの女の先生が
  用事で我がクラスに来ると、ジョークを交わさなきゃ気が済まない。
  例えば理科の授業で10分間勉強させた後、隣同士で問題を出し合わせ、点数の
  よい順に席替えをする。(これはどっちかというと記憶力のテストでしたので、勉強の出来
  不出来だけの問題ではなかったのです。)
  その上、クラスの3分の一ほどの子供たちを私立に中学受験させてしまう。
  そのために、放課後の特別授業を勝手に設けて、残りたい子は残って勉強させる。
  その対象は、別に受験したい子でなくてもよかった。

  当時は公立志望が圧倒的に多く、そこから、港区なら都立日比谷高校へ行く、という
  のが、最も一般的なエリートコースでしたが、このころが、公立・私立の人気の入れ替わる
  転換期だったのかもしれません。
  今の世の中なら、I先生のような方は絶対に生徒の親からクレームがついたでしょう。
  その頃のクラスメートはといえば、勉強の好き嫌いに関係なく、先生が大好きだったし、
  親だって、先生のやることは絶対視していた時代でした。
   信頼されて、人は伸びる。先生だって人の子です。
  先生は自分の信念通り、のびのびと聖職の仕事に打ち込んでいたし、特にI先生は、
  その年を最後に学校を転勤の予定だったので、まさにやりたいことを全部やってのけた、
  っていう風でした。
  卒業式の前には、クラスの全員に一枚ずつ、自分の作品をプレゼントして下さいました。
  誰がどの絵を選ぶか、は、先生らしく、くじ引きになりました。
  そして、一番のくじを引いてしまったのが、この私だったのです。
  生徒の前評判のよかった白樺の絵。だれもがこの絵をほしがっていることがわかりましたが、
  私は本当は別の絵のが良かったのです。でも、一番を引いちゃったからには、やっぱり
  白樺の油絵を選ばなきゃまずいかなぁ・・・って気持ちが、どうしてか働いてしまい、
  それを頂くことにしたのです。その時のみんなのため息が、まだ耳に聞こえてきます。
  最後の日、先生は、お教室内のあらゆる私物を生徒に分け与えました。
  「おい、ビアンカ、お前はこれでも読んでもっとやさしくなれよ!」と、渡されたのはイエス様
  の本でした。先生は私が白樺の絵を、一番ほしいと思っていないのに選んだことを
  知っていたのでしょうか。あるいは、照れ屋だったので、心では思っていても、思いやりの
  ある言葉を素直に言えないことを知っていたのでしょうか。

そんな先生と、小学校を卒業してから初めて会ったのが蘆花公園だったのです。、
その時が最後となり、今、I先生が何処でなにをしているのか、まだ生存しているのかさえ
わかりません。公園としては特に印象はありませんでしたが、中学生になって、先生を
背丈で抜かしてしまった申し訳なさとか・・先生が、ちょっとの間に大人っぽく成長してしまった
生徒たちを、まぶしくも一種の緊張感を潜ませて見つめているのが私には判ってしまい、
無邪気だった小学校時代を無性に懐かしく感じたその日のことが、この公園の中に佇み
ながら、ひらひらと頭の中を渦巻く淡い記憶の断片として・・・
思い出されました。

         ◆ ◆ ◆    ◆ ◆ ◆  ◆ ◆ ◆  ◆ ◆ ◆  ◆ ◆  ◆

                                  
       
                         
   
     
徳富蘆花夫妻のお墓の前で水を飲んでいる野良猫にはびっくりしましたが、このあたりは
野良猫が住み着いているようです。みな人なれしたようで、お腹がだぼついています。
ここ、千歳村粕谷の地で、晴耕雨読の生活をしていた徳富蘆花。
生活の感じられる母屋の中を、4時閉館のぎりぎりに覗くことが出来ました。
一つ一つが、蘆花によって選ばれ使われたものなのかぁ~と、シンプルながらも美しく、
使い込まれたものたちを見ながら当時の作家の生活を偲びました。
このほかにも記念館や竹林などがあるのですが、時間が遅かったので次回のお楽しみです。

  
   
 
 
 広場のトイレの前で発見した素敵な椿の名前は、「ト伴」(ボクハン)。
  殺風景な冬の公園のなかで、飛びきり花やかに咲き誇っているこの椿に、しばし
 うっとりと見とれていました。

  

さて、いつものように帰りにはアフタヌーンティーをしよう、ということになりました。
来るときは首都高を新宿回りで来たのですが、帰りは環八を用賀方面へ走る事にしました。
ちょっと走った所で、あぁ~~!と思った場所を見っけたんです。ちゃんと駐車場があるし、
ガラス張りの大きなウィンドーから店内が見通せました。
そこは、***神戸屋レストラン芦花公園店*** でした。
帰りにはここで美味しいメンチカツを夕食用に買って帰路につきました。