ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

団塊と商魂

2005-12-06 | weblog

 

今週は、住宅内消防設備点検とやらで、全部屋入室での点検作業がある。
年に2回のこの点検日が近づくにつれ、憂鬱な気持ちになる。
いくら管理組合で決められた事といっても、寝室まで、年に2回も、知らない
兄ちゃんやオッサンが入ってきて点検するなんて、このご時世、そんなの許されるの?
集合住宅では拒否は出来ないの?
もちろん、日ごろの家事、掃除の手抜きがあっての拒否反応・・と言うのが
本音なのだが、こういうのって、好きじゃない。 + 

そんなこともあって、今月から少しづつ、網戸を洗ったり、たまり過ぎた袋や紙類、
出しっぱなしの諸々を整理したりと、外出を優先させた残りの僅かな時間にぼちぼちと
やり始めているのだが、全くはかどらない。
ブログはマイペースで♪なんて公言しちゃって、即、気が抜けてしまったのだ。

ちょうど新聞を片していた時に、またあの失敬な記事が目の前に!

「おむつ市場  団塊の世代に期待」  ←  ムゥゥ・・・!

「団塊の同窓会をねらえ」・・名簿作りから会場手配まで幹事を代行・・! 

11月21日からは、「団塊~七百万人~流」という記事が9回シリーズでお目見えした。



べつに私がその世代って言うンじゃなくともさー(!!)、団塊という世代って、
戦争を知らない、でも戦争を知っている世代を親や身内に持つ、最後の世代なんだよね。
ってゆーか、そもそも言いだしっぺが勝手につけた言葉だった。

  
団塊の世代」 という言葉は、1970年代後半に作家堺屋太一氏の小説
  によって広く定 着しました。それ以前は、米国式に「ベビー・ブーム世代」
  (baby boomers generation)と呼ばれていたと思います。
  最大生徒数、受験戦争、全共闘による学園紛争、高度成長期一斉入社など、
  すべてに前例のない状況を創り出してきた我々の世代にとって「ダンカイ」という語感は、
  何となく力強さを感じさせ、新鮮な印象を受けたものです。
  ところが、この小説を一読しますと堺屋氏は、我々の将来をかなり悲愴的に描写しています。
  同世代の過当競争から多くが落ちこぼれ、団塊世代の高齢化が民族の秋の始まりである
  などと、我々を暗澹とした気分にさせてしまいました。

  *(最近は、堺屋太一氏は、近著やエッセイ・インタビュー等で一転して
    団塊世代擁護・支持論者に    転身している。)
                                 
 (web上の記事よりコピー)

 団塊世代とは、戦後を逞しく、日本の復興と高度成長に向けて働きに働いた親の背中を
見ながら育った、いまではたいそう貴重な方々なのだ。
その方々が、「紙おむつはユニチャームに限るわ。」 「ぼくはサルバDパンツだな」
「いやぁ、ネットで検索したが、"J&J” から、蒸れない、漏れない、ニオワンパース

発売されるようだよ。」  なんて情報交換をするようになるのだろうか。

 業界では、「これからは団塊の世代が、利用者層に入ってくる」と、将来に備えている・・と。

        そんなぁ~! 
失敬な!!

 ちなみに、「団塊流」の記事のタイトルはこうだ。

     1.熟年離婚    「年金分割」静かに待つ妻
     2.葬送の形     散骨、一代墓・・・自分で選ぶ
     3.二つの寝室   心地よさを生む「距離感」
     4.夫婦再生     相手と向き合う難しさ
     5.仕事探し     自分でつくる「定年後」
     6.田舎と都会   定住でなく旅でもない形
     7..ふるさと     一度は捨て いま回帰熱
     8.地元学     
足元探り 個性を再認識
     9.新しい縁    生き方求めて広げる「輪」

 「地元学」を実践、提唱している吉本さん(熊本県水俣市の職員)は、その世代の
一人だが、都会に出た同世代の奔流には乗らず、故郷の水俣にこだわり続けたという。
 彼はこう話す。

    「スローライフというのは、ゆっくり生きることではない。雨や風や土という自然の
    サイクルに寄り添いながらいきることだ。」
 ・・・都会や行政の視点から見ないで、
    「ここ」から見る。

 「団塊」は強い世代意識があると言われるが、彼は、

    「人を束にして扱うな、と言いたい。」  ← 
     「一人ひとりの個性。地域の個性。都会には都会の良さがある。
      地域には地域の良さがある。
      個性とは何か?個性を知らない。それこそ最大の課題だ。」
と言う。

 先進国の仲間入りをすべく日本は工業化に猛進、その時代を支えたのが団塊世代だった。
が、果たして本当に豊かになったのか?の問いで、彼は断言する。

     「地元学は、だまされないためにある。」

 かっこいい~~!
口先だけでない、こういう人が先輩(!)にいる限り私はボケてはいられない。
紙おむつがなんなのさ!


 と強がっても、鏡を見るたびに、向井千秋さんを思い出す。
彼女が初めて宇宙に飛んだ時、一番感動したことは、
宇宙から見た地球の美しさなどではなく、初めて実感した地球の「重力」だったという。
15日間の無重力状態から戻ってしばらくは、物を持っては下におとす・・・という行為を、
飽きもせずに繰り返していたそうだ。
ああ、わが肉体もすっかり重力の思うままになってしまったではないか。
ウェ~~~~ン

 あ、もう一つ、イギリスで「同性婚」が、認められたんだって??!
なんとも激動の世の中・・・・・子供達にはどんな人生が待ち受けているのか
気がかりなこの頃である。

  Help me!   片付けが間に合わないよ~~~!
  



 

 

 

 


ミラノ展

2005-12-06 | art/exhibit/museum


レオナルド ダ ヴィンチ(およびロンバルディア地方の画家)のキリストの頭部、
ご覧のように、クリスチャンでなくても引き込まれてしまいそう・・・
紙にチョークとパステルで描かれていますが、1494年頃の作品が
よくぞ持ち堪えて、ミラノのブレラ美術館より海を渡って千葉市美術館まで
やってきたかと考えると感動モノです。
この絵の前に跪き、数々の愚行へのお許しを乞うべく懺悔をしたい・・・
そんな気持ちにさえなってしまいました。

娘が2日に見に行き、「とてもよかった」と、カタログを見せてくれました。
そのわずか30分後、“お教室ブログ”を覗いていたら<カメリア日記>にもこの事が!
ビックリしてしまいました。
4日までとの事で、翌3日の夕方に駆け足で行って来ました。
ダヴィンチの「レダの頭部」も、カタログやチケットに使われただけあり、
(実際はパンフの半分くらいの小さな絵でしたが)
その魅惑的な微笑みがなんとも意味ありげ・・というか、純真というか・・
人妻の女神のはずですが、人をいざなう魅力が存分にありました。
伯国の友だち、ナタナエルの奥さんの名が「レダ」。
ギリシャ神話からとったのか・・と、やっと納得。

千葉は東京へ行く倍の時間がかかるのでめったに行きませんが、
最終日の前日があんなに空いているとは!
名画とのご対面の時間をたっぷり戴いて来ました。千葉は穴場!

8階では「江戸絵画のたのしみ」展も開催されていました。
こちらでは、6つのテーマによるコーナーが設けられており、中でも
「月光に心研ぎ澄ます」のコーナーに展示されていた、円山応挙、伊藤若冲、
谷文晁3点の作品が、それぞれの月光を描き、
なかなか面白く鑑賞できました。

帰りは中央公園のイルミネーションのなかを突っ切り、急ぎ足で
お腹をすかして待っている子ら(?)のいる我が家へ直行!
とは行かず、デパートの中をちょっくら彷徨ってしまいました。